恋のパレード

Love Summer! -7-

 今仕方、自分が発した声が脳内に反響している。

「……奈江?」

 困惑した瞳があたしを見上げていて。
 今まで胸で燻っていた不安が確信に変わる。

(あたしでは先生を満足させられないから。……だからもう、触れてくれないのね)

 知識も経験も少ない子供の自分じゃ、大人の先生には釣り合わない。
 最近はかすめるだけの短いキスが多くなって。
 本当はもっともっと、触れてほしい。
 だけど子供の我が儘だと呆れられ、先生をさらに落胆させるだけなら。
 この気持ちは伝えるべきじゃないと思う。

「どうしたんですか?」

 案じるような視線が注がれ、あたしは口を引き結んだ。

「あの、先生」
「はい。何ですか?」

 予想通りの返答に、つい眉根が寄ってしまう。

「その優等生みたいな回答は何ですか」
「……えっと?」

 困った顔は、あたしの意図を計りかねているからだろう。
 自分の言い方に非があるのは百も承知。
 だって、気が急いて的確な言葉を探す手間さえ惜しいのだから。

「前から思っていたんですけど、いつまで敬語を通すつもりですか?」
「ああ、そのことですか。どうしても教え子だと思うと、敬語になってしまいまして」

 やはり、という言葉が頭を過ぎる。
 しかしそうなれば、これだけは確認しておかなくてはならない。

「それは……婚約者というよりも教え子の認識が強い、ということですよね?」
「奈江が教え子であることに変わりはありませんから。それに、あなたはまだ我が校に在籍する生徒ですし」
「仰ることは分かります。でも今は学校の外ですよ? もっと言えば、ここにはあたしたち以外には誰もいません。生徒としてしか見れないのなら、はっきりそう言ってください」

 先生に他意はないのは分かっている。
 しかし教師と生徒という垣根が、今こうして立ちはだかっていて。
 あたしはそれを取り払いたいのに。
 彼に悪意がないだけ、より残酷に心を抉られるようで。
 高校生である以上、同じ目線に立つことさえ許されないのだろうか。

「……奈江。こっちを向いて」
「…………」
「すごく泣きそうな顔になっていますよ」

 一体、誰のせいだと思っているの。
 そのまま口を噤んでいると、痺れを切らしたように声が続く。

「いくら親同士が決めた婚姻だからとはいえ、軽い気持ちで教え子を抱くようなことはしませんよ。……俺は以前、あなたを幸せにすると言いました。それは俺が教師である以上、難しいことなのかもしれません」

 紡がれる言葉は、そのまま心の奥へと染み渡る。

「ですが、これだけは信じてほしい。奈江を教え子としか見れないと思っていたら、この婚約は成立していません」
「……け、けどっ。教え子であることに変わりはないって……!」

 先ほど言われた言葉を蒸し返すと、先生が薄く息を吐く。

「では、もっと分かりやすく言いましょうか。校内でも校外でも、俺にとって奈江は特別な女性です。教え子だと自分に言い聞かせているのは、理性が働いている表れですよ。決して婚約者として見ていないからではないんです。……これでも信じてくれませんか?」

 視線を合わせると、先生の瞳はわずかに揺らいでいて。
 こんな表情をさせるつもりじゃなかった。

「ごめん……なさい」
「いえ。そもそも俺の言い方が悪かったからですね」

 いつも、そう。
 彼は――先生はいつだってあたしを責めることはしなくて。
 あろうことか、こうして謝ってくれる。
 だけどそれは、どう足掻いても歳の差は埋められない、と言われているみたいで。
 そのたびに実感するのは自分の幼稚さだった。

「奈江は俺が教師であることが嫌ですか?」
「…………え?」

 弾けるように顔を上げる。
 目の前に佇む先生の顔は、どこか神妙な面持ちだった。

「もし俺が教師ではなく、普通のサラリーマンだったなら。そうしたら、今のあなたの不安は違っていたのではありませんか?」
「…………」
「教師と生徒として出会ってしまったから――本来、好きになるはずのない相手が婚約者になってしまったから」
「ま、待ってください。それは……違います」

 もし違う出会いをしていたなら。
 今までと同様に、このお見合い話は蹴っていたはずだ。
 そうしなかったのは一年前、彼の授業を受けていたからに他ならない。
 彼が高校教師でなければ、知らなかった一面は多くて。
 生徒からの質問に丁寧に答える姿も、時折見せる笑顔がとても優しげだということも。
 他の教師とは違う部分を知るたび、小さな発見が嬉しくて。

(だからきっと、先生に恋をするのは時間の問題だった)

 今は結納も済ませ、正式な婚約者になれて嬉しいのに。
 先生にそれを否定されるのは心が痛くて。
 彼以外と結ばれる未来はもう、考えられない。

「あたしにとって、教師の道を選んだ先生は誇りです」
「…………」
「授業以外での接点はなかったですが、あたしは先生の授業が好きでしたから」

 嘘偽りのない気持ちをそのまま言葉に乗せる。
 すると、先生は少しだけ照れたように頬を掻いて。

「まさか、そんな風に言って頂けるなんて思ってもみなくて。……ちょっと恥ずかしいですね。でも今、教師であって良かったと心から思います」
「先生にとって、あたしはどんな生徒でした……?」

 興味本位で尋ねると、先生は真剣に考え出してしまった。
 それから少しの間があった後。

「あなたは成績優秀で、発音も完璧でしたからね。正直、俺が教えることが申し訳ないと思うときもありました。ですが、真面目に授業を受ける姿勢に、いつしか惹かれていて。あなたのクラスに行くときが一番楽しみでした」
「……っ」
「どうしました? 顔を背けて」

 くいっと顎先を持ち上げられ、強引に視線が交わる。

「だ……だって。知らずに、お互い惹かれあっていたと思うと……なんかこう」
「前に言ったでしょう? 似た者同士は惹かれあう運命だと。俺は奈江を思うだけで、心が満たされるんですよ」

 胸が痺れるような囁きに、咄嗟に声が出なくて。
 悶えていると、ふと視界が暗くなる。

「……ん……」
「俺のあなたを思う気持ち、どうやったら伝わるのでしょうね?」
「んぅ……ん……んん」

 繰り返されるのはソフトなキス。
 先生の思いがいっぱい詰まった優しい唇。
 それが何度となく重ねられ、不安でいっぱいだった心も幸せに満ちていく。

「好きですよ、奈江」
「……あたしも好き、です……」

 気持ちを通い合わせたキスは、蕩けるように甘くて。
 もう、それ以上を望む必要もなかった。
 愛されていることは充分なほど、実感できたから。
 その日、あたしたちは指を絡めながら眠りに落ちた。