恋のパレード

ふたりきりの後夜祭 -3-

 特別教室棟の美術室に入ると、静寂が広がっていた。
 けれど、夜の海のような底の知れない雰囲気も感じさせて。
 独特の空気に飲みこまれそうになる。

「順路はこっちだからね」

 みのりの先導に従い、ディスプレイされた作品をひとつひとつ見ていく。
 油絵、水彩、鉛筆デッサンと人によって違うけれど。
 それぞれの世界観が作品に色濃く現れていて。

「あれ、……これが今年のやつ?」

 作品と下に貼ってある名前を見比べ、あたしは小さな驚きをこぼす。
 横にいた作者は胸を張って答える。

「ふっふっふ。人は常に進化を続ける生き物なのよ」

 みのりの展示作品は、淡い水彩で彩られたイラストが三枚。
 満面の笑みで花束を持っている女の子。
 楽しげに空を飛んでいる魔法少女。
 そして、木陰で談笑している袴姿のふたりの女学生。
 可愛らしい女の子は去年も同じだが、キャラの表情や陰影がより細かくなっている。

「一年生は時間的に一枚が限界だから、上級生は三作品以上がルールなの」
「衣装係もしながら、さぞ大変だったんじゃない?」
「んーまあね。でも一応、一年から作り始めていたから。最後の一枚は資料集めやらで、ちょっと時間かかっちゃったけど」

 改めて、お淑やかな女学生のイラストを見る。
 矢絣の袖に菫色の袴は大正時代を連想させたけど、普段着ないものだから、何も見ずに描くのは難しいだろう。

「去年より格段に上達しているの、素人目からでもよく分かるわ」
「実は先生からアドバイス貰ってから、塗り方とか変えてみたんだ。最近は家でパソコンでの色塗りもやってるんだけど、なかなか思うようにいかなくてねえ……」
「そうなの? 今でも充分、上手だと思うけど」
「いやいや、私なんかまだまだだよ」
「ううん。それでも、やっぱりすごいと思うわ」

 あたしが言い切ると、みのりは照れながら笑う。
 それから順路を進んで出口の近くまで来て、ふと足が止まる。
 躍動感のあるタッチや緻密に計算された構成に、目が惹きつけられた。

「ああそれ、朝比奈くんのだよ」

 あたしが息を呑んだ作品を見て、みのりが補足する。

「え、これを彼が……?」
「意外でしょ。見た目からは分からない、っていうか想像しがたい内面だもんね」
「…………」

 目の前に描かれていたのはユニコーンが夜空を翔る姿。
 全体的に柔らかな色使いで、オーロラも相まって幻想的な絵だった。
 どう頑張っても、強引な彼とはイコールで結びつかない。

(でも……この絵からは、優しくて繊細な人柄を感じるのよね)

 思いがけない一面を知り、彼への評価が変わる。
 どんな思いで、これを仕上げたのだろう。
 心を和ませる絵を見ていると、抱いていた警戒心は薄れていく。
 純粋に、彼のことをもっと知りたいと思った。

        ......

 生徒玄関前には、各クラスの宣伝パネルがずらりと並んでいる。
 美術部を後にしたあたしたちは、文化祭のしおりと見比べながら悩んでいた。

「んー、プラネタリウムの上演はさっき始まったばかりだし。演劇部の開演まで、まだ結構時間あるし……あ、このトリックアート展っていうのはどうかな?」
「ああ確か、三年生がやっていたわね」
「その道中にちょっとだけ寄り道していい?」
「いいけど、どこ行くの?」
「製菓研究部がお菓子を販売しているはずなの」

 みのりの並々ならぬ決意を秘めた瞳に、あたしは頷くことしかできなかった。
 それからお菓子を無事ゲットし、写真部や目についた部活を覗きながら、やっと辿り着いたトリックアートに目を奪われて。
 気がつけば、演劇部の上映時間まで僅かとなっていた。
 急いで講堂に向かい、運よく空いていた端の席に並んで座った。
 迫真の演技を見ながらも、ふとした瞬間にさっきのふたりの姿が脳裏をよぎる。

(相原さんと何を話していたんだろう)

 先生のことを信じていないわけではないのに。
 心はずっと落ち着かなくて。
 演目が終わるまで、もやもやした気分は晴れることはなかった。

「常盤ちゃん。一旦、教室に戻ってみようかと思うんだけど」

 みのりの提案に、意識をハッとさせた。
 一般客が帰る時間まであと少し、おそらく最後の追いこみをしている頃だろう。
 アンケート首位に立てるかどうか、少々気になるところだ。

「そ、そうね。様子を見に行くのも悪くないわよね」

 慌てて答えて、一緒に教室を目指す。

「そういえば、最終日のイベントって何するんだろうね」
「生徒会主催のやつよね。例年、当日まで秘密にしてるから分からないけど」
「去年は告白大会だったっけ。……謎にされていると、余計に気になるよねえ」
「まあね」

