恋のパレード

大切なのは、過去か現在か未来か -2-

 英語の授業を受けながら、せっせと板書をノートに写す。
 書いても書いても更なる英文が黒板に埋め尽くされ、スペースがなくなったときには初めの英文が消されるのだから生徒も必死だ。
 そんな訳で、英語の授業はほとんどが授業時間ギリギリまでシャーペンを手放せない。
 去年もそれは同じだったが、今年担当の女教師は授業スタイルが少し違っていた。
 余程のことがない限り個人指名はせず、授業時間に余裕ができた時のみ朗読をさせる。
 つまりは個人戦をモットーにした授業展開だった。
 今日も例に漏れず、先生の流暢な発音を聞き流しながらのノート取りで時間はあっという間に時間は過ぎていく。
 チャイムが響いたところで、先生は持っていたテキストを閉じた。

「今日は号令はいいから、予習ちゃんとしてくるように」

 その声を皮切りにガヤガヤがクラス中に広がった。
 あたしも英文の書き写しを終え、教科書一式を鞄へと仕舞う。

「常盤ちゃん。次、学年集会だったよね」

 みのりの声にSHRでの担任の言葉を思い起こして、そうだった、と頷いた。

「急がないと間に合わないわね」
「そうなんだけど。……ちょっと寄るところがあるから、先に行っててくれない?」
「? 分かったわ。じゃあ、お先に」
「ごめんね。すぐ行くから」

 教室を出てすぐみのりと別れる。
 廊下は既に生徒が溢れていて、講堂を目指す人の波ができていた。
 あたしもそれに倣おうとしたところで、不意に後ろから名前を呼ばれた。

「常盤さん。ごめんなさい、急いでいるところ悪いんだけど」
「――はい?」

 振り返った先には授業道具を抱えた英語教師がいた。

「確か総務委員だったわよね? 急遽、今日の放課後に文化祭の看板作りをすることになったの。文化委員だけじゃ人手が足りないみたいだから、常盤さんも来てくれる?」
「分かりました。どこへ行けばいいんですか?」
「科学室を取っといたから、4時にそこで」

 了承の意を伝えると、よろしく、とだけ言って先生は足早に職員室へ向かった。
 話していた間に人の流れはまばらになっていて、早歩きで階段を下りた。
 一階まで降りきり、講堂の渡り廊下へと方向転換する。
 そこでふと、見覚えのある人影が視界に入った。

「……あ……」

 つい間の抜けた声が出てしまった。
 学校でばったりと出会うのはある意味当然なのだが、何となく気恥ずかしい。
 けれども、日下部先生は常と変わらない様子で話しかけてきた。

「こんにちは、常盤さん」
「……こんにちは」
「早く行かないと、学年集会が始まりますよ」
「は、はい。そうですね」

 諭されて、ひとり先に講堂へと急いだ。

        ......

 講堂での学年集会は進路についてだった。
 将来を見据えた目標を持つことが大事とか、情報収集は早めにしておいて損はないとか、修学旅行で浮かれる前にしっかりとした進路を考えろなど、学年主任から順に数人の先生からありがたい話を聞かされていた。
 説教口調だったり、体験談を交えた教訓だったりと先生によってバリエーションは違ったが、延々と話を聞かされる生徒側としてはいい加減、集中力も切れてくるというもの。
 タメになる話はいいとして、回りくどく言われるより簡潔に話してくれた方が皆もしっかり聞きやすいように思う。
 そして、発表する先生に順々に回されていくマイクが日下部先生の手に渡った。

(……何を話すのかな)

 なぜだかそわそわする自分がいた。
 距離的にはかなり近いはずなのに先生として皆の前に立つ彼を見ると、なぜだか遠い存在に感じてしまう。
 見えない隔たりが教師と生徒の壁かもしれない、と思うとチクリと胸が痛んだ。

「そろそろ終盤なので、もう少しの辛抱です。眠たそうな人、頑張って顔を上げといてくださいね。僕は高三の夏に漠然と考えていた進路を急に変えたことがあります。理由は、どうしてもやりたいことが見つかったからです。しかし直前までの志望大学は目標より2ランクも低いところで、担任からはやるだけやってみろ、でも期待はできないと言われました」

 あたしだけじゃなく、その場にいた生徒のほとんどが先生の言葉をじっと待つ。

「それもその筈です。そのときの僕はそれほど勉強を頑張っていませんでしたし、就職組は内定に響く最終成績が出たところでしたからね。どれだけ頑張っても二年までの成績は変わりません。三年の成績だって前回より大幅に点数を取れなければ成績が上がることはまずないです。だからその時、今まで目標を持っていなかったことに後悔しました。あのとき頑張っておけば、と。……夏から頑張るにしても浪人生のほうが現役よりもはるかに勉強しています。真崎先生と内容が重なってしまいますが、その勝負に勝つためには今から頑張ることが大事なんです。勉強は毎日の積み重ねです。いきなりパッとできるものでもない。続けるのは難しいかもしれませんが、そのとき勉強を頑張ったっていう時間は決して無駄にはなりません。頑張った経験が自信に繋がることもあります。ですから、日頃の勉強を大事にこれからの学校生活を有意義に送ってください」

