恋のパレード

夢と現実の境目 -10-

「……はああ」

 あたしがため息をついているのには、理由がある。
 つい先程まで行われていたのは体育の授業。
 今日は文化祭間近ということで、フォークダンスの練習だった。
 普段通りであれば、何のことはない運動量。
 けれども、今日の場合は少々事情が違っていて。
 先生にホテルから家に送ってもらって、制服に着替えるところまでは平気だった。
 問題は学校に着いてから。
 いつも通りに階段を上がり、自分のクラスに向かっていた。
 風邪でもないのに足取りは自然と重くなり、全身には倦怠感が広がっていた。
 おかしいな、と思いながらも午前の授業をこなして間もなく、その原因が判明した。
 それは偶然、先生と廊下で出会ったとき。
 彼の申し訳なさそうな顔を見て、この腰のだるさの要因が分かった。
 気を抜くと、背中を丸めてしまいそうな疲労感。その正体は。

(間違いなく、前日のアレが原因よね。昨夜はその……ちょっと激しかったわけで)

 思い返すだけでも、身体が火照っていく。
 昨日が初めてではなかったにせよ、あたしは全然慣れていないわけで。
 夜の情事の弊害までは計算していなかった。
 求められる口づけに応えるのに精一杯で。
 何度も何度も愛されて。
 熱っぽい瞳に捉われ、抗うことは到底できなかった。
 鮮明に蘇るのは先生の唇の感触、肌を滑る指先、そして激情を孕んだ抱擁。
 彼と繋がったときの感覚がなかなか消えない。
 昨夜のことを考えるだけで、ふわふわとした気持ちがあたしを包み込む。

(それにしても、どうして先生は平気そうだったのかしら)

 こちらはというと、正直立っているだけでも辛いというのに。
 とはいえ、学校内でそれを口にするわけにはいかず。
 瞳による抗議はあっさりと躱されて、彼は爽やかな笑みさえ浮かべていた。
 あれが大人の余裕というやつだろうか。
 男女の基礎体力の差もあるだろうけど、やっぱり、ちょっと悔しい。

(ともかく、次からはこんな風にならないように伝えておかなくちゃ)

 おかげさまで、授業に全然身が入らないもの。

        ......

 慌ただしく一週間が過ぎ、とうとう文化祭の前日。
 正門から学校内までがお祭りムード一色に染まっていた。
 前に文化委員と共同で作った看板も道路沿いに立てられ、いよいよなんだと実感する。
 今日は準備日として、授業は午前中まで。
 午後は各クラスの出し物の準備にあてられている。
 我がクラスも『執事&メイド喫茶』のセッティングに忙しくしているはずだ。
 かく言うあたしは総務委員の仕事のため、パンフレットの最終チェックで奔走している。
 廊下には楽しそうな笑い声や怒声が洩れ聞こえ、準備を抜け出してきたカップルの逢瀬にも何度かばったり遭遇していた。

(分かっていたけど。どこもかしこも、皆ラブラブだわね……)

 人目を憚らず、学校中でいちゃつく姿は文化祭前の名物らしい。
 その点で言えば、文化祭は新カップル成立に大きく貢献していると言えるかもしれない。
 後夜祭のフォークダンスに誘うついでに、告白する人が多いと聞く。
 前から気になっていた子にアタックするには、これは絶好のチャンスだろう。
 何となくパートナーを受けた子も、祭りの熱気でそのまま付き合う例も少なくないとか。

(……うらやましいな)

 学校では婚約者ではなく、教師と生徒として振る舞わなければいけない。
 生徒同士でのイベントでは当然、関わることもなくて。
 それに、二年生に上がってからは授業も担当から外れてしまって。
 ますます接点がなくなってしまった。
 胸元にある固い感触を確かめ、自分に大丈夫と囁きかける。
 先生から貰ったばかりの婚約指輪はチェーンに通し、首から下げている。
 それに触れるたび、先生の笑顔を思い出す。

(……うん。もう大丈夫)

 再度自分に暗示をかけ、自分のクラスに戻る。
 既に内装は様変わりしていて、どこかのレストランみたいな雰囲気を醸し出している。
 教室内をぐるりと見渡していると、自分を呼ぶ声がした。

「あ! 常盤ちゃん、おつかれー」
「ただいま、みのり」
「総務の仕事はもう終わったの?」
「ええ。何か手伝うことある?」

 あたしが尋ねると、ふふふ、と楽しそうな声が返る。

「絶好のタイミングでのご帰還だったね」
「……というと?」

 みのりに手招きされてついていく。
 教室の端では女子が輪を作り、それぞれ顔を綻ばしていた。

「じゃじゃーん!」
「……このお菓子はどうしたの?」
「当日お客さんに出すデザートの大試食会なのです!」
「へえー」

 机の上には、一口サイズに切り分けられたケーキ。
 彩りが華やかなデザートに目移りしていると、小清水さんが横から口を挟む。

「いつも頑張ってる常盤さんに、これを進呈しよう!」

 ずずずいっとフォークが口元に向けられ、あたしはたじろぐ。
 目の前にはにこにことした小清水さん。
 なぜか、周りにいた女子たちからも視線が集まり、とても断れる雰囲気ではない。
 意を決して口を開けると、ぽーんとケーキが放りこまれる。

