恋のパレード

Love Summer! -5-

 ある日の昼下がり。
 長かった梅雨も明け、晴天が続いているのに心は曇天で。
 事あるごとに頭をよぎるのは、先生のこと。

「常盤ちゃん。ため息は幸せが逃げていくよ?」
「そうよね。ごめん、気をつける……」

 しかし、言ったそばから再び大きな息が口から溢れてしまう。
 慌てて口に手を当てると、みのりは苦笑いを浮かべた。

「これは重症だね」
「そうかも……しれないわ」
「煮詰まったときは気分転換も必要だよ。私で良ければ、いつでも話聞くし」

 みのりは制服に着替え終わっていて。
 あたしはのろのろと体操着からセーラーに腕を通す。

「……ありがとう。そのうち、相談するかも」
「ん。じゃあ、教室戻ろっか」

 更衣室を後にし、気持ちを切り替えようと深呼吸をする。
 けれど、視界に想い人の姿を見つけてしまって、あたしは固まってしまった。
 無意識に体操着を抱えた腕に力が入る。

「どうしたの? ……常盤ちゃん?」
「あ、ううん。なんでもない」

 みのりを急かすように、その場を離れる。
 渡り廊下を歩いていた先生は、女性教師と仲睦まじく話していた。
 化粧もばっちりな英語教師は同性から見ても、女の魅力を醸し出していて。
 どうしたって今の自分と比較してしまう。

(彼女なら、先生の横に並んでも不自然じゃない……)

 こんなことで嫉妬してしまうなんて、どれだけ小さい人間なんだろう。
 それだけ余裕がなくなっていると思うと余計、焦りが募った。

        ......

 放課後の夏空は眩しいくらい爽やかで。
 あてもなく大通りを歩いていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。

「……相原さん?」

 小さな花屋の前で鉢を移動している姿に、あたしは足を止めた。
 彼女は、中にいる店員と話しながら配置のレイアウトをしているらしかった。
 近づくと足音で気がついたのか、相原さんが振り返る。

「いらっしゃいま……ああ! 奈江ちゃん!」
「こ、こんにちは」
「久しぶりだねー。元気してた?」
「ええ。はい、まあ……」

 曖昧に頷くと、相原さんがすっくと立ち上がる。

「ちょっと待っててね」

 店の中に消えてしまった姿を目で追うが、色とりどりの花で奥の様子が見えない。

(そういえば、彼女は先生の昔の好きな人なのよね。ということは、相原さんが先生のタイプっていうことよね……)

 彼好みの女性になるには、どうしたらいいだろう。
 少しでも先生に釣り合うように、大人の魅力を身につけたい。
 でも自分なりに努力したつもりでも所詮、それは高校生の背伸びに過ぎなくて。
 大人の先生を満足させることは難しい気がする。

(数年経てば、あたしも大人の女性になれるのかしら……)

 考えれば考えるだけ、不安は大きくなる一方で。
 ひとりで悶々とするより、誰かに相談した方がいいのかもしれない。
 そう結論づけていると突然、視界が何かに塞がれた。

「わっ?!」

 いきなり目の前に現れた黄色い存在。
 その正体が風に揺られる向日葵だと気づくまでに、数秒の時差が生じる。

「夏をおすそ分け」
「……え?」
「私からのプレゼントだよ。貰ってくれる?」

 花束を差し出され、あたしは目をぱちくりさせた。

「で、でも……」
「この前は迷惑かけちゃったし、ここで会ったのも何かの縁だと思うから。深く気にせず、受け取ってくれると嬉しいな」

 かすみ草と一緒に包まれた向日葵は、見ているだけでも元気を分けてくれるようで。
 
「あ……ありがとうごさいます」
「気が向いたときにでも、また気兼ねなく寄ってね」
「……はいっ」

 夏を象徴する花と同じ眩しい顔に、あたしも自然と笑顔になっていた。

        ......

