恋のパレード

Love Summer! -10-

 山道を走り、車に揺られること数時間。
 食料品の買い出しも終わり、目的地に着いたときには西日も傾き出していた。
 日中は涼しいと思う風も少し肌寒くなる。
 秋の気配に包まれた森の中、あたしは新鮮な空気を大きく吸いこんだ。

「お気に召していただけましたか?」

 先生の声に、笑顔で頷く。

「ええ。もちろんです。式の前にこんな風に先生と旅行ができるなんて……嬉しいです」
「喜んでいただけたようなら、俺も嬉しいですよ」

 肩を引き寄せられ、先生との距離がぐっと近くなる。
 慣れないスキンシップに動揺していると、彼が優しく笑う。

「なかなか大っぴらにデートもできませんからね。婚前旅行は前から計画していたのですが、日程がやっと確保できて良かったです」

 長かった夏休みも残すところ、あと三日。
 あたしは今、先生の招待を受けて日下部家の別荘地に来ていた。

        ......

 バーベキューでお腹を満たした後。
 後片付けを終えた先生が夜空を見上げながら言った。

「実はここを選んだのは理由があるんです」

 紺碧の空から隣へ視線を移すと、不意に右手をすくい上げられた。
 薬指を優しく撫でられ、くすぐったい気持ちになる。
 そこには、いつもは首に下げている婚約指輪がはまっていたから。

「夜の散歩に行きましょうか。お見せしたい場所があるんです」

 あたしが断る理由は、なかった。
 しかし薄暗い夜道を歩くというのは、多少のスリルも含んでいて。
 慣れない山道で何度か足を取られるたび、先生に助けられるということを繰り返して。
 ちょっと情けない気持ちになってしまう。
 でも繋がれた手から感じる体温は、変わらず安らぎを与えてくれていて。
 ぎゅっと握ると、すぐに握り返してくれる。

(こんなに些細なことでも嬉しいと感じるのは先生だから、よね……)

 秋の虫の声を聞きながら、胸にじんわりと広がる幸せを噛み締めた。
 誰に見られる心配もない。
 彼とお揃いの指輪をつけることも、こうしてふたりで堂々と外を出歩くことも。
 卒業したら全部叶うことだけども。
 あたしが高校生である限り、もうしばらく我慢しなければならない。
 だからこそ、今この瞬間はやっぱり特別で。

「先生」
「疲れました? 少し休みましょうか?」

 すぐさま足を止め、心配そうに覗きこんでくる瞳。
 目の前にいる彼がたまらなく愛しくて仕方ない。
 けれど、面と向かって好きだと伝えるのは恥ずかしくて。

「ここは……星が綺麗ですね」

 咄嗟に頭上を指差すと、先生は同意の声を洩らす。

「そうですね。ひとつひとつが、それこそ宝石を散りばめたみたいに輝いて見えますね」
「何だか、手を伸ばしたら届きそうなくらいです」

 満天の星空の下。
 いつもより空を近くに感じるのは、空気が澄んでいるからだろうか。
 それとも大好きな人がそばにいるから、きらきらが増して見えるのだろうか。

「……宝石なら手が届きますよ」
「え?」
「ほら、こうすれば」

 疑問符を頭に浮かべていると、先生に抱きしめられていた。
 耳元から、彼の規則正しい鼓動の音が聞こえてきて。
 強く抱きしめられて嬉しいと思う反面、少しだけ息苦しくて。

「……あ、あの……」

 先生は腕の力を緩めて、あたしを見つめていた。
 心なしか、いつもより情熱的な瞳で。

「俺にとって、かけがえのない宝石は奈江ですよ。夜空に瞬く宝石よりもずっと輝いて見えます。今のままでも充分綺麗ですが、これから更に美しさに磨きがかかると思うと……正直、誰にも見せたくないですね」

 心の準備が何一つできていない状況で。
 いきなりこんなことを言われた日には、どうしたらいいのでしょうか。

「え……えっと……」

 あたふたしていると、ふと先生が屈んだ。

「……っ?!」

 既に先生は元の距離感に戻っている。
 あたしは自分の額に手を当てて、数秒前の出来事を整理しようと頭を働かせる。
 さっき、彼の唇の感触がしたのは間違いない。
 でもその場所はあたしの口唇ではなく、おでこの方で。
 彼とのキスは慣れているはずなのに。

(どうして今更、あたしはこんなにドキドキしているの……?)

