恋のパレード

大切なのは、過去か現在か未来か -7-

「あの、こちらに常盤奈江さんって方いますか?」

 尋ねたのは後輩の男子生徒。
 あたしは教室前で立ち止まったまま、目の前の人物を見やった。
 柔らかそうな猫っ毛にくりっとした瞳、睫毛も長くてモデル並みの整った顔。
 けれど、生憎とその顔に見覚えはなくて。

「常盤奈江はあたしですが、何でしょう?」
「あっ、すみません! ええと堤先輩の部活の後輩で、朝比奈翼と言います」
「……もしかしてパートナーの件?」

 わざわざ訪ねてきた理由を読んで口にすると、朝比奈くんはこくりと頷いた。

「常盤先輩は本当に僕でもいいんでしょうか?」
「ええ、もちろん。それに、その台詞はこちらも同じなのだけど」
「僕は先輩さえ良ければ喜んで。クラスの女子たちは皆決まっちゃったみたいで困っていたんです……」
「なら交渉成立ってことで、当日よろしくね」

 あたしが手を差し出すと、大きな手が合わさる。

「こちらこそ、ホントお願いします」

 途端くしゃっとえくぼを見せた笑顔に、不覚にも一瞬見惚れてしまう。

(ってダメダメ。あたしには婚約者がいるんだから)

 可愛いという呼称がぴったりな後輩は軽く会釈して、自分の教室に戻っていった。
 その後ろ姿を見送り、今度こそ教室へと足を踏み出す。
 自分の席に座ると、見計らったようにみのりがやってきた。

「さっき、ちょうど朝比奈くんに会ったわよ」
「へーどうだった? 彼の第一印象は」

 興味深そうな視線を受け、さっきの笑みを思い出しながら言う。

「……そうねぇ。性格も素直そうだし、何より女の子受けが良さそうよね」
「あーやっぱりそう思う? まぁ黙っていればスタイルもいいし、外面だけはいいから女の子が放っておかないのよねえ」
「外面って……そんな感じはしなかったけど」
「まー性格は猫被ってるからね。アレで意外にもてるらしいよ。……ああ、常盤ちゃん相手にはちゃんと紳士に振る舞うと思うから、当日は心配しないで」
「そ、そう……?」
「もし何かあったら、私がきつく絞っとくから」

 みのりの迫力のある笑顔に気圧されて、おずおずと頷く。
 友達の新たな一面に驚きつつ、話題の矛先を変えることを試みる。

「けど……モテるんだったら、それこそ女の子が殺到しそうなものじゃない?」
「逆に相手はもういると思い込まれていたんじゃない? こういうのって先手必勝でしょ」
「な、なるほど」

 となると『ほぼ確定』と言っていたパートナーは真っ先に立候補したんだろうか。
 まさかフッたばかりの難波くんじゃないだろうし、相手は誰なんだろうと好奇心が芽生えたが、今はぐっと堪えた。
 これまでの付き合いから、現時点では口を割らないことは明らかだったから。

「ところで、みのりは文化祭の作品はもう仕上がったの?」
「ああ……うん。一つは完成してて、残りは二つかな」
「それって間に合うの?」
「うーん、正しくは『間に合わす』だよ。幽霊部員が多いから作品を出す人も少なくて、私たち顧問からプレッシャーかけられてるんだよね。……まあ何とかなるよ、きっと」

 最後の付け足しに、彼女ならその言葉通りにするだろうと容易に予測できた。

        ......

 夕飯を摂って入浴も済ませ、あとは寝るだけ。
 けれどまだ寝るのには少し早く、あたしは自室で愛読書を読み耽っていた。
 静かに夜が更けていく中、突然静寂を打ち破ったのは着信を告げる音。
 本から顔を上げて時計の針に視線を巡らすと、午後十時を指したところだった。
 しかし、この着信音を設定している人物はひとりだけ。
 まさかと思いながら手元にあったケータイをたぐり寄せ、液晶を食い入るように見た。
 そこにある名前は間違いなく日下部彬、と表示されていた。
 夢じゃないよねと何度も確認しつつ、おそるおそるケータイを耳に当てる。

「もしもし……?」
『こんばんは。夜分にすみません。今、少しよろしいでしょうか?』
「え、ええ」

 こんな時間に電話なんて初めてだ。
 一体何の用だろう、と不安と期待がない交ぜになる。
 でもやっぱり、声を聞くと先生に会いたいという感情が強くなっていくのが分かる。
 先生が授業を受け持つのは二年の後半クラス。
 前半クラスは違う女教師が担当のため、英語の授業で会うことも叶わない。
 そのため学校で姿を見つけることは殆どなく、理由を作って職員室や準備室に向かうほどの用件も特になくて。
 しかも、最近は気まずさから会う確率が高い場所をなんとなく避けていた。
 何より週末に会う約束を取り付けたばかりだし、先生から連絡があるなんて思ってもみなかったことで。
 軽く混乱していると、電話口から気まずそうな声が聞こえてきた。

『あの。実は下まで来ているのですが、少し出てこれませんか?』
「え?! ……って……今?!」

 驚きを包み隠すことなく叫ぶと、楽しそうな笑い声が電話越しに聞こえてくる。

『そうですよ。駄目ですか?』
「い、今から行きます!」

 急いで電話を切って椅子にかけていたカーデガンを奪うように取り、階段を駆け下りた。
 途中、すれ違ったお父様がのんびりとした声で言う。

「何をそんなに慌てているのかね」
「日下部さんが近くまで来ているようで。だからその……」
「ほう。わざわざこんな時間に。早く行って差し上げなさい」
「はい……。では」

 案に相違して快く送り出され、年頃の娘を持つ親としていいのだろうかと思いながらも玄関を目指す。
 警備員に一言断って正門を抜けると、しばらく歩いたところで街灯の下に駐車している一台の車を見つけた。
 近づくにつれ、先生が車に背中を預けて夜空を見上げているのが分かった。
 暗闇に溶け込むスーツ姿はいつもとは違う魅力を伴っていて、つい見入ってしまう。
 どれくらいそうしていただろう。
 ふと彼がおもむろに振り返り、その仕草をスローモーションのように感じていた。

「そこにいたんですか? すみません、気づかなくて」
「い、いえ。それより……急にどうされたんですか?」
「ちょっと顔が見たくて。あと、少し話もしたかったですし。でも、突然こんなに押しかけて迷惑でしたよね」
「そ、そんなことないです。それに、わざわざ来ていただいて……その、嬉しいです」
「あれ? 珍しいですね。奈江がこんなに素直だなんて」

 子供のように無邪気な笑顔でそう言われ、あたしは頬を膨らました。