恋のパレード

Love Summer! -3-

 あたしはパキラに水やりを終え、先生を盗み見る。
 ソファに腰掛け、食後の珈琲を片手に読書をしている姿はかっこよくて。
 英文の雑誌だから余計にそう思うのかもしれない。

(今夜は……どうなのかしら)

 勝負下着まで用意した先週を回想し、内心ため息をつく。
 こないだは見事に肩透かしを食らったわけで。
 相手は社会人だし、毎回がっつかれるよりは良いとは思うけれど。
 寂しくなかったと言えば嘘になる。

「あれ……?」

 あたしの呟きに先生が素早く反応した。

「どうかしましたか?」
「えっと……もしかして観葉植物が増えたかな、と……」

 あたしが視線を向けた先には、ミニサボテンがあった。
 窓際の小さい存在はガラス容器に入れられ、カラーサンドで色鮮やかに彩られている。

「ああ。実はなずなに勧められて、ひとつだけじゃ寂しすぎると」
「え? ここに来られたんですか?」

 驚いて尋ねると、先生はまさか、とすぐに否定した。

「違いますよ。彼女は花屋でバイトしていて、たまに寄るんです。植物が元気がないときとか、肥料のやり方について教えてもらうために」
「そ、そうなんですか……」

 一瞬でも彼を疑ってしまった自分を叱咤したい。
 もういっそ雨にでも打たれて、この煩悩を綺麗に洗い流してこようか。
 そんなことをつらつら考えていると。
 突然、地響きのような音がし、窓に大きな振動が伝わる。
 何事かと顔を上げると、カーテンの隙間から眩しい雷光が部屋中を照らした。

「きゃあ……ッ?!」

 ぺたん、とその場にしゃがみこむ。
 小刻みに揺れる腕を片方の手でつかんで、震えを抑えようとする。
 しかし、不意打ちの雷にうまく体の制御ができなくて。

「……っ……」
「奈江。大丈夫ですか?」
「……は、はい……なんとか」
「俺がいますから、何も怖いことはありませんよ」

 膝をついて屈んだ先生に抱きしめられ、背中を優しくさすられる。
 そのまま抱きついていると、彼の髪からシャンプーの香りがほのかにした。
 今も尚、窓を打ちつける雨風が遠くに感じる。
 安心する匂いに、徐々に心は落ち着きを取り戻して。

「あ、あの……もう大丈夫です」

 そう答えて、精一杯の笑顔を向ける。
 先生は瞳を揺らし、あたしの頬に手を伸ばした。
 まるで磁石で引き寄せられたみたいに、唇と唇の距離が縮まっていく。
 彼の長い睫毛が瞼にかかり、瞳を閉じる。
 ――――ところが。

「時間も遅いので……今日はもう寝ましょうか」

 両目を開けると、先生は少しだけ辛そうな顔であたしを見ていて。
 咄嗟に何かしただろうか、と不安になる。
 しかしその考えを打ち切るように、体がふわりと浮く。

「え?! ……お、降ろしてください……!」
「でも奈江、腰が抜けちゃってるでしょう?」
「重いですし! 腕にも負荷がかかりますし! とにかく降ろしてくださいっ」

 だが、必死の懇願は呆気なく却下された。

「だめです」
「……どうしてですか……」
「こういうのは男の特権なんですよ」

 笑顔で寝室へ連行され、その日は手を繋ぎながら一緒に眠りに就いた。

        ......

 今日は晴天で、太陽を拝むのも久しぶりだ。
 せっかくの梅雨の中休み。
 ということで、放課後はみのりの買い物に付き合うことになって。
 やってきたのは駅前の大きな文房具店。
 彼女の画材道具を揃え、あたしたちはクレープ屋で一息をついていた。

「はあああー。期末テストがあると思うと、気が滅入っちゃうねぇ」

 ジメジメした梅雨に負けないくらい、どんよりとした声が聞こえてきて。
 あたしはパタパタと扇いでいた手を止める。

「学生の本分は勉強なんだし、進学のためにも真面目にやっておいて損はないと思うけど」
「……ううう。常盤ちゃんが先生みたいに諭してくるよう……」
「ご、ごめんってば。……でも赤点とると、最悪留年よ?」
「ひいいい! それ全然笑えないからっ。そんな真顔で脅さないでよぉぉぉ」
「…………みのり、あたしが悪かったわ。今度、勉強に付き合うから」

 途端、悲痛な面持ちでいたみのりが瞳を輝かせた。

「本当?? 頼りにしてるねっ!」
「いやー清々しいほどの変わりぶり。堤先輩には恐れ入りますね」
「……で。どうして、ここにあなたがいるの?」

 視線を横に移すと、朝比奈くんは涼しい顔で答える。

「いいじゃないですか。別に減るものじゃないでしょう?」
「……常盤ちゃん。この場合、気にした方が負けだよ」

 みのりは既に諦めモードらしく、チョコクレープを頬張った。
 オープンテラスの隣のテーブルには、ちゃっかりついて来た朝比奈くんがいた。
 学校を出る前のこと。
 美術部に顔を出さなきゃ、と付き添った先でこの後輩に見つかってしまって。
 なぜか彼も同行することになったわけだけど。

