恋のパレード

策略の末、結論は -7-

 何だか習慣づけられている気もしない、毎日の夜の逢瀬。
 学校では接点がないため、話すタイミングが夜だけというのが思たる理由だけど。
 先生はその日の仕事によって時間はバラバラだったけど、あれから欠かさず平日は運転手付きの車で迎えに来てくれている。
 そして人目を避けるように、先生の豪華なマンションで家庭的な料理に舌鼓を打つ。
 話題はといえば日常のささやかなもので、正直、学校の延長線上という感が拭えない。
 土日はこちらから遠慮したとはいえ、これまでほぼ毎日会っているわけだけど。

(これで押し倒すものなら即刻、婚約破棄に持ち込めるものを……)

 だが、先生は聖人君子のごとき紳士的な対応を崩す様子はなかった。
 邪険に扱いづらい笑顔を向けられるたび、どう平和的に婚約を解消させようかと考えを巡らせている自分が悪者のような心地にさせられる。
 また、それだけでなく、数日前にみのりから言われた言葉が胸の奥にうずいていた。
 先生があたし以外の人を選ぶことを考えるだけで、どうしてか心が苦しくなる。

(でも先生を好きかと言われたら……分からないのよね)

 だけど、やっぱりまだ結婚なんてしたくない気持ちも強くて。
 揺れる気持ちを整理できないまま、先生の手料理を美味しく頂く毎日を過ごしていた。
 そんな自分が情けなくなって、つい先生にジトリと目を向けてしまう。

「本当に家庭的過ぎて、拍子抜けするぐらいなのですが」
「……俺が料理することがですか?」
「それもあるし、何ていうか。自覚あります? 自分の立場」
「それなりにありますが、俺は教師を選んだ男ですから。自分のことは自分でしないといけませんし、家から出させてもらった責任も感じていますけど」

 あたしは自然な動作で食器を洗い出そうとした先生の代わりに、スポンジを片手に話を聞いていた。後はそそぐだけだけど、泡だらけの手は水を出そうした途中で止まっていた。

「責任……ですか?」
「選んだ道を貫き通すために生じる責任です」
「それなら、当然あたしにもあるんですよね」
「……常盤さん?」

 不思議そうに聞き返す声に、言葉を続ける。

「結論を出すのも責任ですよね。あの家に生まれて育ってきた以上、付随してくる責任」
「……そうですね」

 静かに肯定する言葉に、あたしは無言のまま洗い物をこなしていった。
 それらが一通り終わったところで、見慣れつつある黒いソファに身を沈めた。
 横にはニュース番組を見ている先生の横顔。
 時計に目を移すと8時前になろうとしていた。

(もう少しぐらいゆっくりしていってもいいわよね、たぶん)

「あの、常盤さん」

 不意に、遠慮がちに呟かれたその言葉で我に返る。

「あ、はい。何ですか?」
「近頃、難波遼平くんとよく一緒にいる……つまり、付き合っているんじゃないかという噂を耳にしたのですが、そうなんですか?」

(……えっと?)

 不意打ちの質問に思わず身を強張らせる。
 言われた意味を反芻し、難波くんとのやり取りを思い返す。
 確かに指摘通り、ここ数日は休憩時間など使って彼の相談に乗っていた。
 聞き出した好みのタイプについて話し、みのりが好きそうな話題を彼に教えていた。
 そのおかげもあってか、ふたりが楽しそうに会話しているところを何度か見るようになったけど、先生に言われるまで不覚にも気づかなかった。
 仮にもお試し期間中を設けているとはいえ、あたしたちの間柄は婚約中であるわけで。

(マズいわよね、普通。婚約者が他の男とツーショット。しかも一度だけじゃないって)

 噂になっているのも驚きだけど、まさかそれが先生の耳に入るなんて思いもしなかった。

(どどど、どうしよう……?!)

「いやあの、ですね? ちょっと相談事によく乗ってて、そのせいなんです」
「相談ですか?」
「あたしの友達と仲良くなりたいみたいで、協力を頼まれちゃって。だから先生が心配するようなことは全くないです」
「はあ。一つ聞きますけど、それって建前とかじゃないですよね?」

 咄嗟に意味が分からず、鸚鵡返しに聞き返していた。

「建前?」
「それは表向きの用件で、実は常盤さんが好きとか」
「……。有り得ないですよ、だって本当にみのりのことが好きみたいですし」
「ならいいのですが」
「……ひょっとして心配かけてます?」
「まぁ気にならないって言ったら嘘ですね。かといって、今の俺には口出しする権限はないに等しいですが」

 先生に対する評価は保留のままだ。
 だから婚約中というのも名ばかりなだけで、お互いを独占するなんてことできない。
 だけど、ふと思う。
 先生のあたしに対する思いはどうなんだろう。
 このお試し期間は先生にも当てはまることなんじゃないかしら。
 結婚までのカウントダウンは既に始まっていて、お試し期間にもタイムリミットがある。
 そして、リミットの期限は確実に迫ってきている。
 毎日こうして夕飯を一緒に食べるようになって、先生の人柄に徐々に惹かれつつあることに自覚してきたところなのに。
 もし本当に、先生からこの話はなかったことに、なんて断られたら。
 あたしが好きになったとしても、先生に好きになって貰わなくちゃ恋愛に発展するなんて夢のまた夢。
 だったら、どうしたら好きになって貰えるんだろう……。
 新たな問題に不安が押し寄せていた。

        ......