 寝る前、最近の日課のストレッチをする。
 柔軟体操で体をほぐし、ついでに凝り固まった思考も柔らかくするためだ。
 前屈をしていると、電話の着信音が鳴り響く。

「この音は先生……? 結構遅い時間なのに、何かあったのかしら」

 上体を起こし、机に置いていたケータイを手に取った。
 一抹の不安を抱えながら通話ボタンを押す。

「も、もしもし」
『こんばんは。奈江』
「……ええと。どうかされたんですか?」

 先生は少しの間を置いてから、ぽつりと呟いた。

『子供じみた言い方だと思いますが、奈江に会いたくてしょうがないんです』
「……は?」
『会えない時間がこれほど寂しいと思ったことはありません』
「で、でも。結婚したらずっと一緒にいられますよ?」
『今この瞬間、奈江はそばにいないじゃないですか。ずっと、あなたに触れていたい』

 甘えたというより、拗ねたような言葉の羅列に。
 あたしはひたすら首を傾げていた。

(一体どうしたのかしら。いつもの先生じゃないみたい……)

 そこまで考えて、もしかして、とある仮定が脳裏で閃く。

「あの、先生。ひょっとしてお酒を飲まれました?」
『……ええ。実は飲み会に誘われて。よく分かりましたね』

 前にも似たようなことがあったが、今回は少し様子が違う気がする。
 理性が残っていた以前と比べてみても。
 砂糖菓子のように甘い声は、より脳内にダイレクトに響く。
 先生はこんな風に隙を見せる性格じゃない。
 だからこそ、弱みを晒すような行為は親しい者しか知らないはずで。

(酔っ払っているとはいえ、あたしに電話してくれたことは結構、嬉しいかも……)

 思わず顔がにやけていると、先生はふわふわした喋り方で話を続けた。

『早く式を終えて、奈江とずっと一緒にいたいです。あなたがいない家は広くて、物悲しく感じますから』

 沈痛な訴えに、今すぐ彼を抱きしめたい衝動に駆られる。
 ひとりきりの寂寥感は、冬景色のように心を灰色に染めていくから。

「週末はずっとそばにいますから、それまで待っていてください」
『……約束ですよ?』
「はい。約束は必ず守ります。ですから安心して今夜は寝てくださいね」
『わかりました。……おやすみなさい、奈江』
「おやすみなさい」

 電話を切り、カーテンを引く。
 雲間から覗く月明かりを見上げ、彼と観た流星群を思い出していた。

(お酒のせいもあるだろうけど……案外、先生も子供みたいなところがあるのね)

 最近、彼の印象はどんどん変わっていって。
 当初は自分とは違う、分別を弁えた大人だと思っていた。
 それが今では、今夜みたいに弱い部分を曝け出してくれるようになって。

(これって信頼されているってことよね)

 あたしは自分を安心させるように胸に手を当てた。

        ......

 期末試験が終わり、茹だるような外気温の中。
 我が校では夏休み前に夏季スポーツ大会が毎年あって。
 唯一の救いは今年度から外での種目は減り、室内での競技が増えた点だ。

「わーさすが、運動神経がいい人たちは違うねぇ」

 女子バスケの試合を見ながら、みのりが声を弾ませる。
 あたしたちは体育館の端に身を寄せ合って、クラスメイトの応援をしていた。
 パスワークを駆使し、ボールが織部さんの手元に戻る。
 それから、キュッとシューズの音がした後。
 背の高い彼女が綺麗なフォームでスリーポイントを決める。
 途端、横から歓喜の声が上がった。
 残り数分という土壇場でうちが逆転したからだ。

「うん……なんか、輝いているって感じよね」
「あんなにカッコよく決められると、もう惚れちゃいそうだよね」
「言いたいことは分かるけど。……その後、難波くんとはどうなの?」
「ええー。いきなり?」

 みのりは困ったような顔で、うーん、と唸りだした。

「たまに出かけたりはするけど。やっぱりまだ、仲の良い男友達ってところかな?」
「ふうん……そういえば、みのりって年上がタイプなの?」
「や、別にそういうわけじゃないけど」

 夏前にあわよくば、と思っていたけれど。
 この分だと、難波くんが友達の域を出る日は当分先だろう。

「そういう常盤ちゃんはどうなの? 彼氏さんは年上なんだよね?」
「えっ、ええと……それは、その……」

 今度は自分が逆襲される形になり、たじたじになってしまう。

(ここは思い切って相談してみる……?)

