恋のパレード

策略の末、結論は -4-

 日下部先生の言葉通り、マンションのエントランスに車が横付けされていた。
 やがてドアの開く音にハッとして意識を戻す。

「さ、どうぞ?」
「……ありがとう、ございます」

 車から降りて目の前の建物を見上げた。
 そして目線を前へ戻すと、立派な正面玄関が目に入った。
 それは、とてもしがない教師が住めるところではなかった。
 予想していたとはいえ、やはりその事実は心を曇らせる。

「あの……はぐれないでくださいね」
「ちょ、子供扱いしないでください」
「いや、すみません。物思いに耽っているみたいだったので」

 言われたことは事実だったので、不覚にも返す言葉が思いつかなかった。
 だが先生は足早にオートロックを解除してすたすたと進んでいき、慌てて後に続く。
 先生はあたしの姿を横目で確認すると、エレベーターのボタンを押した。
 すぐに開かれる鉄の扉の中に一緒に乗り込んだ。
 ゆっくりと扉が閉まってから軽く密室状態であることに気付く。
 訪れる沈黙がなんとも息苦しく感じられた。

(えーとえーと、……何か話題っっ!!)

 思考回路をフル回転させて話題を必死に探す。

「……先生。今、何時ですか?」

 結局捻った頭で思いついたことは、どうでもいいことだった。
 時間を聞いたから何があるわけでもない。
 けれど、腕時計をしている先生に聞いた方が早いのは確かで。

「6時20分ですね」
「そうですか。……ありがとうございます」

 再び訪れた静寂を破る気力はもうなかった。
 何か話さなきゃと変に気負いしてしまうと、かえって話題が思いつかない。
 気付かれないように諦めの溜息をつくと、やがてポーン、と到着を知らせる音がした。
 扉が開き、先生の後を追うように横幅の広い廊下を歩く。
 廊下に敷いてある絨毯も何気に質が良さそうで、ここのオーナーの趣味も悪くないな、と頭の隅で思う。
 そうして辿り着いた先は突き当たりの部屋だった。
 表札は防犯のためなのか、見当たらない。
 だけど先生は躊躇することなく自然な動作で鍵を開けた。

「狭いかもしれませんが、取り敢えずどうぞ」

 曖昧な返事をしながら玄関へ足を踏み入れる。
 実家と比べたら小さいけど、それでも想像よりはかなり広いことが見て取れた。
 玄関のスペースも狭っ苦しいものではなくて、結構ゆとりのある空間があった。
 多分、5人くらいは余裕で入れるんじゃないかとも思う。
 そして玄関から見える廊下の向こうも、大きな観葉植物が見えて、広々した居間があるということが予想できた。
 あたしは靴を揃えて上がり、先生の先導で居間へ通される。
 玄関から見えていたパキラがドア横に置いてあって、不必要なものはないというぐらいサッパリした部屋が視界に広がっていた。
 テレビも薄型の大きめのやつだけど、下に台があるだけで周りに本棚もない。
 黒いソファーと机。
 電話機は壁際に設置されていて、その横に鍵かけのフックが目に入った。

(それにしても家具、少なすぎない?)

 家の居間は結構物が溢れてるからそう思うのかもしれないけど。
 悶々と考え出していると、横から遠慮がちな声が掛けられた。

「夕飯、どうします? お腹は減ってます?」
「……それなりに」
「お口に合うか分かりませんけど、一応、用意して貰ったので食べます?」

 ダイニングテーブルを見やると、ふたり分の食器が並べられていた。
 先程の言葉とラップで包まれた食器から考えると、誰かを呼んで作らせたのだろう。

「先生……料理はいつもどうされているんですか?」
「人並みにしますよ。今日は常盤さんをお迎えにあがるという事もあって、時間の関係で人を呼びましたけど。いつもは自炊しています」

 そして本人の言う通り、レンジへお皿を入れてスイッチをセットする動きに無駄は無い。
 やがて、はい、と温められた料理が食卓に並んだ。
 本当にこの人が親の選んできた婚約者なのかと疑いたくなる。
 思ったより庶民的で、むしろそれが自然だと思わせる雰囲気に戸惑ってしまう。
 学校で先生しているぐらいなんだし、日下部グループの孫とはいえ家柄はただの自分についてくるオプションに過ぎないんだろう。
 先生の家庭的な雰囲気は、ほとんどの家事は他人任せの自分とは違うと感じた。
 家事には自信がない、というのが本音。
 日頃から家の手伝いをしているという友達がちょっと羨ましくなってきた。
 今まで人に頼り切っていたということを、今更ながら痛感して困惑してしまう。
 椅子に座った先生にどうぞと手で示され、手前に置かれた箸を取った。
 いただきます、と手を合わして豚汁に箸をつける。

(んー…辛さもちょうどいい感じ。結構好みの味付けかも)