 苦笑いで答えている間に、メイド&執事喫茶店に辿り着く。
 ひょっこり顔をのぞかせると、衣装係の織部さんと小清水さんが笑顔で迎えてくれた。

「あ、常盤さんに堤さん。おかえりー」
「ただいま。……お客さんいないみたいだけど、売り上げは?」
「実はさっき、ケーキ完売したの。だから少し早いけど、店じまい」
「えっ?! すごいね、少しは余ると思ってたのに!」

 驚いたみのりに、後ろから最上さんが誇らしげに言う。

「お客の心を見事つかんだ結果よ。私も頑張った甲斐があったわ。……そうだ、常盤さんに渡すものがあったのよ」
「……あたしに?」
「そ。今日は素敵な被写体を求めて放浪していたのだけど、身近にこんないい素材があったなんて。もっと早くに気づくべきだったわ」

 熱く語られながら渡されたのは、一枚の写真。
 午前中、あたしが接客しているところを撮影したものだった。

(全然、気がつかなかった……でもこれ、よく撮れてる)

 写真の中の自分は別人のように輝いていて。
 笑顔で接客する姿は、メイドそのものという感じで。

「わっ、メイドさんがいるー! そっか、最上さんって写真部だっけ」

 横から覗き込んでいたみのりが感心するように言う。

「そうよ。去年までいた先輩が皆卒業しちゃって、今年からは部長よ」
「最上さんって写真部部長だったのね。衣装も作れて、写真もプロ並みなんて尊敬するわ」
「そんなに誉められると、ちょっとくすぐったいけど。とりあえず、それはいい写真を撮らせてもらったお礼だから」
「ありがとう。……いい記念になったわ」

 まさか、思い出がこんな風に形になるなんて思わなかった。
 けれども、こうして皆で頑張った時間を写真に残せるのは嬉しくて。
 写真をもう一度見直していると、悪いが通してくれーという声が聞こえてきた。
 振り返った先にいたのは、我らが担任。
 重そうに抱えた段ボール箱を教卓の上に置くと、よく通る声が教室内に響き渡る。

「お前ら、よく頑張ったな。完売の報酬だ。各自、好きなの選べ」

 箱の中には、いっぱいの紙パックが入っていた。
 ジュースやお茶の種類のバリエーションは、校内の自販機を思い出す。

「おお、太っ腹!」
「サンキュー先生。見直したよー!」
「……いいから早く持っていけ」

 それから教室内では、プチお疲れ様会が開催されて。
 どこからの横流しか分からない駄菓子をおつまみに、今までの頑張りを労った。

        ......

 家に帰って、ベッドに腰かける。
 そのまま後ろに倒れると、スプリングが利いたマットに体が小さく弾む。
 と、そこに頃合を見ていたように着信音が流れ出す。

(……こんな時間に誰かしら。この音は先生じゃないし)

 不思議に思いながら、ケータイを覗きこむ。
 ディスプレイに表示された名前は文化祭に来ていた人物のもので。
 すぐに通話ボタンを押した。

『いやー。日下部先生ってすげーいい人だな』

 いつも通り、彗は前置きを省いていきなり話しだす。
 慣れたつもりだったけど、すぐには話がつかめなくて首を捻ってしまう。
 毎回いきなり言われる身にもなってほしいところだ。

『奈江もそう思うだろ?』

 同意を求める声に、否定する理由もなくて。

「それはまあ、認めるけど」
『奈江も少しは見習った方がいいと思うぞ。だいたい、お前はお嬢様のくせに言葉遣いも乱暴だし、猪突猛進を地で行っているっていうか』
「彗。……あなた結局、今日は何しに来たのよ」

 教室で聞こうと思って聞けなかった質問を口にする。
 応じたのは、あっけらかんとした声だった。

『ああ、それはだな。文化祭って秋が多いだろ? うちもそうだし。ところが奈江の高校は五月開催っていうじゃないか。お祭り好きの俺としては、行かない選択肢は考えられない。去年は行き損なったからなー』
「…………本当にそれだけ?」
『なんだよ。他に理由が欲しいのかよ』
「そういうわけじゃないけど」

 前回はお見合いの件で心配してくれていたけど。
 てっきり先生に会いにきたのでは、と勘ぐってしまった自分が恥ずかしい。
 だが、そんなあたしの反省を吹き飛ばすように、彗は明るく言葉を付け加える。

『偶然とはいえ、お前の婚約者にも会えたし。ついでに、昔のこんな話やあんな話を吹き込んでおいたから』
「はああああ?!」
『ま、心の準備ぐらいはさせてやる』
「あなた、まさか嫌がらせしに来たわけ?!」
『何を言う。いとこから言うことなんて、他にないだろ』
「……っっ……」

 沸々とわき上がる怒りに、ケータイを持つ手にも自然と力がこもる。

「彗」
『なんだ?』
「悪気がないのは分かってはいるけど、婚約解消されたら彗のせいよ」
『へ』
「もしそうなったら、金輪際、口も利いてあげないから」
『ちょ、ちょっと待て。お前が心配することにはならな――』
「話は以上よ」

 彗の声を遮り、一方的に電話を切る。

(まったく……彗のばか)

 余計なことをしてくれたせいで、その日の夜はなかなか寝付けなかった。