「どう? どう?」
「…………美味しい……」
「やったね、常盤さんのお墨付きっ!」
「でもこれ、本当に美味しいよねー。幸せー」

 頬を緩めながら言うのは織部さん。
 あたしもこくこくと頷くと、何とも幸せそうな笑みが向けられる。

「そういえば、衣装の方は?」
「ふっふっふ……なかなかの完成度よ。当日は期待してもらっていいわ。最上っち渾身の力作だから」
「そ、そうなんだ。ともあれ、間に合って良かった」
「そうそう、常盤ちゃん。中でも執事服が無敵に素敵、な感じになったんだよ〜」

 みのりの説明に一体どんな感じになったんだろうと、一抹の不安を覚える。

(そもそも執事って、そんなにカッコイイものだったかしら)

 我が家の執事を思い出しながら首を捻る。
 いつも見慣れているせいか、どうも皆と感覚がずれている気がする。
 
(うーん。でもこればっかりは仕方ないのかな)

 考え込んでいると、でもねー、と織部さんが口を尖らす。

「ひとつ難点を挙げるとするなら、執事役が生徒会の仕事で教室に戻ってこないことよね」
「……そういえば、走り回ってる難波くんをさっき見かけたような」
「せっかく試着して貰おうと思ったのに」
「くじ引きで決まったとはいえ、彼も大変よね。当日は生徒会の見回りもするって言っていたのに、支障とかないのかしら」
「まあ、一日中拘束するわけじゃないんだし、大丈夫なんじゃない?」

 呑気な声に被さるように、一通り食べ終えたらしい小清水さんが話の輪に加わる。 

「と・こ・ろ・で」
「え……? な、なに……?」
「常盤さん。まだ試着してなかったわよね。堤さん、準備は?」
「いつでもオッケーです!」

 良からぬオーラが滲み出ているのは気のせいだろうか。
 みのりをはじめ、何かを企んでいるような笑みがあたしを囲み込む。
 どうやら退路は断たれたらしい。
 そして、あたしは即席の試着室となっていた一角へ連れこまれる羽目になった。

        ......

 その日の夜。
 あれから制服を脱がされ、瞬く間に下着姿にされて。
 半ば強引にメイド服に着替えさせられ、挙げ句、なぜか賞賛の言葉を頂いてしまった。
 どう反応を返せばいいのか分からず突っ立っていると、織部さんと小清水さんが肩を抱き合って、自分たちの仕事ぶりを誉め称え合っていた。

(確かに素材はチクチクしないし、着心地も良かったけれど……)

 後から聞いたが、最上さんは最後まで妥協したくないとかで被服室に籠って作業を続けていたらしい。何というか、その職人魂に尊敬してしまう。

(いよいよ明日、か……。本番は、一般解放の明後日だけど)

 うちの高校の文化祭は三日間行われる。
 金曜は生徒だけで、土曜は一般客を呼び込んで大々的に行われる。
 そして、最終日は生徒会主催イベントと後夜祭で幕引きとなる。
 一応、明日は準備予備日でもあるが、例年は各自部活の準備に追われることが多い。

(先生は……今日も忙しいのかな)

 ふう、と溜息をついた、そのとき。
 バイブにしたままだったケータイが小刻みに振動した。
 慌てて手に取ると、画面には日下部彬の文字。

「は、はいっ! もしもしっ」
『こんばんは。急にすみません、今大丈夫でしたか?』
「だ、大丈夫です」

 やば、声が上擦っちゃったかも。
 電話口からはくすりと笑う声が聞こえてくる。

『今すぐ抱きしめたいですね』
「えっ」
『ああすみません、つい本音が出てしまいました』
「…………そ、そうですか」
『今夜は時間が時間なので我慢します。ところで、クラスの準備はどうですか? この前のメールでは、衣装が間に合わないかもと書いてありましたが』
「ギリギリ間に合いました。衣装係の中にプロ並みの子がいたので」
『それは凄いですね。当日の衣装を見るのが楽しみです。奈江は接客をするんですよね?』

 確認するように言われ、あたしは赤面してしまう。
 今日試着した衣装を先生に見られるのかと思うと、どうしたって恥ずかしい。
 ああいう服を身内や好きな人に見られるのは、とんでもなく羞恥心を刺激する。

「く、くじ引きで決まったことですから……」
『時間を見つけて、奈江のクラスに遊びに行きますね』
「……う。その……見られるのは恥ずかしいと申しますか……」
『確か、メイド服に変更になったんですよね? スカート丈が短いとかですか?』
「いえ、丈はロングスカートですけど。似合っているか、ちょっと自信がないので」
『ますます見たいです。土曜日が待ち遠しいですね』

 しまった。先生の好奇心をくすぐってしまったらしい。

『明日に差し障りがあるといけませんから、そろそろ切りますね』
「あ、はい。おやすみなさい」
『おやすみなさい。奈江』

 電話が切れ、身近にあった先生の声が消える。
 もし、あたしたちが『教師と生徒』という関係でなかったなら。
 こんなに寂しい想いに駆られることもなかったんだろうか。
 友達に付き合っていることを隠したり、人目を忍んで会ったりする必要もなくて。
 登下校を一緒にしたり、休日は一緒に出かけたりできたんだろうか。

(ううん。あたしが財閥の人間じゃなかったら、先生と婚約することもなかったはず)

 同級生とは違う、秘密の関係。
 思い描いていた恋人同士とは違うけど、卒業までの辛抱だ。
 二年間秘密を守りきれば、晴れて自由。
 周りの目を気にする必要もないし、みのりにも包み隠さず話せる。

(だから、それまでは……)

 夢と現実の違いを噛み締めながら、ぽすん、とベッドに体を沈めた。