恋のパレード

君だけを愛していたい -7-

 切羽詰まった電話を受けてから一時間後。
 あたしたちは朝比奈くんと合流し、港町にある榊家の別邸に向かっていた。
 理由はもちろん、軟禁された紫桜さんを救出するためだ。

「ところで、紫桜が危ないってどういうことなんですか? 僕、まだ詳しい説明を聞いてないんですけど……」

 朝比奈くんのもっともな意見に、あたしが口を開く。

「彼女から電話があったの。結婚相手からすぐの入籍を迫られ、少し時間がほしい、と言ったら榊家の別邸に閉じこめられたのですって」
「はっ?」
「紫桜さんが助けを求めたのはあたしだったけど、本心では朝比奈くんに助けに来てほしいと思っているでしょうから。……だから、悪いけど付き合ってもらうわ」

 視線を前方に戻すと、運転席から声がかかる。

「奈江。着きましたよ」
「ありがとうございます。じゃあ、まずは正攻法で突撃してみようかしら」

 助手席から降り、先生と高台に建てられた洋館を見上げる。
 建物自体は年月を感じさせる造りだが、門扉の向こうには英国風の庭が広がっていて。
 手入れが行き届いた庭園には四季の花が顔を覗かせていた。
 さて、と気合いを入れたときだった。

「……ちょ、ちょっと! 待ってください……っ!」

 追いかけてきた朝比奈くんは、珍しく焦った様子で行く手を塞いだ。

「どうして止めるの?」
「だいたいの状況はわかりましたけど、一体、どうするんですか」
「乙女の一大事だもの。手段は選んでいられないわ。言葉の説得が無理な場合は、強行突破も辞さないわ。あ……朝比奈くんはここで待ってる?」

 半ば無理やり連れてきたようなものだ。
 本人が渋るのであれば、中まで付き合ってもらうのは悪いかもしれない。
 けれど、彼は渋面のまま首を振った。

「…………行きます」

 その答えに頷き、あたしはインターホンを押した。

        ......

 事の発端は、桐生院家と榊家のお見合い話が持ち上がったことから。
 ベンチャー企業として名を馳せていた会社の若手実業家。
 それが榊遥(さかき・はるか)――紫桜さんの婚約者だった。
 元々、古株の桐生院家とも親交があった小さな会社で。
 それが最近、急速に業績を伸ばし、桐生院家を脅かすまでの力をつけてきた。
 けれど、うますぎる話には当然、裏の一面も抱えていて。

(先生の話が本当なら、紫桜さんを一刻も早く助けださないと……)

 桐生院家は娘を人質にされて、手が出せないという。
 このまま彼の元に置いておくのは危険すぎる。
 本人からは、部屋に軟禁されている以外は自由だとは言っていたけれど。
 考えたくはないが、彼女を事実上の妻にすることも可能で。

(……どうか無事でいて)

 邸の管理人と名乗る老人に取り次いでもらい、玄関口で待たされること数分。
 遠慮がちにドアノブが回され、待ち人がようやく姿を見せた。

「どちら様でしょうか?」

 耳に馴染む、低すぎない声。
 だが銀縁の眼鏡フレームを押し上げる様子は、少し神経質そうで。
 無遠慮に冷徹な眼差しが注がれる。
 だがあいにく、これくらいで諦めるような柔な神経は持ち合わせていない。
 奧埜に太鼓判を押された、鉄壁の笑顔を貼りつけて会釈をした。

「夜分に失礼いたします。こちらにあたしの大切な友人がいると聞いて、飛んできた次第です。会わせて頂けますよね?」
「……友人とは誰のことでしょう」
「あなたの婚約者、桐生院紫桜さんです」

 淀みなく告げると、榊さんは片眉をぴくりと震わせた。

「……何を勘違いしているかは知りませんが、彼女はここにはいませんよ」

 言うなり、ドアを閉められる気配。
 それを遮ったのは先生の足と、この場に不釣り合いの笑顔。

「失礼。時間を無駄にはしたくありませんので、まずは中に入らせてもらえませんか」
「……君は?」
「申し遅れました、僕は日下部彬です。祖父は日下部グループ会長を務めております。ちなみに説明すると、彼女は常盤財閥の一人娘。彼は紫桜さんの幼馴染でもある、朝比奈グループのご子息です。……ここまで言えば、僕たちの目的もわかるのでは?」
「どうやら、話は中で聞いた方がいいようだね」

 ため息とともに吐き出される言葉。
 それから、あたしたちは暖炉がある大広間に通された。
 若き当主はどかりと一人用のソファに座り、招かれざる客を見渡した。

「それで? 何を根拠に桐生院家の令嬢がここにいると言ってるのか、説明願えるのかな」
「答えは簡単です。本人から電話がありましたから」
「ほう。そのとき彼女は助けてほしい、と言っていたと?」
「……いいえ……」

 電話でのやり取りを思い浮かべ、あたしは顔をしかめる。

(確かに助けてとは言われてはいないわ……でも、紫桜さんはこんなところにいるべきじゃない。いくら家のためとはいえ、脅迫するような男と結婚するなんて間違ってる)

