恋のパレード

君だけを愛していたい -6-

 金曜日の午後。
 LHRは、修学旅行での諸注意が担任からあった後は自由で。
 班ごとに分かれて、自由行動の計画書を練る時間に当てられたのだが。
 あたしは心ここに在らず、の状態だった。

(……本当なら。今日は先生と会う日なのに)

 待ち遠しい曜日のはずなのに、気持ちは沈んでいく。
 指輪を取り戻していない状況下、彼に会いに行くことはまだできなくて。
 どうして、こんなことになってしまったのか。

(あのときの先生、怖いくらい真剣な目をしていた)

 昨日の図書室での逢瀬。
 うっかり至近距離での彼の吐息まで思い出し、胸が熱くなる。
 しかし、隠し事をしているという罪悪感は、日に日に大きくなる一方で。
 大事な指輪を紛失した事実は取り消せない。
 そのことを告白しても、彼はきっと責めないだろう。
 けれど全く落胆しないかといったら、それは違う気がする。
 あたしが逆の立場なら、多少なりとも悲しいと思うはずだから。

「常盤さん。最近元気ないけど、どうしたの?」

 顔を上げると、旅行雑誌を見ていたはずの織部さんと目が合った。

「さっきから、ため息ばかりついてるよ。悩み事なら相談乗るけど」
「え……ため息ついてた?」
「うん、結構。……だよね? 静山くん」

 彼女は頬杖をついて、隣に座るクラスメイトを見やる。
 普段おとなしい彼はこくりと頷く。

「さっきので五回目」
「嘘、そんなに?」
「まさか今、堤さんが修学旅行委員で席を外してるから、ってわけでもないでしょ?」

 織部さんが人差し指を突きつけ、あたしは面食らった。
 自分の失態に後悔するが、時既に遅し。

(相談したいのは山々だけど……先生のことは秘密、だし……)

 どうしたものかと悩んでいると、織部さんがにやりと口角を上げる。

「わかった、堤さんと難波くんのことね?」
「……うん?」
「後夜祭からイマイチ進展がない彼らをどうやってくっつけるべきか、悩んでいたと。修学旅行は別々の班になっちゃったし、何か妙案はないものか。……ってところじゃない?」

 自信満々に言われ、咄嗟に言葉が出てこない。
 あたしが返答に窮していると、静山くんが彼女の言葉に乗っかる。

「確かに、端から見ててもヤキモキするね。友達の常盤さんなら尚更そう思うんじゃない?」

 労わるような視線が向けられる。
 ただ、その瞳の奥には意図的な光がちらついていて。
 助け舟を出してくれたんだと理解し、あたしは話を合わせた。

「じ、実はそうなの……。何かいい方法はない……かしら」
「うーん、そうねえ。やっぱりチャンスがあるとしたら、自由行動のときよね。難波くんの班と場所を被らせてみるとか?」
「あ。それ、僕もいいと思う」
「よーし! じゃあ早速、向こうの班に探りを入れてくるよっ」

 意気揚々と立ち上がった織部さんを見送り、静山くんに向き直る。

「……さっきはありがとうね。静山くん」
「礼を言われるようなことはしてないよ。でも油断大敵って言葉もあるし、注意はしといた方がいいと思う」

 少しひっかかりを覚える言い回しだったが、追及することはできなくて。
 彼とは春からの付き合いだけど。
 接点はほとんどなく、読書家ということしか印象に残っていない。
 でも根暗というわけでもなくて、男子たちと楽しそうに話していることもあって。
 だから群れるのが苦手なタイプなのかな、と思っていた。
 とはいえ、自分を思っての警告であることには違いなくて。
 彼の忠告を素直に受け入れることにした。

「うん。肝に銘じておくわ」
「……あと、堤さんのことだけど。……僕は時間が解決してくれると思うよ」

 そうつぶやく彼の声は、なぜか耳から離れなかった。

        ......

