恋のパレード

策略の末、結論は -2-

 渡り廊下から見える空は清々しいほど青々としていた。
 竹箒でせっせと廊下の砂を集める手を休め、あたしは額に手を当てた。

(いくらなんでも有り得ないわよ。いっそ冗談だと言ってほしいぐらいだわ)

 しかし誰も冗談だと言ってくれる人など当然おらず、突きつけられた現実に深い溜息を零すしかなかった。
 これをすぐに受け入れろと言う方が無理な話だとつくづく思う。
 思うたびに、自然と溜息をついてしまう。
 自分の発言もそう簡単に撤回できるわけがなく、だからこそ余計に後悔の念が募る。

(あたし、なんて事言ったんだろ……つい口から滑ったとはいえ)

 今、思い返してみても。
 あれは、頭に血が上ってロクに考えずに発言したとしか思えない言葉だった。
 後先考えず口走ってしまう性格が恨めしく思う。
 そうして考えに耽っている間は手がお留守だったらしく、横からお咎めの声がした。

「常盤さん、考え事するのはいいんだけど。いつまでたっても掃除終わらないよ?」

 そう言う難波くんは既にちりとりを持って構えていた。
 今週の掃除場所は二班で割り当てられているから、違う班の彼が目の前にいるのは不思議なことじゃない。
 けれど、さっきまで考え事をしていた頭はそんな事さえ思い出すのにも時間がかかって。

「……う、や、やります」

 急いで箒を握りなおし、砂が大部分を占めるゴミを一箇所へ集めていく。
 その様子を見ていた難波くんはふと思い出したように呟いた。

「そーいやさ。委員会、またやることになったから」

 難波くんは生徒会執行部と副総務委員を掛け持っていて、よくこうして委員会の情報を教えてくれる。
 春からクラス投票により総務委員に選ばれてしまった身としては、副総務が生徒会メンバーだといろいろ助かっている。
 うちの学校の総務はクラス委員のことで、大した権限はないけれど、クラス点呼や担任からの雑務をこなす日常的にハードな位置付けとなっていた。
 そして担任からの委員会の知らせは当日のSHRや直前だったりするので、一足先に分かるのはスケジュール調整の上でも大変ありがたい。

「そうなんだ。文化祭が近いと、一段と忙しそうだね」
「ま、これが仕事だからね。文化委員も手一杯だから総務委員にも応援を頼むことになったんだ。俺は生徒会としてサポートに回るからフォローよろしく。あと、委員会は1Cで明日の午後4時からだから」
「了解。……生徒会も大変だね。お疲れ様」

 労いの言葉をかけると、難波くんは肩をすくめて見せた。

「まぁね。でも文化祭は絶対成功させるから。協力してくれよな」
「もちろん?」
「はは、じゃーな」

 ごみを取り終えた難波くんは、早々と教室へ戻っていった。
 彼の後姿に続こうと足を踏み出したとき、不意に背後からフルネームで呼ばれた。

「常盤奈江さん」
「……わぁっ! って、日下部先生……ですか」

 どうもフルネームで呼ばれると後ろめたい気がしてならない。
 ここが学校だからかもしれないけど。
 あたしはそんな心境もあって早口で尋ねていた。

「何でしょうか?」
「ここでは何ですので、できればあちらへ来ていただけますか?」
「……はあ」

 先生が指差す先は進路指導室だった。
 周りに聞かれたくない話題となると一つしか思いつかないため、こくりと頷く。
 先生はあからさまに安堵した表情で、それでは、と踵を返した。
 あたしは一旦、箒を仕舞いに教室に戻ってから、鞄を下げて急ぎ足で向かう。
 部屋の前に着くと、律儀にも廊下で待っていた先生と目が合った。

「お待たせしました」
「いいえ。どうぞ入ってください」

 先生は札を使用中に変えて、きっちりとドアを閉めてから奥の席に座った。
 こっちは困ることなんてないから別にどっちでもいいけど、意外と細かい性格なのかも。
 あたしは先生の真正面に座り、なかなか入る機会がない教室を見渡した。
 普通教室の半分ほどの狭い空間は、なんとなく圧迫感を抱いてしまう。
 先生は心なしか神妙な面持ちのまま、ぴくりとも動かなかった。
 長い沈黙が続き、段々と居たたまれなくなってくる。
 仕方なしに、言葉を促すべく息を吸い込む。
 ――だが、日下部先生のほうがコンマ一秒早かった。

「急で申し訳ないのですが、今夜お時間を頂けますか?」

 どんなことを言われるのかと身構えていたため、瞬きを繰り返してしまう。
 要求のハードルが一気に下がって拍子抜けしていたが、ふと疑問が生まれる。

(でも待って。夜ってことはもちろん夕食も一緒に摂る、ってことよね?)

 重要な事実に気づき、こほんとワザとらしく咳払いをひとつ。
 それから、返事を待っている先生に視線を戻す。

「生憎ですが、うちには門限があって。それと許可がないと……」

 一応しおらしく言ってみる。
 事実、今までも厳しい門限のせいで遊びに行けなかったのだから。
 その筈なのだが、先生は落胆した様子はなく、爽やかに言ってのけた。

「ああ、それなら今朝頂きました。外泊許可も頂いています」
「は?! ……が、外泊まで?! 嘘でしょ、こんなの信じられる訳が……」

 だってだって、あの心配性の親。
 これでもかってぐらい、家の中に軟禁していたくせに。
 塾に行こうものなら家庭教師がつき、美容院に行こうとすればどこから呼んだのかカリスマ美容師が登場し、夜に外出なんてもっての外だった。
 なのにどうして、先生はこうも易々と受け入れられているのだろう。
 それって絶対、納得がいかない。
 今までのダメと一蹴された虚しさ、返して欲しいぐらいだわ。

「それほどまでに驚くことでしたか?」

 にこやかに尋ねる声に力なく答えた。

「……相当、信頼を勝ち得ている訳ですね。それとも何が何でも結婚まで漕ぎつかせたいのかしら。じゃないと友達の家でさえ、今まで無理だったっていうのに」
「なるほど。ですが、それなら好都合じゃないですか。僕の家に泊まることにして友達の家に行っても、これからは何も言われなくなるわけですよね」

 思わぬ言葉にあたしは目が丸くなる。
 真意を掴みかねて先生を見やると、僕は気にしませんよ、と目が語っていた。

「……そ、そういう問題……?」
「あれ、違いましたか?」
「……もういいです。それで、どこへ行けばいいのですか?」

 そう聞き返すと、しばらく間があった後に遠慮がちに言葉が続けられた。

「僕の家、って言ったら引きます?」
「……いえ。そこでしかできない話というのなら行きます」
「察しが早くて助かります。では、六時ごろお迎えにあがっても大丈夫ですか?」

 あまりにも自信の無い声はなんだか変な気がして。
 この人ってこういう先生だったっけ、と記憶を辿る。
 でもそんなに日下部先生の印象は強く残っていなくて、ただの気のせいだと思い直した。

「分かりました、今日の六時ですね。それでは、失礼します」

 確認のため時間を繰り返して、進路指導室を後にした。