 日下部先生の言葉は他の先生とは違って、直接心に響いた。
 先生も高校時代があって、あたしたちみたいに悩んだり苦しだりしたんだと思うと急に親近感が沸いた。
 悩んでいるのは自分ひとりじゃないだよって言われている気がした。
 ほどなくして鳴ったチャイムの音で、学年主任から一同解散!と いう号令がかかった。
 しかし、それだけで終わらないのが高校生の常。
 教室に戻る前に担任から配られたのは「これからの進路について」と題したレポート。
 高校に入ってから、こういう類を書かされることが増えた気がする。
 しかも用紙には狭すぎじゃ? と思うほど、狭い行幅の罫線が引かれていた。
 そのげんなりがクラス中に浸透しだしたころ、担任の声が響く。

「あーちなみに期限は今日中だから、帰る前に総務に提出していけよ。出さなかったやつは覚悟しとけー?」

 言外に、提出しなかったら学年主任と生徒指導室行きと匂わせるところが担任らしい。
 文句をたれる前にとにかく書くしかない、と皆にも諦めのムードが漂い始めた。
 あたしはプリントをポケットに入れ、みのりと一緒に掃除場所に向かう。
 今週の掃除当番は音楽室なので防音をはじめ空調設備も万全、四階ということもあって見晴らしもなかなかだ。
 箒であまりゴミもない床を掃いていくと、同じように箒を持ったみのりがふと呟いた。

「ピアノ見てたら弾きたくならない?」
「みのり、弾けるの?」
「ちょこーっとだけ。だから三歳からやってたって子には負けるけど」
「掃除に早く来れたとき、みのりのピアノ聴かせてよ」
「え……本当? 後悔しちゃうかもよ?」
「しないしない」

 笑って答えると、じゃあ今度ねー、とのんびりした口調で返された。
 ちょうどそのとき、監督の先生がチェックしに来たので手早くゴミを集めた。
 先週の渡り廊下の監督は週末にまとめてチェック後のサインをしていたが、この監督は律儀に毎日するタイプなので、班全員が集まってからサインを貰う。
 それからみのりと他愛のない話をしながらクラスへ戻り、感想文を机の上に広げた。
 こういうのは以前までは翌日に集めていたはずなのだが、最近は集まりが悪いなどの理由で同じ日に集めさせることが多い。
 何でも多かった言い訳のひとつが、プリントを紛失しました、だったとか。
 とりあえず、進路については正直まだ分からないことだらけだけど、感じたことを言葉に表していくしかない。
 妥協案として一文を長ったらしく書いて文字数を稼ぎ、それらを繰り返して何とか指定された行まで文字を埋めていった。

「皆、感想文は教卓に置いて帰っていけよー。あとでチェックするからなー」

 副総務の難波くんが皆に向かって叫ぶ。
 あたしは時計の針を一瞥して席を立った。
 鞄を掴んで、書き終わったプリントを教卓の上に重ねた。

「常盤さん早いねー今回は行数多かったのに。俺なんかまだ半分」

 教卓の余ったスペースで感想文を書いていた難波くんが用紙をひらひらと見せた。
 確かにまだ半分しか文字は埋まっていない。

「国語は嫌いじゃないから何とかね。あと、これから文化委員の手伝いだから。悪いけど、あとお願い。それじゃお先に」
「おー、いってらっしゃい」

        ......

 科学室に入ると、数名の生徒が既に作業を始めていた。
 あたしも作業に加わり、看板の文字の下書きを手伝う。
 それから感想文を終えたらしい同級生らが加勢して、色塗りを分担しながらやっていく。
 はじめは気乗りしなかった人も絵の具の筆が進むにつれ、真剣な表情で取り組んでいた。
 ぎこちなかった雰囲気がいつの間にか和気あいあいと変わり、そんなこんなで看板も完成すると自然と歓声がわき上がった。

「総務委員さんも手伝ってくれて本当にありがとう! 手が空いてる文化委員が二人しかいなくて、正直キツかったから助かりました」

 文化委員の女の子がぺこりと頭を下げる。
 皆は口々に、いいよいいよ、と言うと、彼女ははにかんで顔を上げてくれた。
 そして改めてお礼の言葉を貰い、少し照れくさくなってしまう。
 部屋を出ると、皆はこれから部室に行かなきゃと、と四方へ散らばっていった。
 あたしは真っ直ぐと下駄箱へ向かう。
 すると、進行方向の先に日下部先生の姿を見つけて。
 偶然とはいえ、同じ日にこうしてまたバッタリ出会い、驚いた。
 それは先生も同じだったらしく、距離が近づくと不思議そうに首を傾げていた。

「今、帰りですか?」
「はい。文化委員の手伝いで看板作りがあって」
「そうだったんですか。準備は順調ですか?」
「何とか間に合わせないといけないですから、皆で頑張っていますよ。先生はこれから?」

 何気なく尋ねると、苦笑いとともに言葉が返ってきた。

「僕は今から臨時の職員会議なんです」
「先生も大変ですね」
「実はしばらく仕事が立て込んで、当分は時間が取れそうにないんです」
「仕事なら仕方ないですし、どうぞお気になさらず」
「申し訳ないです……」

 自然と声が小さくなる先生。
 仕事上、色々大変なのも分かっているつもりだけど、本音を言えば少し寂しい。
 でもワガママを言って心配させる訳にもいかない。
 あたしは努めて明るい声を出して精一杯の笑顔を向けた。

「じゃあ、先生。さようなら」
「はい、夜道にはくれぐれも気をつけて」

 学校では生徒としての壁が予想より大きいことを感じつつ、生徒玄関へと向かった。