恋のパレード

大切なのは、過去か現在か未来か -6-

「奈江ちゃーん!」

 ぶんぶんと大きく手を振り上げているのは、見覚えのある姿だった。
 それは記憶に強く残っている、可愛いらしい小柄な女性。
 見知らぬ女子大生の待ち人が来た事で、遠巻きに見ていた男子たちは興味をなくしたかのように帰っていった。
 彼女の周りに誰もいなくなり、あたしは小走りで駆け寄った。

「相原さん……? どうしてここに?」
「この前はごめんなさい。私、何も知らなくて。だけど彼と待ち合わせしていた理由、聞いてくれる? いいえ、あなたには知る権利があるはずよ」

 強く言い切られ、すぐには返す言葉が見つからなかった。
 だけどジッと見てくる視線に耐え切れずに口を開く。

「あたしにはそんな権利はありません」
「婚約者なのでしょう?」
「……っ! 聞いたんですか?」
「というより、聞かずとも話してくれたという方が正しいのかな。昨日は私の友達の結婚式のことで相談していただけなの。その後すぐに別れたから、あなたが不安に思う事は何もなかったわ」

 真摯な眼差しは、とても嘘を言っているようには見えなかった。
 だけど、そうなると……。

「まさか、それを伝えにわざわざ……?」
「だってもし、私が奈江ちゃんの立場なら悶々と悩んで挙句、彼と離れる道を選んでいたかもしれないから。私はそんなこと望んでいないもの」
「……相原さんは強いですね。あたしなんかより、ずっと」
「どうして、そう思うの?」

 その声音は窺うような響きが帯びており、自然とあたしの声もトーンが下がる。

「もしあたしが相原さんの立場なら、同じ事をしたかどうか……。きっと、相手のことを思うと怖くて言えなかったと思います」
「ねえ、奈江ちゃん。私も少なからず気持ちは分かるつもりよ、同じ女として。だけどね、あなたより少しだけ長く生きている人ってことで言わせて欲しいの」
「………」

 強い意志が宿った瞳に射すくめられ、視線が逸らせなかった。

「過去を知りたいっていうのは当然だと思う。でも、大切なのは今この瞬間だと思うの。あまり過去に捉われると、大事なものを見失うこともあるかもしれない。昔の出来事を変えることはできないけど、未来は変えられるわ。だって未来は色んな可能性に満ちているもの。今日が明日に繋がっているように、今を大事にしてほしいの」

 その言葉は直接心に語りかけてくるような響きで。
 ずっとモヤモヤとぐるぐる巡っていただけの感情の着地点が、やっと見えた気がした。
 一方、目の前で熱弁を披露してくれた相原さんは我に返ったのか顔を赤らめた。

「ごめんね、早口で。どうしても伝えなくちゃと思ってたから、つい――」
「いいえ。そんな、こちらこそ」
「まあ、ともかくもそういうことだから。あとは直接本人と話しちゃって」
「……はい」

 そうして風のように去った相原さんの姿を見えなくなるまで目で追っていた。

        ......

 夕飯を食べた後、真っ直ぐ自室へ向かう。
 倒れ込むようにベッドにぽすんと体をうずめた。
 しばらくそのまま天井を見つめて、むくりと起き上がる。
 のろのろと勉強机まで歩いて鞄からケータイを取り出し、ベッドに腰掛ける。
 電話帳から該当の名前を探して、画面に電話番号を表示させる。

(……はあ……)

 通話ボタンを押すことさえ躊躇っている自分にため息が洩れた。
 自分らしくないとは自覚しているんだけど。
 いつもなら直接乗り込んで面と向かって聞くぐらいのことはするのに。
 昔の自分は一体どこに行ってしまったのか。
 我ながら消極的すぎて情けなくなり、二度目のため息をついてしまう。

(……幸せが逃げていくわよね、これじゃ)

 あたしはよし、と覚悟を決めて通話ボタンを押した。
 長いコール音が耳に張りつき、そろそろ切ろうかというところでプツンと途切れた。
 すぐさま少し焦ったような先生の声が聞こえてくる。

「あ、もしもし……っ。今、大丈夫ですか?」
『奈江? こんばんは。どうされたんですか、何かあったんですか?』
「その、お話をしたくて。でもお疲れですよね、すみません」

 謝りながら相手の都合を考えていなかったことを反省した。
 平日に電話をするのだって、気にかけなくちゃいけなかったのに。
 自分のことしか考えてなかった。
 先生には授業の後も細々とした雑用や会議など、仕事は山のようにあるのに。
 少し考えれば分かることにも気を配れないなんて。
 だけど、電話口から響くのはいつもの優しい声だった。

『いえ、それは大丈夫ですが。何ですか? お話って』
「実は今日、相原さんとお会いして……」
『なずなと?』

 その親しげな呼び方に咄嗟に耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
 先生が何でもない人を呼び捨てにするとは思えない。
 今まで過ごしてきた時間は当然違うわけで、彼にとってあたしの存在はどの程度なのかと思うと怖くなった。
 知り合ったのは去年の春だけど、顔を合わすのは英語の授業のときだけだった。
 そもそも一年生のときは二人きりでの会話なんてなかったわけだし、 二年に上がった今は授業での担当も外れてしまった。
 学校での接点はなくなり、考えれば考えるほど分かるのは知らないことだらけ。
 その事実に驚愕していると、ふと心配そうに自分を呼ぶ声が意識を戻す。

『奈江? あの、大丈夫ですか?』
「は、はい。よければ直接お話したいのですが、いつなら大丈夫でしょうか」
『そうですね。ちょっと今、放課後は受験生の勉強を見る約束をしていて。今度の土日なら大丈夫だと思います』
「……そう、ですか。それなら土曜に伺ってもいいですか?」
『用事というのは急ぎではないんですか? 何でしたら、今夜でも――』

 頭で考えるよりも先にその言葉を遮っていた。

「いえ、それには及びません。土曜日で結構ですから。それでは、おやすみなさい」
『……おやすみなさい』

 一方的に電話を切り、待ち受け画面をジッと見つめた。

(もっと気の利いたことを言えたらいいのに……)

 先生の迷惑はかけたくないと思うのに、やっていることは逆だ。
 彼のように、もっと大人の配慮ができればよかったのに。
 もどかしい思いが大きくなるばかりで、うまく立ち回れない自分が恥ずかしい。
 あたしはベッドから身を乗り出し、出窓から夜空を見上げた。
 大きくて濃い黄色の月は、暗闇の中でその存在を誇張させているように思えた。