(まったく。何を考えてるのか、分かりづらいったらないわ)

 朝比奈くんはと言えば。
 こっちが拍子抜けするくらい、飄々としていて。
 実はそれすらも油断させるためとか、色々勘ぐってしまう自分がおかしいのか。
 晴れやかな空を眺めながら、あたしはそっとため息をついた。

(それにしても……今日は色々と新鮮だったわね)

 学校帰りに友達の買い物に付き合ったり、買い食いをしたり。
 今までは、どれも厳しい門限で叶わなかったことだ。
 放課後は習い事に家の用事に、と分刻みでスケジュールが組まれていて。

(この自由は先生のおかげなのよね。彼がいろいろ手を回してくれたから)

 お泊まりのこともそうだし、これまでダメだったことは殆どが許されるようになった。
 けれど本音を洩らせば、ここに先生がいてくれたら。
 きっと、このチーズケーキクレープもさらに美味しかったと思う。
 でも彼とこうして学校帰りに遊ぶことなんて、夢のまた夢。
 高校生と教師という壁。
 それはたまに高くそびえ立ち、力のない自分は見上げることしかできない。
 空から降り注ぐ容赦ない紫外線に、あたしは目を細めた。

        ......

「わっ、また見えましたよ! あっちも……!」
「……ええ。俺も見えました」
「梅雨空が続いていたから、今夜の流星群も見れるか心配していたんですけど。今日は一段と星が綺麗に感じますね」

 あたしがはしゃいで言うと、先生が柔らかく微笑んだ。

「きっと、雨が大気中の埃や塵を洗い流してくれたんでしょうね。あ、また流れ星ですよ」
「どこですかっ?」
「ほら、あちらです」

 木曜はあいにくの雨だったが、今日は梅雨の晴れ間となって。
 先生の部屋から見る流星群にあたしは見入っていた。

「奈江。寒くありませんか?」
「大丈夫です。だって先生が温めてくれてますから」

 今、あたしたちはベランダで寄り添っていて。
 先生に預けていた体を起こし、隣の婚約者をジッと見つめる。
 視線が絡み合う瞬間は、まるで時が止まったみたいで。
 心に甘い疼きが走り、彼に触れたいという欲求が生まれる。

「……先生……」

 前回はキスすらもなくて。
 本当に嫌われているのなら、これではっきり分かると思ったから。
 あたしは両目を瞑り、彼の反応を待った。
 やがて遠慮がちに肩に彼の手が置かれ、そして掠めるだけの接吻が落とされた。

「…………」

 閉じていた瞳をゆっくり開ける。
 目の前にはこの前と同じく、少し躊躇ったような表情があって。
 あたしは落胆を笑顔の中に閉じこめ、口を開く。

「……今日はこれで失礼しますね」
「え、もうお帰りですか?」
「そうですけど……」
「てっきり、泊まって行かれるのかと思っていました」

 残念そうに言われ、あたしは傾げていた首を元の位置に戻す。

「あの。試験が終わるまで、会うのは控えた方がいいと思うんです」
「……分かりました……」
「先生、そんな露骨に落ちこまないでください。少しの間、会えないだけですよ」
「…………」
「ひゃっ?!」
「奈江は俺に会えなくても寂しくないんですか?」
「さ、寂しい云々じゃなくて……」

 甘えたように頬にキスされ、反応に困った。

(これじゃ、ご主人様に構ってほしいワンコみたいじゃない……)

 だが自分は学生の本分を全うしなければいけない。
 即ち、勉学に励むべし。
 恋愛に現を抜かしているようでは、成績も落としてしまうだろう。
 教師の未来の妻が、そんな醜態を晒すわけにはいかない。
 ここは心を鬼にして毅然とした態度を貫かねば。

「先生の婚約者として、誰にも恥じないようにしたいんです。高校生のあたしができることは、ちゃんとした成績を修めること。ですから、試験勉強にも集中して臨みたいんです」

 はっきりとした口調で告げると、密着していた体が離れる。

「そこまで言われたら、俺も引き留められませんね。勉強で何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってください。これでも教師ですから」
「大丈夫です。ひとりで何とかなると思います」
「……そうですよね。学年首位の実績を出しているのが証拠ですしね……」

 先生は、なぜか悲しげに遠くを見ていた。

(ううん……おそらく嫌われているわけじゃないけど。何かひっかかるわね)

 彼が再び紳士に戻ってしまった理由。
 結局その原因が分からないまま、あたしは実家に送り届けてもらった。