恋のパレード

大切なのは、過去か現在か未来か -9-

 連れて来られたのは格式高いホテルの最上階だった。
 店先でケータイを人質に取られ、先導されるがまま足を踏み入れたのは展望レストラン。
 入り口から凝った装飾がされていたが、店内はシックな趣きで統一されていた。
 高校生は明らかに場違いで浮いているように思えたが、応対するボーイは門前払いすることなく、むしろ上得意様にするような丁寧な接客をしてくれた。
 そうして案内されたのは最奥の個室だった。
 夜景が一望できる指定席に座り、あたしは目の前の後輩を見据えた。

「そろそろ、種明かしをして貰えると嬉しいのだけど。普通の高校生はこんなところに入れないわよね?」
「ええ、実はこのホテルは両親が経営していまして。もちろん、ディナー代はご心配なく」
「……ということは、オーナーのご子息?」
「そうなりますね」

 素っ気なく答えた朝比奈くんは運ばれてきた前菜に手をつける。
 仕方なくあたしも料理を口に頬張りながら、彼の様子を盗み見る。
 ナイフとフォークの使い方は完璧で、ひとつひとつの動きも洗練されたものだった。
 だけど、その心中はさっぱり分からない。
 いきなりお礼をすると言って、わざわざこんなお店にまで連れてこられる理由はいくら考えても答えは出なかった。
 しかしケータイを返してもらうまでは、ひとりで帰るわけにもいかず。

(今夜は先生から連絡があるはず。でも、その事情を話すわけにはいかないし)

 万が一バレてしまったらと思うと下手な行動はできないでいた。
 次の一手はどうしよう、と相手を窺いながらお互い無言のまま皿を空にしていった。
 やがて沈黙を先に破ったのは向こうだった。

「常盤先輩って学校に好きな人、いますよね?」
「……!」
「ちょっと見てたら分かります。というか、先輩は分かりやすい方だから、もっと気をつけないといけないんじゃないんですか?」
「……え?」

 次々と落とされる爆弾発言は果たしてこちらを試しているのか、否か。
 値踏みするように視線を送るが、鉄壁の笑顔はそうそう崩れる気配はない。
 あたしは仕方なしにため息まじりに声を出す。

「好きな人って……何の話?」

 鎌を掛けられたのだとしたらボロを出す訳にはいかない。
 迂闊に喋れば、先生にも迷惑をかけてしまう。
 心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら、あくまで冷静を装う。
 朝比奈くんはグラスに注がれた水を含み、喉を潤してから答える。

「誤魔化そうとしても無駄ですよ。あなたの瞳の先は無意識に彼を追っている。その意味することはひとつしかないでしょう?」
「……嘘よ、そんなの。どうして朝比奈くんがそんなこと分かるの?」

 あたしの追求の視線を躱すように、彼の瞳は一面ガラス張りの外に向けられる。
 つられて外を見やる。
 夕陽が落ちて瑠璃色に染まっていく空には一番星が煌めいていた。
 ひとつだけ小さく輝く光に見とれていたせいか、朝比奈くんがあたしの横顔をジッと見ていたことに気づくのが遅れる。

「常盤先輩のお見合い相手が僕だったら良かったのに、って思っています」
「……なっ……?!」
「そうしたら僕にもチャンスがあったんじゃないかって。あなたを振り向かせるために、僕なりの口説き方でいろいろ手を尽くしたのになあ」
「……朝比奈くんは一体、何を知っているの……?」

 膝の上に置いていた手が震え、もう片方の手で抑える。

「僕が知っているのは、常盤財閥の令嬢が日下部グループ会長のご令孫と婚約したことくらいですよ。あとは昨日調べて知ったことですが、今回の縁談がまとまらなかった場合、次の候補には僕も含まれていたそうです」
「冗談……でしょう?」
「信じられないなら、ご両親に確かめてみたらどうですか? すぐ分かることですよ。……ああでも、心配しないでください。あなたが学校では身分を隠していること、日下部先生との婚約も秘密にしていることは承知していますから。誰にも話すつもりはありません」

 彼の言葉を素直に信じてもいいのか迷った。
 言葉を失っていると、二度目の爆弾発言が静寂を破る。

「残念ながら、もう僕が入る隙はないようですが。日下部先生も隅に置けませんね、女子高生を本気で口説くなんて」
「…………目的は何なの?」
「お近づきの印にご馳走したかっただけですよ。それに、学校だと誰に聞かれる分からないですから。ただ、今日は軽く宣戦布告も混じっていますけどね」

 彼が言い終わったタイミングでちょうどメインディッシュが運ばれてきた。
 会話を一時中断し、先生の手料理より濃い味付けのお肉を口に運ぶが、相変わらず頭は混乱したままだった。
 どうやら、あたしがヘマをするまでもなく全部お見通しらしい……けれど。
 ちらりと目の前の後輩の顔を盗み見るが、余裕綽々で料理を食べている。
 最初会ったときは、まさかこんな事態になるなんて思ってもみなくて。

(敵か味方かと言われたら、敵――?)

