恋のパレード

大切なのは、過去か現在か未来か -4-

 瞳に映る先生の姿にまだ信じられず、おずおずと口を開いた。

「相原さんが待っていた人って先生……だったんですか?」

 知らず、声がわずかに震えてしまう。
 そんなあたしの様子を不審に思ってか、相原さんがあたしたちを見比べる。

「……二人とも、どういった知り合い?」
「僕が働いている高校の生徒です」
「ああ、なるほど」

 あたしとは違うハキハキとした先生の声で頭が冷えていく。

(こんなところで取り乱しちゃいけない……)

 先生の口調は二人きりのものではなく、授業中と同じものだった。
 つまりはこの場所では教師として接するという意志の表れに他ならない。
 けれど、それも当然のこと。
 まさか教え子が婚約者だなんて言えるわけがないんだから。
 そう自分に言い聞かせるが、心のどこかで疎外感を覚えていて。
 我慢できずに立ち上がり、自分の荷物を手早くまとめる。

「すみません、あたしはお邪魔ですよね」
「奈江ちゃん? ちょっと待って、そんなに慌てなくても一緒に……」
「失礼します」

 相原さんの声を遮るように早足で入り口へと向かう。
 余裕がなかったせいか、ちょうど店内に入ろうとしたお客と正面からぶつかりかけた。
 間一髪でお互い頭突きをせずに済んだものの、あたしは一刻も早くこの場から逃げ出したい一心で、早口で謝るとそのまま外へと出た。
 けれどドアが閉まる直前、聞き覚えのある声が耳に届く。
 閉まろうとしたドアがまた強引に開かれ、カランカランと鈴の音がせわしなく鳴る。

「ちょ、奈江?!」

 慌てて呼び止める声がしたが、足を止めるつもりはなかった。
 しばらくそのまま道をずんずんと進んでいくと、横から腕を強く引っ張られてしまう。

「……何よ、彗」
「なんなんだよ。待ち合わせの場所はあの店だっただろ? ……ってお前、泣いてんのか」
「放っておいてよ」

 余計なことばかり、いつも目ざとく見つけるのは昔から変わらない。
 瞳から零れ落ちた涙を軽く拭って睨み返す。

(こういうときは、見なかったフリをするのが優しさなんじゃないの?)

 けれど、心配そうな眼差しを向けられると言葉に詰まった。
 なんだかんだ言ったって、いつも困ってるときに真っ先に助けてくれるのは彼だった。

「……ともかく俺と一緒に来い」

 それだけを言い捨てると、彗が呼び止めたタクシーに乗って彼の家へ向かう事になった。

        ......

 久しぶりに訪れたいとこの家は、記憶と同じ純和風の造りで。
 門扉を越えると独特の木々の匂いが鼻をつく。
 どことなく落ち着かせる自然の香りに、すぅっと息を吸い込む。
 敷居を跨ぐと何年ぶりかの彗の部屋へと通された。
 兄弟感覚で育ったいとこはあたしから一通りの経緯を聞き出すと、なんだ、とぼやく。

「じゃあ、さっきは婚約者と偶然出くわしただけってことか」
「だけって何よ」
「ちゃんと話せてないんだろ。当然、理由も聞いていない、だろ?」
「…………」

 見ていたかのような正確な分析に反論する言葉を失う。
 口を閉ざしたあたしを見て、彗は意地悪な笑みを浮かべた。

「ほら図星だな。話も聞かないで勝手に決めつけるのはどうかと思うぞ」
「何よ、彗がその場にいたら何も思わなかったっていうの?」
「そうは言っていない。本人の口から聞くまでは何も分からないってだけさ。憶測は憶測に過ぎないだろ? 相手を信じて待つことも時には必要だ。それとも信用に値しない人物なのか、お前の婚約者っていう奴は」

 あたしは心の中ですぐに否定した。
 先生に限って人を騙すなんて真似するわけない。
 まだ婚約者となってから数週間しか一緒に過ごしていないけれど。
 その中でも彼の人柄は少しは知っているつもりだ。

「……違うわ」
「だろうな。まったく、こういうときこそ冷静になれ。俺が見てきた奈江はいつも落ち着いて、客観的に物事を見極めていたぞ」
「……悪かったわね」

 ばつが悪くなり、ふいっと目を背ける。
 ワザとらしい大きなため息が聞こえてきて、また小言かと少し身構えた。
 だけど耳に届くのは違う響きだった。

「俺はまだこの期に及んで、奈江が好きだ」

 それは何度となく言われた言葉。
 でも、あたしの答えなんていつも決まっていた。
 だから同じ問答が繰り返されるのが今までのパターンだった。
 けれど、今は違う。

「彗の気持ちには応えられない。今は結婚したいと思える人と出会ったから」
「…………だったら、俺の分まで奈江には幸せになってもらわないと困る」
「困るって言われても、どうやって幸せになればいいの……?」

