恋のパレード

策略の末、結論は -1-

 初恋は幼稚園で一緒だった男の子。
 だけど彼はあたしの親友が好きで諦めるしかなかった。
 それ以来、報われない思いは抱かない方がいいとしか思えなくなっていた。

        ......

「だぁーもう!! 人が酔っているときに話を持ち出すなんて、それでも親なの?! 腹立たしいことこの上ないわ!!」

 話は遡って1時間前のこと。
 いつもは家を空けて仕事に勤しむ両親が揃って一人娘の部屋を訪れた。
 その格好は普段見慣れない上等なもので、用件はすぐに察しがついた。
 しかし、母親が発した言葉は予想とは少し異なるものだった。

「今日は奈江ちゃんが自分から進んで受けたお見合いですものね。とても嬉しいわ。娘の晴れ舞台を早く見れることができるなんて、親心が良く分かってくれて本当に助かっちゃう。じゃあ、奈江ちゃん。お約束の時間は三時間後だから、早く支度しておいてね」

 血の気が引いていくのは気のせいじゃない。
 込み上げてくる憤りを抑え、できるだけ静かに尋ねた。

「どういうことですか、お母様」
「ふふ。あなたはちゃんと了承してくれたわよ、一昨日の晩」

 娘の反応を楽しむような視線が向けられたって、今更動じないけれど。
 これが自分の親かと一瞥しながら過去の記憶を呼び起こす。
 確か、珍しく家族全員で夕食を楽しんだ覚えがある。
 ただ一つの問題を除いて。

「自分たちの結婚記念日の祝いと称し、ワインを飲まされた日だったと記憶していますが?」
「そのときにちゃんとお話したでしょう?」

 一口のお付き合い程度だったのが、この母親によって何杯も飲まされていた。
 気が付いたときは時既に遅く、翌朝生まれて初めての二日酔いに苦しめられたのだ。
 おかげで自分がお酒に弱いことは身を持って知らされたのだが。

「全く記憶にないお話です」
「それでも、ほら。今日出席するという旨の念書まであるわ」

 みせびらかすように突きつけられたのは白い紙。
 母親の綺麗な楷書で書かれた文面と、下のほうにある自分の名前と印鑑の跡。

(……普通、ここまでする? いや絶対に違う。断じて違うはず)

 あたしはキッと睨みを利かし、生みの親に抗議の声を向けた。

「こんなもの無効です!」
「ダメよぉ、嘘つく子は許しません。もし今日サボる気でいるのなら、そのときは家から追い出して籍を入れます。言っておくけれど、わたくしたちは冗談で申しているのではなくてよ。ねえ、あなた?」
「ああ。だから頼む、今日のところは折れてくれ」

 自分の妻に反論できない片親が情けなくなってくるのは何故だろうか。
 しかし、どれだけ情けなく見えようと実の父であり、次期代表取締役になる男なのだからと自分に言い聞かせる。
 母親は娘が黙り込んだのをどう受け取ったのか、不敵な笑みを浮かべて父親とともに部屋を去っていったのだった。
 そうして今に至るのだが――。
 この腹立たしい思いをどこにぶつけたものか。
 考えあぐねていると、ノック音と落ち着いた声が聞こえてきた。

「奈江お嬢様、紅茶をお淹れしました」
「………入って」

 遠慮がちにドアノブを回す音の後、現れたのは我が家の執事。
 今回の件に非がないであろう彼はハーブティーをティーカップに注いでくれた。
 無言でカップを受け取り、滅多に表情を動かさない執事を横目で盗み見る。
 彼はあたしが小学生のときから執事を勤めているが、その割に外見はほとんど変わっていない気がする。そのため、実年齢より若く見られることの方が多い。
 本人はそのことに気にする様子は一切なく、なかなか掴みづらい面も多々ある。
 けれども、こうして気が利くところは彼の美点だと思う。
 少し冷ました紅茶を口に運び、冷静さを取り戻すべく息をゆっくりと吐いた。

「自分の不甲斐なさに段々と嫌気が差してくるわね」

 母親の策略に嵌められたことは正直、腹立たしい。
 と同時に、自分の注意力が欠けていたことを認めざるを得ない。

「……お嬢様。お時間も迫ってきましたが、ご決断いただけましたか?」

 その問いには何か確信めいた響きがあり、あたしは溜め息を禁じ得ない。

「はぁーどうしようかしらね、全く」

 今、究極の選択を強いられているのは常の如く親の陰謀によるもの。
 財閥令嬢という身分のせいで、こういう話は月に何度か舞い込んできていた。
 その度に絶対嫌と言ってきたのだけど、ついにそれが仇になったようだ。
 でなければ、こんな姑息な手を使ってまで娘をお見合いの席に行かせるはずが無い。
 逃げるのは一番楽な方法……だけど。
 ここで逃げれば最後、今度は勝手に籍を入れられる可能性は十二分にある。
 ていうか、あの母親なら本当にやりかねない。
 こうなれば残された方法はただひとつ。