 不信感は膨らむ一方で、デザートを食べ終わるまでお互い何も言葉を発さなかった。
 ホテルを出てタクシーに乗り込むところで、ふと呼び止められる。

「そうそう。お約束の品、お返ししますね」
「……! ケータイ!」

 人質となっていたケータイの無事を確かめ、ほっと胸を撫でおろす。

(これで先生に連絡できる……!)

「今夜は楽しかったですよ。どうもありがとうございます」
「……今日はご馳走さまでした」
「いいえ。また学校で」

 バタンとドアが閉められ、あたしは動き出したタクシーの運転手に実家の住所を告げる。
 ふと後ろを振り返ると、彼はにこやかに手を振って見送っていた。

(一体どういうつもり……? 宣戦布告と言っていたけど、邪魔をするつもりなの?)

 答えは出ない。
 しかし現実として、先生との連絡手段は奪われて時間を拘束されていたわけで。
 あたしに警戒心を植え付けるには充分すぎる言動だった。
 いくら先生から事前に連絡が遅くなると言われていたとしても……。

(……あ)

 ケータイのパスコードを解くと、不在通知のメッセージが数件表示されていた。
 不在着信は予想通りの人物からのもので。
 さーっと血の気が引いていくのを感じながら着信時間を確認する。
 はじめに電話がかかってきた時間は、ちょうど学校を出てすぐだった。
 それから三十分おきに分かれて連絡があり、はじめの着信から数時間は経過している。

(どう謝ればいいの……?!)

 そして何より、彼は許してくれるだろうか。
 大事な約束をしていたのに、電話に一向に出ない婚約者に。
 ケータイを取り上げられて連絡ができなかったとはいえ、こんなに電話を貰っておきながら出なかった事実は消えることはない。
 こうなってしまったら言い訳はもう無意味だと思う。
 約束を忘れていたわけではなかった。
 むしろ、昨夜は初めてのお泊まりに緊張していたあまり、眠れなかったくらいだ。
 そして、先生の本音を聞き出す最後のチャンスとなるかもしれなかった。

(なのに……)

 こっちから連絡しても大丈夫だろうか、と余計な心配ばかりが募る。
 もう手遅れだったとしたら。
 最悪、電話にも出てもらえないかもしれない。
 許してくれというのは、あまりにも自分勝手な言い分だと思う。
 結局、目的地に着くまであたしはずっと画面に表示された婚約者の名前を見つめることしかできなかった。
 とぼとぼと門をくぐり、家のドアを開けると執事が出迎えてくれた。

「奈江お嬢様、お帰りなさいませ」
「ええ。ただいま……」
「本日は日下部様のお宅へ外泊ということでしたが……何かありましたか?」

 取り繕う余裕はなく俯いてしまう。
 今頃は先生の家にいるはずだったのに、どうして自分は家にいるんだろう。
 そこまで考えて――プツンと糸が切れ、気づけば叫んでいた。

「あーっもう! うだうだ考えてても仕方ないわ。申し訳ないけど、車を用意して」
「……かしこまりました。すぐに手配しましょう」
「あたしはちょっと着替えてくるから」
「承知いたしました」

 バタバタと急ぎ足で自室へ戻る。
 手早く服を着替え、前もって準備していたお泊まり用の鞄に制服も放り込む。
 上着を手に取り、階段をタンタンとリズムよく降りていく。
 そのまま玄関を出ると、見送りに出ていた執事が後部座席のドアを開けてくれた。

「ありがとう」
「いいえ、お嬢様のお役に立てたのなら幸いです。おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」

 ゆっくりと発進した車の中でケータイを握りしめる。
 ひょっとしたら手遅れかもしれない。
 だけど、謝るのだとしたらやっぱり直接会って謝りたい。
 会ってもらえないかもと思うと不安で仕方ないけど――それでも。

(このまま終わりになんて、したくない……)

 昔の自分のように気持ちを押し殺して諦めるのはもう、やめる。
 先生への想いは日々大きくなって抑えきれない。

(……会いたい……)

 とめどなく溢れてくる感情は制御できないほど強くて。
 落ち込むよりもまず、伝えたい心がある。
 目的地に到着するまで流れる景色をぼんやりと眺める。
 やがて先生のマンション前で車が停まり、運転手にお礼を述べてからひとり降りる。
 遠くなっていく車を見送ってから、大きく息を吸い込んだ。
 手に持っていた携帯を操作して着信履歴から該当の番号を押す。

「……………」

 コール音だけが耳に響く。
 電話の向こうで気付いているのか気付いていないのか、それさえも分からない。
 あたしは待つしかないとばかりに電話を片手に待ち続ける。
 ほどなくして、コール音がぷつりと途絶えた。

『もしもし……奈江?』

 電話口から聞こえた声にあたしは救われたような心地になっていた。