恋のパレード

Love Summer! -6-

 先生のマンションに通うようになって、もう結構経つ。
 でもまさか、こんなに足取りが重くなる日が来るなんて思わなかった。
 あたしは沈んだ面持ちのまま、彼の部屋でそのときを待つ。
 そして、メールに書かれていた帰宅時間きっかりに、チャイムの音が鳴った。
 慌てて迎えに行くと、少し疲れた顔の先生がいて。

「お、おかえりなさい。今日もお疲れ様です」
「ただいまです」
「あ。鞄、持ちますよ」
「いえいえ。このぐらい大丈夫ですよ」

 言いながら、先生は真っ直ぐキッチンへ向かう。

「今日は温めるだけなので、すぐできますからね」
「……は、はい」

 どうやって切り出せばいいのだろう。
 悶々と考えている間にも、先生はテキパキと夕飯の準備を終えてしまっていて。
 目の前に置かれたお皿の音を合図に、あたしはくわっと目を見開く。

(後回しにしてたら余計言い出せなくなるわ。言うなら今よ……!)

 自分を奮い立たせ、配膳を済ませた先生の腕を掴む。
 予期しない引き留めを食らった彼は、驚いた様子で目を瞬く。

「この前の、クラスメイトとの会話なんですけど……」

 先生は少し考えるように、視線を彷徨わせた。
 けれど、すぐに思い当たったようで再び目線が合わさる。

「……ああ。あのときの」
「あれは……本意じゃないんです。でも結果的に先生を傷つけました。謝って済む問題じゃないのは分かっていますが……ごめんなさい」

 自分の発言は迂闊だったと思う。
 誤魔化すにしても、もっといい言葉があったはずだ。
 思慮に欠けていたとしか言わざるを得ない。
 思い返せば返すほど、自分の浅はかさに視線が下がってしまう。

(これで許してほしいと願うのは……虫のいい話だって分かってる)

 俯いていると、諭すような声が聞こえてきた。

「顔を上げてください。大丈夫ですよ、奈江の気持ちを疑ってはいませんから。こちらこそ嘘をつかせてしまってすみません」
「……そんな、先生が謝ることなんて何もないじゃないですか」
「いいえ。あなたがこうして辛い顔をしているのは、俺が原因でしょう?」

 何もかも見透かしたような瞳に、自分の歪んだ顔が映っていて。

「で、でも……」

 言いかけた口は、先生の指で塞がっていた。

「これ以上、自分を責めないでください。俺が好きなのは元気なあなたなんですから」
「……はい……」
「それに、簡単に奈江を手放すつもりもありませんし」

 どうやら心配は杞憂だったみたいだけど。
 あたしは熱くなった頬を冷ますのに一苦労する羽目になった。

        ......

 お風呂から上がると、リビングに先生の姿はなくて。
 寝室も覗いてみたけれど、そこにも人の気配はなかった。
 どこだろうと廊下をひたひた歩くと、ドアの隙間から漏れた光が視界に入る。

(ここは確か、書斎だったかしら……)

 ノックを数回すると、すぐに中から応答が返ってきて。
 ゆっくりとドアノブを回す。

「先生? ……お仕事ですか?」
「ああ、いえいえ。実はこれを眺めていて」

 先生は回転椅子をくるりとさせ、手招きした。

「あたしも見ていいんですか? ……っっ?!」
「どれも魅力的で迷いますね」
「いえ、あの。というか、どうして先生がこの写真をっ」

 パソコン画面に開かれた幾つかの画像ファイル。
 その写真は、どれも記憶に新しいもので。

「奈江のお母様がご好意で送ってくださったんですよ。どの候補も捨てがたい、素敵な写真が撮れたからと。本番で着る衣装は、結婚式まで秘密なんですけどね」

 あの日は、休む間もなく着せ替えられて。
 毎回カメラマンがアングルを変えながら写真に収めていた。
 まるで着せ替え人形のような気分で、後半はほとんど無に近い心境だったけれども。

「マーメイドも体のラインが美しいですよね。クラシック系もいいですし、お姫様みたいなドレスも大変可愛らしいです」

 先生が指差す写真を横から覗きこむ。
 ワンショルダーとティアードドレスで、全体的にボリュームがあるデザインだ。

(少し可愛すぎるかと思っていたけど。案外、先生の好みはこっちなのかしら……)

 ひとり悶々としていると、ああでも、と声が続く。

「このドレスは、他と違った上品な雰囲気ですね」
「……あ、これですか。そうですね、背中の開きから袖にかけてのレースが可愛かったですよ。シルクジョーゼットのトレーンも短すぎず、ちょうどいい長さでした。この写真はひだが綺麗に映っていますね」
「トレーン?」
「ええと、ウェディングドレスの引き裾のことです。花嫁が後ろに長く引きずっているスカートの部分です」
「……なるほど。女性なら、やはり長い方が憧れますか?」

 何気なく聞かれて答えに迷う。
 確かに、結婚式のドレスと聞いて想像するのはロングなトレーンだ。
 けれども、いざ自分が着るものとなると。

「憧れないって言ったら嘘になりますが……あたしは先生が一番似合っていると思ってくれたものを着たいです。……その、着るからには、先生に可愛いと思われたいですし」
「……奈江」
「あ、はい」
「今この瞬間も充分に可愛いですよ」

 にこにこと言われ、咄嗟に目を逸らしてしまう。

「そ、そんなことないです。それはそうと……先生も試着を?」
「俺はまだですよ。奈江の衣装を決めてからということになりまして。花嫁のドレスに合う服を着ることになっています」
「…………そうだったんですか」

 またしても、あの親。
 娘への事前説明を省略して事を進めていたらしい。

「俺もその場で見たかったです。写真だけだなんて勿体ない」
「……んんっ」

 顎を持ち上げられてのキスは切なげで。
 きゅうんと胸が締めつけられた心地になる。

「当日を楽しみにしていますから」
「……ありがとうございます」

 視線が交わり、ドキドキが止まらない。
 けれども、彼の言葉にすぐさま現実に引き戻された。

「準備も着々と進んで、あっという間に当日が来そうですね」
「でも先生、結婚式の段取りとか……うちの親がいろいろ迷惑をかけているような気が」
「そんなことはありませんよ。実は俺からも注文をつけさせて貰っていますし」
「……そうなんですか?」
「はい。無理を言ってお願いしてありますし、ご両親の要望を聞くのは当然ですよ」

 そこまで強いこだわりがあるなんて、思ってもみない事で。

「先生の注文って何だったんですか?」
「……楽しみは後に取っておきましょうか」
「ええ? とても気になるのですが、今教えてくれないんですか?」
「そのうち教えますから。あまりくっつかれると、このまま襲っちゃいますよ」

 冗談交じりだと分かる、その艶っぽい声に。
 あたしはいつもなら言わないであろう言葉を口にしていた。

「…………襲ってもいいですから、教えてください」