 彗の気持ちはありがたいけど、言われた本人は具体的にどうしたらいいのか。
 先生は幸せにしてくれると言ってくれたし、その言葉を信じたい気持ちはある。
 けれど、相原さんと親しそうに話す場面を思い出すと、二人の方がよほどお似合いに見えてしまったのも事実で。
 まだまだ精神的にも未熟で、視野が狭い子供なんかよりずっと。

「あのな、そういうことは直接本人に言えよ。俺だって、お前の考えてること全部見通すなんて芸当は無理なんだから。言葉に出して言わないと伝わらないことは結構、多いんだぜ?」
「……言えないわ」
「どうして気弱なことばかり言うんだ? 奈江はそんな奴じゃなかっただろ?」

 確かに今までのあたしだったなら。
 こんなに取り乱した姿を見られるような事は決してなかった。
 人前で取り繕うことなんて得意だったはずなのに。
 よりによって彗に狼狽して泣く姿を見られるなんて不覚としか言いようがない。
 でも今は、すぐには立ち直れそうにはなくて。

「どうも自分が思っていたより、恋愛に対してとても臆病みたいなの。だから自信が持てなくて、こんな風にみっともない姿を見せることになっちゃったんだわ」
「……自信、か」
「急に怖くなったの。好きでいてもらえる自信がなくなって」
「なら、奈江はどうしてもらったら自信がつくんだ?」
「…………」
「言葉や態度。どうしてもらったら、好かれていると安心して自信が持てるんだ?」
「…………分からないわ」

 首を横に振ると、彗の硬い表情がふっと柔らかくなった。

「お前だけじゃない。皆、臆病なんだよ。自分は好かれてると思ってても陰で悪く言う奴もいる。特に好きな相手に対しては嫌われることに一層怖くなる。俺もそうだからさ」
「……え?」
「不安になるのは奈江だけじゃないってこと。むしろ、それは極自然なことだと思う。だけど、信頼っていうのはまず自分が相手を信じることから始まるんじゃないのか?」

 いつもとは違う、優しく語りかける彗の声が耳にこだまする。
 彼の言いたいことはよく分かる。
 けれど頭では理解できているのに、心はまだぐちゃぐちゃで。
 彗は困ったように頭をぽりぽりかいて言う。

「まぁ、自分なりの答えはそのうち出るだろうけど。ところで、奈江の婚約者に対する『好き』はどのくらい自信があるんだ?」
「……あたしの……?」
「奈江が自信がないと言ってるのは相手の気持ちだろ。だったら、奈江自身の気持ちはどうなんだ?」
「そんなの、……っ……」

 答えは決まっているはずなのに、なぜか一言も発せなかった。
 咄嗟に頭に浮かんできた単語はどれもしっくりこなくて。
 自分のことなのに分からなくなっていた。

(もし、本当に先生が他の人を好きだというなら……)

 悲しいけれど、自分が身を引くべきなんじゃないかという思いがよぎる。
 そうやって簡単に退くことを思いつく時点で、あたしが先生に対する『好き』っていう感情はその程度のものなのかもしれない。
 やっと掴みかけた恋すら自分から手離すなんて、きっと普通はしないだろう。
 だけど、あたしが願うのは先生の幸せだ。
 それ以上でもそれ以下でもない。

(あたしでは彼を幸せにできないなら、やっぱり――)

 そんなあたしを見かねてか、彗が先に口を開いた。

「俺が今日わざわざ呼んだのは、奈江と婚約者の関係性を知るためだ」
「……意味が分からないんだけど」
「つまり形だけの婚約者なのか、そうじゃないのか。どのみち、俺に諦めろっていう権限はないけど。結婚してしまう前に確かめておきたかった。奈江と相手の気持ちを、な」

 婚約の件で一言二言あると思っていたけれど。
 耳に入ってきた言葉は予想の斜め上で。

(でもこれって、心配してくれているのよね……?)

 相変わらず、注がれる視線は真摯なままだった。
 だけど、やっと合点がいった。
 どうして今頃、親経由で話がしたいなんて言い出すのかと思っていたけど。
 あたしが政略結婚させられると思って心配してくれていたんだ。
 彗は黙ったあたしの反応をどう取ったのか、まぁでも、と肩をすくめた。

「奈江がここまでお子様だとは思っていなかった。自分に正直にならないと、これからも色々苦労するぞ?」
「……慰める気があるのかないのか、どっちかハッキリしてくれない?!」
「その意気じゃん。それでこそ奈江だ」

 いつもの調子で反論していた自分に気づき、握りしめていた拳を緩める。

「あんまり言いたくないけどよ。婚約者が奈江を好きになったとしたら、きっと元気なお前を見てそう思ったはずだ。だからいつまでもメソメソするな」
「……分かったわよ」
「じゃあ夕飯、付き合え。誰かさんのせいで食いっぱぐれる羽目になったからな」

 軽口はあたしを気遣ってのことだとは聞かずとも分かっていた。