恋のパレード

Love Summer! -2-

 今年の梅雨入りは例年より早くて、今日も朝から雨模様だった。
 しとしとと降る空の涙は、静かに窓を濡らしていく。
 そんな湿った雰囲気すら押しのけ、気持ちを上向きにさせるのは恋の魔力だろうか。
 自然と先生の部屋に通う足取りは軽い。
 学校では人目があるせいで、話すこともなかなか叶わない。
 だからこそ、週末の逢瀬は気兼ねなく恋人の時間を満喫できる、貴重な時間。
 なのだけれども。

「せ、先生……」
「何でしょう? というか、どうしたんです。そんなに距離を取って」
「いつもが近すぎるんですよ! このくらいが普通です」
「……何かありました?」

 先生が訝しむように声を低くした。
 彼の手料理をいただくのは別段、不満はない。
 というより、毎回の密かな楽しみになっているぐらいだ。
 だがしかし。
 前々回のお風呂のことといい、なぜいつもこんな状況になっているのだろう。
 前回は夕飯を食べる前、そして今夜は食べた後。
 先生の巧みな話術によって、組み敷かれる形になっていて。
 さっき食欲を満たしたばかりなのに、今まさに彼に食べられようとしていた。
 あたしはソファの端に避難し、声を上擦らせた。

「で、ですからっ」
「はい」
「毎回、必要以上にスキンシップを取る必要はないんじゃないかと……!」
「……駄目なんですか? 婚約者なのに?」
「う……」

 正論を投げかけられ、言葉に詰まる。

「触れたいという欲求は俺たちの関係では自然だと思うのですが」
「そ……それはだから……」
「もしかして、俺に抱かれるのはもう嫌とか?」
「ちっ、ちが……って! 近いです!!」
「じゃあ、何なんです? もっとハッキリ言ってくれないと分かりません」

 ぐぐっと先生が顔を近づけたせいで、取っていたはずの距離が縮まる。
 思わず後ろへ逃げると、ふかふかのソファに上半身が沈んだ。
 けれど困ったような瞳は容赦なく注がれ、あたしはたじろいだ。

「……普通の恋人同士なら、その……毎回、するものなんですか……?」
「…………」
「え、どうして黙っちゃうんですか」
「…………」
「せ、先生? ……あの?」

 黙りこんでしまった婚約者を窺うように見る。
 どのくらいそうしていただろう。
 ふと、先生の指があたしの頬を優しく撫でた。

「少なくとも、俺はあなたに触れたいと思っています。学校ではこんな風に触れることもできませんから。俺が生徒だったら、もっとあなたの近くにいられるのに」
「……あ……」
「これでは納得する理由になりませんか?」

 切実な声にあたしは頭を振った。

「では、もっと触れてもいいですか?」

 吐息が交わるほどの近さで見つめられて。
 心が早鐘を打つ。
 こくりと頷くと、先生の手がサマーニットの中に忍びこんでくる。
 いつもより少しだけ慎重なキスが落とされ、ブラのホックが外れる音がした。
 口づけが濃厚になっていくに従い、理性の壁が崩れていく。
 絡み合う舌先がガトーショコラの味を捉えて。
 お風呂もまだなのに、と頭の隅で考えるものの、抵抗らしい抵抗はできなくて。

「んっ……ふぁ……んん、あん」

 両胸を鷲掴みにされて、声に湿り気が帯びる。
 服の中でまさぐる手の動きに、すっかり翻弄されていた。
 いつしか、首筋を這っていた彼の唇が鎖骨を滑る。

「っぁ……はっ、ん……ぅ」
「不思議ですね。毎回こうやって満たされるのに、まだあなたを求めてしまいます」
「……やぁん……ッ」

 ニットを捲りあげられたかと思うと、露わになった胸の突起をぺろりと舐められる。
 硬くなった蕾を舌先でつつかれるたび、媚びたような声が洩れていく。

「ゃあっ……ん、ん、ぁああぁんっ」
「相変わらずいい反応ですね」
「ちょ、しゃ、喋らない、で……ぇっ……んぁっ、やぁ、あン!」

 肌蹴たスカートから晒された太腿に、先生が強く吸いつく。
 小さな痛みさえも快楽に変わっていき、自分が自分でなくなるみたいで怖くなった。

「せ、せんせ……!」

 彼に向かって両手を伸ばす。

「……どうしたんですか?」
「怖いの……なんか、変な感じで……おかしくなりそうな、感じで」

 たどたどしく言うと、先生が安心させるようにキスをひとつ落とした。

「大丈夫ですよ。俺も一緒ですから」
「え、先生も……?」
「幸せすぎて怖いくらいです。ずっとそばにいますから、安心してください」

 指が絡み、熱っぽい視線に心が揺さぶられる。
 睦言を囁き合う時間は幸福で。
 同じ気持ちだと知ると、さっきまであった不安はもうなくなっていた。
 そして、今夜も甘くて濃密なひと時に身を委ねた。

        ......