 触れた時間はほんの一瞬。
 だけれど、胸の高鳴りは簡単にはおさまらなくて。

「そういう初心な反応をされると、こっちが恥ずかしくなってきますね」
「……だ、だったら。そういうことをしなければ――!」
「それは無理です。奈江のことが可愛いなと思うと、勝手に体が動いてしまうので」

 事も無げに言われ、あたしは固まった。
 これを無自覚で言ってるのだとしたら、これほど厄介な人はいないと思う。
 一体、どれだけ人の心を揺さぶれば気が済むのかしら。

「そうやってむくれている姿も新鮮で、とても可愛らしいですが。……あまり夜風に当たると風邪をひきかねませんから、先を急ぐとしましょうか。目的地はここの高台ですから」

 なだめられながら到着した場所は、なかなか眺めの良いところだった。
 眼下には宿泊するコテージも見える。
 その逆の方向には、ライトアップされた大きめの建物があった。

(……あんなところに何かあったかしら?)

 あたしの疑問を見透かしたように、先生が言葉を添える。

「あれは教会ですよ」
「……こんなところに?」
「ええ。森の中の教会っていうコンセプトなんだそうです。そばには湖があって、紅葉の時期は赤と緑のコントラストが湖面に映って、とても綺麗なんですよ」
「そうなんですか。というか結構、お詳しいんですね」
「俺たちが式を挙げる場所ですから」
「……式……?」

 聞き間違いかと目を丸くさせていると、先生は繰り返して言う。

「今年の秋、俺たちが結婚式を行う教会です」
「え、ええと……本当に?」
「はい。今日はそれをあなたに見せたくて、お連れした次第です。と言っても、夜だとよく見えないとは思いますが。全貌は当日に見て頂く予定です」

 結婚式の打ち合わせは、ほぼあたしのいないところで進んでいて。
 当事者なのに、蚊帳の外にいることが多いように思う。
 それほど強い希望があるわけではないし、今までそれほど不満もなかったけれど。
 先生には、この場所に何かこだわりがあるように感じて。

「もしかして、式場を選んだのは先生ですか?」
「……ええ。そうです」

 恥ずかしそうに首に手を回す姿は、珍しくて。

「先生にとって、ここは思い出深い場所なんですか……?」
「そんな大げさなことではないんです。ただ、幼いころ迷った時にあの教会を見つけて。ちょうど花嫁がブーケトスをするところでした。幸せそうなふたりから目が離せなくて……子供ながら憧れたんです。俺もいつか、ここで式を挙げたいと。それから牧師さんとも知り合いになって。この前、式の予約をしに来たんですよ」

 初めて聞く話に胸が熱くなった。
 自分の知らない、先生の幼い思い出を共有できた気がしたから。

「おしゃれな大聖堂や海外の挙式も勧められたんですが、どうしても捨てきれなくて。……奈江からしたら物足りなく感じるかもしれませんが」
「あたしも――ここがいいです。自然が近くに感じられるこの場所で、先生と幸せな瞬間を迎えたいです」
「ありがとうございます。この場所で触れるのは当日までとっておきますね」

 愛おしそうに唇をなぞられて。
 先生の指先が触れた場所がじんわりと熱くなっていく。

(……今、絶対顔が赤くなっているわ)

 両頬に手を当てていると、さっきとは打って変わって真面目な声がした。

「俺は日下部グループ会長の孫でありながら、教師という生き方を選んだ男です。結婚すれば、今までの裕福な暮らしとは縁遠い生活になるでしょう。いざというとき、常盤財閥に対抗できるほどの地位も権力もありません」

 先生は両手を広げてから、言葉を続ける。

「ご覧の通り、俺には何の力もありません。ですが、あなたを愛する気持ちだけは誰にも負けません。生涯をかけて幸せにすると誓います。常盤奈江さん、俺と結婚して頂けますか」
「――――はい」

 この人以外、もう誰も見えない。
 木漏れ日の中、純白のドレスで彼と並んで歩く姿を想像してみて。
 夏の夜空で受けたプロポーズは胸を熱く焦がした。