 以前、歳の離れた社会人と付き合っていたという彼女。
 相談するとしたら、みのりしかいない。

「あ、あのね。変なことを聞くかもしれないんだけど、年上との付き合い方ってどうしたらいいのかしら」
「……へ……?」
「子供扱いされている場合、有効なのは大人の女性を演じるしかないのかな。やっぱり」
「……ううん、そうだなあ。私はそのままでいいと思うけど」
「本当に? 本当にそう思う?」

 疑うように尋ねると、みのりは小さく頷く。

「私は無理に自分を偽らない方がいいと思うよ。だって、ずっと続けていくのって苦痛になると思うし。高校生の自分は今しかないわけだし、そもそも本当に子供だと思っている子と付き合うとか有り得ないし」

 キッパリと断言され、そうなんだ、と納得する。
 と、そこで試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。
 顔を上げると、横からバタバタとクラスメイトが駆け寄ってきた。

「あ、いたいた! 堤さん、そろそろ出番だよー早くー!」
「常盤ちゃん、ごめん。ちょっといってくるね!」
「う、うん。頑張ってね」

 バレーの試合に向かう後ろ姿を見送り、息を吐く。
 今年の種目はあみだくじで決まったのだが、あたしの出番はまだ先で。
 ひとりでポツンと座っていると、みのりと入れ違いで織部さんがやってきた。

「お疲れ様。試合見てたよ、大活躍だったね」
「お、ありがとー。隣いい?」
「もちろん」

 織部さんはペットボトルのお茶を豪快に飲み干す。

「あー疲れた! でも、気分はすごくいいかも」
「次の試合は何時から?」
「準決勝は午後からだってさ。だから、それまではしっかり休憩しとくよ」
「なるほど。それがいいわね」

 頷くと、彼女がふと身を乗り出した。
 その瞳は心なしか、興味津々といったように輝いていて。

「ね。前から聞きたかったんだけど、常盤さんの好きなタイプってどんな人?」
「……ええ? 突然なに?」
「いやあ、他校の知り合いがさー。キレイ系の女子とお近づきになりたいって言ってて。彼氏とかいないんなら、今度どうかなーって」

 そういえば、彼女は人の恋バナが好きだった……ような。
 となると彼氏がいると教えたら、あれこれ聞かれるのは想像に難くない。

「彼氏は……今はいないけど。そういうところは苦手だから、ごめんなさい」
「そっかー。じゃあせめて、年上か年下かだけでも!」

 懇願するように言われ、あたしは困惑しつつも答える。

「……敢えて言うなら年上……かな」
「ほうほう。ちなみに何歳上までオッケー?」
「うーん……。八歳ぐらい……?」
「じゃあ、うちの学校だと日下部先生あたりか。もしかして、ああいう感じがタイプ?」
「……っ……」
「あ、ビンゴだった? そっかー、先生みたいな男がタイプなら同級生はみんな子供よねー。聞いたところ先生もフリーみたいだし。この際、狙っちゃえば?」

 これが冗談だとは分かる。
 分かるけれど、冗談として受け流す余裕はなくて。

「ち、違うわ。日下部先生は全然タイプじゃないから! あたしが好きなのは、もっと明るくて楽しい人なの……!!」
「そかそか、常盤さんのタイプはムードメーカーってことね。……げっ」

 織部さんの視線の先を追うと、日下部先生の姿があって。
 苦笑いした表情を見るに、あたしたちの会話が聞こえていたのは明白で。
 さーっと血の気が引いていく。
 すぐさま織部さんが立ち上がり、何やらフォローしてくれているみたいだったけど。
 あたしは気まずくて、視線を合わすことすらできなかった。