 放課後は委員会招集があって。
 そのため、帰宅時間はいつもより少し遅くなった。
 玄関から自室に直行しようとすると、奧埜に呼び止められた。
 何でも来客の相手があたしを待っている、とかで。
 帰り次第、応接間に来るようにお父様から言伝があったらしい。
 仕方なしに足を向けると、ドア口からも談笑の気配が伝わってきて。
 一体誰だろう、と首を傾げた。

「お父様、お呼びでしょうか」
「……ああ。戻ったか」

 お父様と一緒に振り返ったのは、スーツ姿の若い男。
 だが秘書としては幾分若く、温和な顔立ちは警戒心を抱かせないもので。
 会釈の際、目元が優しく細められる。
 礼儀正しい印象とスラリとしたルックスから、いい男、と評価するには十分だった。
 ただひとつの問題を除いて。

「せ……っ、先生……?!」

 来客はあろうことか、自分の婚約者で。 
 瞠目するあたしをよそに話は進み、お父様が席を立つ。

「私はこれから日下部会長と会食の予定があってね。お先に失礼するよ。彬くんはゆっくりしていくといい」
「はい。では、お言葉に甘えて」
「奈江もそんなところに突っ立っていないで、お客様をしっかりともてなしなさい」
「……お父様……」

 恨めしげに視線を送るが、お父様は飄々とした様子で退室する。
 パタン、と扉が閉まる音がやけに重く響く。

(まさかお母様だけでなく……お父様にも諮られるなんて)

 いや、この場合は先生の手腕によるものが大きいのかもしれない。
 どちらにせよ、今度こそ逃げられない。
 あたしは観念し、先生の向かいの席に腰を下ろした。

「……先生」
「はい」
「…………もしかして、ものすごーく怒っていますか?」
「どうしてそう思うんですか?」

 声は、優しくて。目元は、少し悲しげで。
 張り詰めていた思いが溢れ、うっかり泣いてしまいそうになる。
 けれど、懸命に耐えて言葉を絞り出す。

「……図書室で逃げたから。それに……先生をずっと避けていました」

 答えると、先生が薄く息をつく。

「そうですね。今日こちらに伺ったのは理由を聞くためですが、怒ってはいませんよ。ただ避ける原因が朝比奈くん絡みということに、全く妬いていないといったら嘘になります」
「…………はい」
「できれば、素直に教えて頂けると嬉しいのですが」

 困ったような顔で見つめられ、あたしはこれまでの経緯を話し始めた。
 すべてを説明すると、硬い声が聞こえた。

「つまり、婚約指輪を返してもらうために恋人のフリをしていたと。それが後ろめたくて俺を避けていたと……そういうことですか」

 そうです、と蚊の鳴くような声で返事をする。
 先生は顎に手をやり、何かを考えこむように無言になってしまった。
 居たたまれない静寂が訪れる。
 自分の鼓動が大きくなっていくのがわかる。
 彼の表情の変化を見逃すまいと全神経を集中させ、その唇が動く瞬間を待つ。
 その間、まるで時が止まったみたいな錯覚が襲って。
 永遠のような長い時間。
 それを破ったのは、不意に鳴り響く着信音だった。

「……あら、紫桜さんから電話……?」
「桐生院家のご令嬢ですか。でしたら俺に構わず、どうぞ」
「すみません、失礼します。……もしもし」

 電話口からは嗚咽が洩れ聞こえ、弱々しい声が続く。

「え? あの、すみません。もう一度、お願いします」
「……奈江?」
「ともかく落ち着いてください。紫桜さん、今いる場所を教えてください」

 あたしは彼女から可能な限りの情報を聞き出し、電話を切った。
 信じられない思いが胸を渦巻いている。

(……でも今、紫桜さんが頼れるのはあたししかいない、のよね……)

 ふと、視線を上げると先生と目が合った。
 緊迫した雰囲気が伝わったのだろう。
 眉間を険しくして、あたしの説明を待っていた。

「先生。どうか、彼女を助ける知恵を貸していただけませんか」