「今回ばかりは仕方ないわ。予定通り、会場へ車を向かわせて。別にまだ顔合わせだけなのだし、そのくらいは社交辞令の範囲でしょう」
「賢明なご判断、ありがたく存じます」

 後ろのめりに倒れ、ふかふかのクッションにぽすっと埋もれた。
 今から策を考えなければならない。
 無事、この家に戻るために。

        ......

 約束の時間、あたしは和服姿で相手が来るのを料亭の一室で待っていた。
 だけど相手が現れた瞬間、目を疑わずにいられなかった。
 歳は若く、ふわっとした黒髪には少し癖がある。
 目元にかかる程の前髪は左から分けられ、そこから覗く双眸は優しい光を宿していた。
 上品なスーツはよく似合っていて、物怖じない凛とした佇まいは好感が持てる。
 だがしかし、その温和な顔立ちは今通っている高校の先生にあまりにも似ていて。
 紹介された名前を聞いても嘘としか思えなかった。
 それでも何とか冷静を装い、仲介役の人の説明を遮った。

「この話は断らせていただきます。そちらも異議はないですね?」
「……いえ、もう少し僕に時間をいただけませんか」
「正気で仰っているのですか?」

 じとりと目を据わらせる。
 だが目の前に座る日下部先生は毅然とした態度のまま、あたしの両親に視線を移す。

「そういうことで、しばらく二人で話してもよろしいでしょうか」
「もちろん。後は若い人たちにお任せしますわ」

 そう言って両親ならびに付き人は立ち上がり、早々と部屋を後にしようとしていた。

「ちょっとお母様! 一人残されても困ります!」
「何を言っているの。もう十七になるでしょう? あなただって立派な大人じゃない」
「……そうではなくてっ!」

 けれど無常にも和室の襖は閉ざされ、母親たちはその向こうへ消えてしまった。
 あたしは溜め息混じりに詰問した。

「一体どういうつもりです? 先ほどの言葉がどんな意味を持つのか、ちゃんと分かった上での発言だったのでしょうね。日下部彬先生?」

 わざと先生という部分を強調して言うと、先生は肩をすくめて見せた。

「お察しの通りだと思いますよ。こちらも祖父からの言いつけがありますし、できる限り破談は避けたいと思っています」
「………。教え子に手を出す気?」
「少なくとも先ほどこの場にいた方々は後ろ盾となってくれるはずですが。でなければ僕はここにはいません」
「それは、いやそうでしょうけど! ……っ……」

 言葉が続かなかった。
 先生の言う通り、彼は両親の目利きに適った人物なのだ。
 それがたとえ教師と生徒という立場だとしても。
 そして、はじめから断るという選択肢はこの場には用意されていない。
 だけどやっぱり納得がいかない。
 こうやって決められた道をただ受け入れる、そんな生き方は絶対おかしいと思う。

「もし、常盤さんがどうしても嫌というのなら僕が話をつけます。どうしますか?」
「その言い方、卑怯よ」

 試すような、そういう台詞は大嫌い。
 何かを言い返したところで、すべてそれは言い訳として受け取られてしまう。
 かと言って先生の言葉に頷けば、それは自分の非力さを認めてしまうことになる。
 子供みたいに駄々をこねるような真似もプライドが許さず、あたしは言葉に詰まった。

「……嫌なら嫌だと、両親を説得してみたらどうですか? 今のあなたなら、ちゃんと自分の意思を伝えることもできるはずです」

 ストレートに正論が投げられ、一瞬反応に困った。
 でもここで退けば負けな気がして、気が付けば勢いに任せて言葉を返していた。

「あーもう、分かりましたっ! あたしだって常盤家の娘です。これから先生のことをちゃんと知った上で判断させていただきます。その後、親から断りを入れてもらいます」
「……それで、本当にいいのですね?」
「二言はありません!」

 強く言い切ると、分かりました、という声が聞こえた。
 思えば早まったのかもしれない。
 けれど、すぐに結婚する訳でもないから大丈夫だろうと密かに高を括っていた。