 堅苦しいフランス料理なんかより、断然こっちの方が落ち着く。
 味見程度に手をつけたあたしは箸を置いて目的を忘れないうちにと切り出す。

「それで結局、大事な話とは?」

 そう、この話を聞くためにわざわざ先生の家にまで来たのだ。
 先生は全くお皿に手をつけていない状態のまま、視線を受け止めていた。

「この結婚について一度、僕の話を聞いて欲しかったので今夜お呼びしました」

 あたしは話の続きを静かに待った。

「……僕の父親は母が死んだ後、家庭を顧みず一層仕事に打ち込むようになりました。そんな中、僕の面倒を見てくれたのは祖父でした。祖父は僕が教師になると言ったときでも、好きなようにしていいと言ってくれました。しかし、代わりに条件を一つ出してきました。祖父が選んだ女性との結婚話を受けること。そして婚約する女性を何が何でも幸せにしろと」
「だから?」
「…………」
「だから、あたしの気持ちなんて端から考えずに言いつけを守ろうとしていたの? 自分の保身のために」

 幸せにするっていう気持ちは大事だと思う。
 けれど相手の気持ちも考えないところは腑に落ちない。
 オブラートに包まず率直に告げると、先生は苦笑いを浮かべていた。

「今も、そうです」
「幸せっていうのはお互いが思うことであって、片方だけで決められるものではないはず。そんなのは幸せとは呼べません。なのにそれを受け入れるのは……大人だから?」

 大人には大人のやり方がある。
 時にそれは子供には到底理解できないことだってある。
 現に先生の言葉を聞いても、どうしても納得ができない。
 先生はあたしを見つめていたかと思うと、いきなり爆弾発言を投下してくれた。

「常盤さんはご存知じゃないでしょうが、実はもう話は進行しています」
「どういう……こと?」
「結婚式は今年の秋。もう準備は双方の親とで進められているはずです」
「?! ちょっと! そんな話、聞いていません!」

 あたしの反応に、でしょうね、とさっきと同じ口調で呟かれた。

(ていうか……あの親、娘の同意もなしに!!)

 いつものことだけど、いやこればかりは本人の承諾を取ってからにしてほしい。
 そもそも昨日は顔合わせだけと聞いていたのに、この展開の速さは前もって事を進めていたに違いない。
 何を言っても無駄だと悟らせるように、敢えて顔合わせの日を遅らせていたんだわ。
 逃げ出せない状況に追い込ませるために。
 本当に考えれば考えるほど、実の娘に対する仕打ちとは思えない。
 無言で憤りを募らせていると、先生は軽く身を乗り出して言った。

「好きにはなって貰えませんか、僕の――俺のことを」
「……は?」
「そうすれば、何も問題はないはずです」

 確かに、この結婚に否定的なのは自分しかいない。
 そのあたしが是と頷けばこの話は丸く収まるだろう。
 だけどそんな無理難題をいきなり言われた身にもなって欲しい。
 いきなり好きになれなんて、無茶にも程があるじゃない?

「それなら、先生はどうなんですか? あたしのことを好きだって今、言えますか?」
「……それは」
「人の感情はそう簡単に操れるものじゃありません。少なくとも好きになるという感情は自然に感じることだと思います。それに恋愛感情はとてもあやふやで絶対っていうものがない。もしかしたら思い込みということもありますし。――これ以上、平行線を辿るようであれば今夜は失礼させていただきますが」

 宣言どおり椅子から立ち上がり、居間のドアを目指そうと歩き出す。

「待ってください」

 後ろからの静止の声におとなしく従った。
 あたしの前に回りこんだ先生は神妙な面持ちのまま口を開いた。

「……白状します。実は授業をしているうち、惹かれていた女子生徒がいたんです。俺と雰囲気が似ているなと思って、だんだん目で追うようになっていました。それが常盤奈江さんでした。ただ教師が生徒にそんな感情を抱くのもどうかと思って、あまり気にしないようにしていたんです。だから今は好きになりつつある、という感じで。……これでは、納得のいく理由にはなりませんか?」

 目を剥くというのはこういうことかと思った。
 そう思わずにはいられないぐらい、驚きのあまり先生を凝視していた。
 何度か瞬きをしていると、先生の言葉が続く。
 今度は諭すように、優しく。

「結婚してからでも恋愛をすることができる。そういう恋愛の形もあってもいいと、考えていただけないでしょうか?」

 予測していなかった切り返しに、すぐには反論できず視線を逸らしてしまった。
 先生が言ったことは決して可能性がゼロとはいえない。
 だれどそれじゃ、やっぱり遅いと思う。
 未来を一緒に築ける人なのかどうかを見定めてこそ、結婚の約束をするものだと思う。
 順番が逆になる、そんな単純な問題なんかじゃない。
 本当にそれでお互い後悔しないのだろうか。
 もし自分には相応しい相手ではなかった、と思われたらそんなの悲しすぎる。

「……生憎と現実味が沸いてきません。他人の幸せな結末が必ずしも自分にも当てはまる、とも思えませんが」

 我ながら可愛げがない言い方だと思う。
 けれど先生は涼しげな笑顔でサラッと言い返してきた。

「常盤さんこそ、忘れてないですよね。お試し期間を設けたということは、俺にはアプローチする許可が下りているということなんですから。俺を選んで頂きますよ」

 そう断言する先生の瞳には確信の色があった。
 心拍数があがるのが嫌でも分かる。
 でも意地でポーカーフェイスを装った。
 だってその言葉にドキドキしているなんて、悟られるわけにはいかなかったんだから。