 連日降り注ぐ雨の中。
 雨水をたっぷりと浴びた紫陽花は、色鮮やかな紫に染まって。
 花びらは赤紫だったり、青紫だったり違った色合いを楽しませてくれていた。

「本当に……どこにでも現れるようになったわね」
「常盤先輩、それはあんまりな表現じゃないですか?」
「事実でしょう」

 今はお昼休憩の時間。
 総務だからという理不尽な理由で、担任から図書の返却をお願いされたまではいい。
 静謐な図書室の雰囲気も嫌いじゃないし。
 でも目の前にいる後輩の存在は、また別問題。
 忘れ物を取りに来たという朝比奈くんは、人懐っこい笑みを浮かべていて。
 図書委員だから、と書架の場所を教えてくれるのはありがたいけど。

(……こう見えて結構、油断ならないのよね)

 後夜祭での発言は記憶に新しい。
 だからこそ、簡単に気を許すのは危険な気がして。
 冷たくあしらうと、朝比奈くんは構わず喋り続けてくる。

「さすがに、そうやって警戒心を剥き出しにされると困りましたね。うーん、どうやったら心を開いてくれるのかな。それとも、ここは強引に攻めてみたり?」

 言いながら、朝比奈くんの腕があたしの腰を引き寄せる。
 書架と書架の間は、人がすれ違うのがやっとの距離で。

「やっ、離してっ」
「……あのさ。そういう台詞は逆効果だよ?」
「ちょっ、どこ触ってるの!」

 腰のくびれからお尻にかけて、朝比奈くんの手が滑り落ちる。
 キッと睨めつけると、彼は意外にもすぐに離れた。
 けれど、温もりはまだ残っていて。

「もう……何なの? 信じらんない!」
「あはは、男は危険だということを教えとこうかと」
「そんなの別に頼んでないから!」

 朝比奈くんは楽しげな顔のまま、両手を挙げた。

「もう何もしませんってば」
「それで素直に信用するとでも思ってるの?」
「うーん、やっぱり簡単には丸めこめないかー」
「……用事も終わったし、あたしは教室に戻るから」

 踵を返し、ずんずんと部屋の外へ向かう。
 予想とは反して、彼がついてくる気配はなくて。
 廊下に出たところで胸に手を当てる。

(全く。あんなところ、もし先生に見られでもしたら……冗談じゃないわ)

 そして、不覚にもドキドキしてしまった自分が情けなくて。
 彼以外に迫られるなんて、もう懲り懲りだ。
 先生のことを思うと、先日のいちゃいちゃまで蘇ってしまい、顔が一気に火照った。

        ......

 金曜日の夜、あたしはそわそわとしていた。
 こんなに待ち遠しいと思うのは、きっとあのことが原因だと思う。
 朝比奈くんに触られたのは、図書室での一回のみ。
 でも、あたしが触れて欲しいと願うのは、たったひとりだけ。

「うう……やっぱり、少し気合を入れすぎたかしら」

 鏡に映った姿を見ながら、ひとり呟く。
 脱衣所で下着姿の現在。
 入浴を済ませ、ぽかぽかになった体は石鹸のにおいがして。
 早く服を着ないと風邪をひく、と分かってはいるものの、踏ん切りがつかなくて。
 鏡の中の自分は、透け感のある黒い下着を纏っていた。
 バストアップもしながら可愛さも秘めた、いわゆる勝負下着というやつで。

「食前はなかったってことは、きっと食後よね」

 いつもと違った下着をつけているせいか、どうしても落ち着かない。
 肌を覆う面積も極端に少ないため、何だかすーすーとするし。

「いや、女は度胸よ! ファイトよ奈江!」

 自分に喝を入れ、寝巻きに着替えて居間へ戻る。
 先生は居間で読書をしていたらしく、本を膝に乗せたまま、寝息を立てていた。
 起こさないように気をつけ、そっと顔を覗きこむ。
 健やかな寝顔はあまりにも無防備で。
 あたしは苦笑いを浮かべながら、彼の横に腰を下ろした。
 すると、先生の瞼がかすかに動く。

「……ん……」
「あ。起こしちゃいました? すみません」

 先生はぱっちりと目を開け、あたしを不思議そうに見る。

「あれ……ああ、寝ちゃってたんですね。俺」
「ええ。お疲れだったんですね」
「ちょっと最近忙しくて、あまり寝てなくて。どうもすみません」
「じゃあ、今日は早めに休まないとですね」
「そうですね。そうしましょうか」

 先生が立ち上がり、寝室へと足を向ける。
 あたしもその背中を追い、黒で統一された部屋に入った。

「奈江。横へどうぞ」
「は、はい……」

 わずかな緊張とともにベッドに潜りこみ、彼の横に落ち着く。

「やっぱり、奈江がいると安心感が違いますね」

 そう言いながら、先生はあたしを抱き枕のように抱えて。
 嬉しいような、恥ずかしいような。
 彼の大きな手が背中をさすり、これからの期待感で胸がざわつく。
 しかし待てども待てども、その時はやってこなかった。

(……あれ……?)

 不思議に思って先生を見やると、彼の両目はしっかり閉じられていて。
 まさか、と思いながら耳を澄ます。
 小さながらも規則正しい寝息が聞こえてきて。
 今度は身じろぎしても彼が起きる気配はなかった。

(はあ。期待していただけに、この虚しさったらないわね……)

 嬉しい誤算は、先生の抱きしめる力が全然緩まないことだった。
 彼に包まれているという実感。
 それをいっぱい感じられて、寂しい気持ちは薄れていた。
 婚約者の寝顔を堪能できる喜びに浸りながら、あたしは睡魔がくるのを待った。