 文化祭開催まで準備することは山のようにあるわけで。
 今日の放課後も例外ではなく、先程まで委員会の招集で細かい打合せが行われていた。
 委員会が終わると皆はテキパキと机を片付け、さっさと帰って行く。
 そして会議室に残っているのは難波くんとあたしの二人だけ。
 あれから、こうして放課後や委員会の後に近況を聞くのが常となっていた。

「この頃さ、堤さんといい雰囲気になれてると思うんだ。この分だと、なんとか一人で頑張れそうだよ」

 本当に嬉しそうに話すので、こっちまでも嬉しくなってしまう。
 とはいえ、あたしが手伝ったことなんて些細なことだったけど。
 それにこの調子だったら、はじめから一人でもできたように感じてくる。
 まぁ、これで一組のカップルができるのならいいかと思い直した。

「それは良かった。あまり、手伝ってあげられなかったけど」
「いーや、充分っ。もうホントありがとう」
「本人が満足してるならいいけどね」

 すると、難波くんは思い出したように委員会で配られたプリントを机の上に広げた。

「そうそう、委員会の続きになるんだけどさ。ここの時間配分どうしたらいいと思う?」

 指差されたそこにはイベントの時間を書く欄があった。
 印字されているのは「未定」の文字。
 その前後の時間配分を頭の中でザッと計算してみた。

「次が2時半ってことを考えると、音響も準備があると思うし、大きく見積もって1時間ぐらい余裕あったほうがいいんじゃない? あまりキツキツに設定していたら、何かあったとき対処しきれないんじゃないかしら」
「おーなるほどね。じゃあ、その間に漫才研究会の出番を早めたらいけそうだね。それなら裏方で準備できるはずだし」
「うん、いいと思う」

 あたしは窓にもたれかかり、プリントに書き込みをしている難波くんを眺めた。
 生徒会にも恋にも一生懸命な姿がそこにはあった。

「文化祭が終わるまでに、いい結果が出るといいね」
「そこはもう頑張るよ。こういうときのイベント行事だし」
「応援するわ」

 来週からは本格的にクラスの準備にも取りかからないといけない。
 今日は早く帰ろうと、窓から身を起こして軽く伸びをした。
 難波くんも椅子から立ち上がり、帰る準備を手早く済ませていた。
 伸びきった両手を無造作に降ろすと焦ったよう声が向けられた。

「あ、待って。そこ危ない!」
「え?」

 忠告に身を翻したのが、まずかった。
 何かに当たった感触がしたと思ったら、掃除用具入れからはみ出していた箒たちがなだれ込んできて。
 避けなきゃと思うのに体が動かず、ぎゅっと目を瞑った。
 けれど横から腕をぐいっと力一杯に引っ張られ、その瞬間ガタガタッと盛大な音がした。
 助かった、と思ったのもつかの間、視界はぐるりと反転した。

「うわわ」

 難波くんの情けない声とともに、あたしの体は引っ張られた反動で床に引き寄せられた。
 と同時に体勢を崩した難波くんが覆い被さり、背中とお尻を強く打ち付ける。
 気が付けば、床へ組み敷かれる形になっていて息を呑む。
 けれど災難は続き、辛うじて倒れるのを堪えていた最後の一本の箒が頭上に落ちてきた。
 それを受け止めたのは位置的に上にいた彼の方で。
 コンっという小突いた音の後には軽い悲鳴。

「いっ?!」
「……大丈夫?!」
「い、今のは痛恨の一撃だった……」

 呟きながら難波くんは意表を突いた思わぬ攻撃に、顔を歪めつつ後頭部をさすっていた。
 心から同情するけれど、この距離感はどうも落ち着かなくて。
 元々男の人に耐性がないのもあるが、事故とはいえども体は拒否反応を示していた。
 否応なく相手を意識いてしまうこの距離、ずっとは耐えられそうにない。
 そう思った瞬間、唐突にドアが開いた。

「何してるんですか? こんなところで」

 その声音は聞き間違えるはずがない、日下部先生の声だった。
 難波くんはその声で我に返ったらしく、あたしとの至近距離に慌てふためいていた。

「……うわ、ごめん! 悪気はなかったんだけど、ええと。……ごめん」
「う、ううん」

 勢いよく飛び退いた難波くんはおずおずと手を差し伸べてくれた。
 呆然としていたあたしは、彼の手を握って何とか起き上がる。
 ドア横にいた先生の視線は散乱した掃除道具に向いていた。
 やましいことは何一つなかったにせよ、変な緊張感が体を包みこむ。

「じゃ、じゃあまた明日」
「うん……またね」

 逃げるように会議室を出て行く難波くんを見送ったものの、部屋には気まずい空気が立ち込めていた。