恋のパレード

Love Summer! -8-

 毎年の恒例とはいえ、そばに先生がいないのは味気なくて。
 どうせなら彼と来たかった。
 そうしたら、今頃は素敵な時間を過ごせていたと思う。

「奈江お嬢様。お客様がいらっしゃいました」

 奧埜の言葉に、あたしは彗でも来たんだろうと顔を上げた。

「あら。どなたかしら」
「同じ学校に通われている、朝比奈翼様と伺っておりますが」
「…………は?」

 これから夕飯に出かけるというタイミングでの訪問者。
 けれど、ここは異国の地。
 もっと言えば、毎年避暑に訪れる北欧のリゾートホテルで。
 北の白都と称される首都から車で二時間ほどかかる、歴史ある街。
 まさか、そんな場所で後輩の名前が出てくるなんて。
 一体、誰が予想できただろうか。

「先にレストランでお待ちしているということですが、いかがなさいますか?」

 あたしは額に手をやった。
 しばらく悩み抜いた末、絞り出すように声を出す。

「…………行くわ。案内して」

 奧埜に先導されたテーブルには案の定、見覚えのある顔があった。

「あ、常盤先輩」
「この場合、どこから突っ込めばいいのかしら……」
「細かいことは適当に流した方がいいですよ。精神的に」
「……そうね。今日の訪問者はなかったことにして自室に戻るわ」

 忠告通りに背中を向けると、抗議の声が上がる。 

「いやいや、僕の存在をスルーするのだけはやめてくださいよ」
「……はあ。何しに来たのよ?」
「実は親の仕事の付き添いで来たんですが、常盤先輩がここにいると聞いたので。これも何かの縁ですし、ディナーぐらい付き合ってくださいよ」
「……本当にたまたまなの?」
「ええ。それは本当です。僕だってびっくりしたんですから」

 おどけたように笑う顔は、嘘をついているようには見えなくて。
 渋々、朝比奈くんの真向かいの席に腰をおろす。
 注文を終えると、彼が先に口を開いた。

「何だか元気がないですね。婚約者と喧嘩でもしたんですか?」
「どうして……そう思うの」
「気になる女性の変化ぐらい分かりますよ。僕に乗り換えて楽になっちゃいましょうよ」
「謹んで遠慮するわ」

 先生のいない寂しさを紛らわすべく、グラスを傾ける。

「残念ですが、仕方ありませんね。それなら今日は特別サービスです」
「サービス?」
「今夜に限り、無料相談を請け負います。取り扱いジャンルは恋愛一本。……さあ、話してください。真摯に対応させてもらいますよ」

 そのとき、あたしの心は弱っていたんだと思う。
 出国前に憂いを払おうと思い、先生に詰め寄ったあの夜。
 自分と同じように不安を抱えていたと知り、結局、理由を問いただすことはできなくて。
 嫌われていないことだけは明らかになった。
 でも、あの日も肌を重ね合わすことはないまま別れて。
 どうして、という疑問ばかりが心を占めていく。
 曖昧にぼかしながら悩みを打ち明けると、さらりとした言葉が返ってきた。

「男が必要以上に触れなくなった原因は簡単ですよ」
「……それは?」

 ごくりと喉を鳴らす。
 朝比奈くんは、たっぷりと間をとってから答えた。

「他に好きな女性――或いは、気になる人がいる場合です」

        ......

 夏休みがある生徒とは違い、先生は変わらず仕事があって。
 帰国後、久しぶりの逢瀬は金曜の夜になった。
 夕飯を食べ終えて、テレビを見ている先生の横顔を盗み見る。

(寂しかったのはあたしだけだったのかしら……)

 定時で帰ってきた先生はいつも通り、何も変わらなくて。
 ホッとすると同時に残念に思う。
 会えない時間は無機質で、早く会いたいという思いは日々募るばかりで。
 時間の流れがとても遅く感じたのに。
 あたしだけかと思うと、惨めな気持ちになる。
 太腿に置いていた手をぶらりとさせると、ソファ横の紙袋がカサリと音を立てた。

「あ……先生。今、いいですか?」
「はい。なんでしょう」

 先生は動物番組から視線を移し、不思議そうに小首を傾げた。

「これ、お土産です」

 忘れないうちに、と紙袋から出したお菓子の缶を差し出す。
 今回チョイスしたのは有名な老舗の店のもの。
 だから味は大丈夫なはずだ。おそらく。

「どうもありがとうございます」

 笑顔で受け取る先生は、まるで子供みたいに無邪気な顔で。
 それを見ていたら、胸の疼きが堪えきれないほど大きくなっていく。

(……ああもう!)

 考えるより先に手が出ていた。

「わっ?!」

 先生のネクタイを力任せに引っ張ったせいで、彼の上半身が傾ぐ。
 あたしはそのまま強引に唇を重ねた。
 押しつけるだけのキスは、彼の戸惑いが伝わってきて。
 離れると、呆気にとられた顔が目の前にあった。

「……もっと」
「え?」
「もっと、いっぱい触れてほしいのに。先生はあたしにキスされるのも嫌なんですか?」

 驚きの表情が、今度は困惑したものに変わる。
 その変化にちくりと心が痛んだ。

「高校生はまだ子供だって思われるかもしれませんが、あたしは先生に子供扱いしてほしくないです。ちゃんと、一人の女性として見てください。キスだけじゃ足りません……」
「……奈江」

 こんなに好きなのに。
 今すぐにでも、と求めてしまうくらい先生のことしか考えられないのに。
 触れられなくなってしまった体は、温もりに飢えていて。

「先生」
「はい」
「…………」
「奈江? どうかしましたか?」
「…………だっ……」
「だ?」
「――抱いてくださいっ!」

 口からついて出た言葉は、もう取り消せない。
 先生みたいに大人っぽく振る舞いたかったけれど、今のあたしにはできそうになかった。
 彼の真意を探るには、もうこの方法しか浮かばなかったから。
 後悔はしていない。
 けれど、必死の思いで告げた一言に対する答えは、残酷なものだった。

「キス以上のことをねだる、わけですか……」

 諦めたような独り言がした後、長い沈黙が訪れる。
 自分は拒絶されたのだ。
 それが分かると、急速に頭が冷えていく。
 もう恋人でいられないのなら、あたしが取るべき行動はひとつだけ。
 大きく息を吸いこみ、瞳を揺らす彼をまっすぐと見る。

「他に好きな人ができたのなら、おとなしく身を引きます。だから正直に話してください。すぐに婚約破棄するのは難しいかもしれませんが、先生のためならあたしも全力で」
「ちょ、ちょっと待ってください。……奈江は誤解していますよ」
「誤解……ですか?」

 先生の否定に、あたしは我に返る。
 握りしめていた拳を緩め、続く言葉を待った。

「俺には、他に好きな人なんていません。母親の墓前に誓ってもいい、奈江以外とどうにかなりたいなんて思っていませんよ」
「だったらっ。だったら教えてください。これから夫婦になるのに、好きな人に女として見られないなんて悲しすぎます」
「…………申し訳ありません。実は――」

 意識を研ぎ澄まし、彼の言葉に耳を傾ける。
 しかし、その内容は予想の斜め上のものだった。