 榊さんはやれやれ、と頬杖をついた。

「友人を心配するのは結構だが、君は些か無鉄砲な性格のようだ。愛し合う男女を引き裂くような真似、無粋だとは思わないか。……もう帰ってくれ、彼女との結婚が今更覆ることはない。君たちがいくらここで粘っても、状況は何も変わらないんだよ」

 眼鏡の奥にある瞳がスッと細められる。
 そして、これ以上の時間は無駄だとばかりに、榊さんが立ち上がった。
 余裕の態度を崩さない彼を引き留めるには――と頭で作戦を練る。
 しかし、妙案が浮かぶ前に冷たい声が場を制した。

「残念ですが、榊家については既に調べがついています。業績が好調というのは見せかけで、多額の負債を抱えている。桐生院家の財産が目当てで彼女に近づいたんですよね?」
「…………」
「日下部先生、それは本当なんですか?」

 朝比奈くんの疑う声に、先生は頷く。
 その話を裏付けるように、榊さんの携帯が着信を告げた。

「失礼」

 だが、彼の横顔はみるみるうちに曇っていった。
 数分の押し問答があった後、苛立たしげに舌打ちとともに電話が切られる。

「……何をした?」
「あなたがこれ以上、好き勝手できないように先手を打たせてもらったまでです。あまり、僕たちを侮らない方がいいと思いますよ」

 先生の声を聞きながら、そういえば、と家を出る前のことを回想する。
 彼は複数に電話をかけていた。
 どれも短い言葉で終わっていたから、内容までは判断できなかったけれど。

(うーん。もしかして先生を敵に回すと怖いのかしら……?)

 ひっそりと青ざめていると、大げさなため息が聞こえた。
 榊さんは力なくソファに腰かけ、あたしたちを見やる。

「あともう少しだと思ったんだが、現実はチェス盤のように上手くいかないものだね。……当初は頑固な父親の鼻を明かせれば、それだけで満足だったんだ。でも、人間は欲深い生き物だった。目の前に大金があれば吸い寄せられていく」

 独り言のような言葉に、朝比奈くんが立ち上がる。

「……あなたに紫桜は任せられない。彼女は僕が幸せにします」

 迷いを捨てた声はしっかりとしたもので。
 紫桜さんの救出に向かう彼の背に、あたしたちも続く。
 大広間を出るところで、ああそうそう、と大きめの声が届いた。

「今回の一番の誤算は朝比奈翼くん、君がここに来たことだったな。紫桜嬢からはこっぴどく振られたと聞いていたから、まず君に頼ることはないだろうと踏んでいたのに」

 やられたよ、と呟く声はかすれていた。
 榊さんはだらりと両足を投げ出し、虚ろな目を天井に向けていた。

        ......

 紫桜さんは、鍵つきの一室に閉じこめられていた。
 使用人に解錠してもらい、中に踏みこむと泣き腫らした彼女が目を丸くしていて。
 だが朝比奈くんが駆け寄ると、強張った顔がゆっくりと破顔した。
 紛うことなく、彼女の頬を伝う雫は嬉し涙だった。

(……それにしても、先生には驚かされたわ)

 なんでも文化祭から、朝比奈くんに関する情報収集をしていたらしく。
 その関係で幼馴染の桐生院家についても調べていたという。
 だから、紫桜さんの家に泊まった夜のことも当然のように把握していて。
 けれども、それを直接問いたださなかったのは。

(あたしから言いだすのを待っていたから……よね)

 朝比奈家の車が到着し、黒スーツに身を包んだ男たちが邸の中に入っていく。
 玄関先には、泣き止んだ紫桜さんが朝比奈くんに身を寄せていた。

(とりあえず、何とか丸く収まってよかったわ。紫桜さんも幸せそうだし)

 邪魔者はとっとと退散。
 そう思って足を踏み出すと、後ろから呼び止められた。

「常盤先輩に日下部先生。今回は助けていただいて、ありがとうございました。……あと、こちらもお返しします」
「……あ……」
「本当はすぐに返さないといけなかったのに、いろいろあって……その。すみませんでした」

 平謝りされると、なぜだか居心地が悪くなる。
 チェーンに通された指輪の感触を確かめ、あたしは笑顔で返す。

「ううん。あたしは指輪さえ返してもらえれば十分だから」

 本心からそう言うと、朝比奈くんは苦笑いを浮かべた。
 と不意に、先生に腰を引き寄せられる。

「後は本人たちで解決する問題でしょうから、俺たちはこの辺でお暇しましょうか」
「そ、そうですね」
「では、朝比奈くんに桐生院さん。今夜はこれで失礼しますね」
「……はい。どうかお気をつけて」

 紫桜さんが深々と頭を下げ、あたしたちは踵を返した。
 暗闇の中に止まっている先生の車に乗りこみ、シートベルトを装着する。
 しかし、なかなかエンジンがかかる様子はなくて。
 不思議に思い、運転席を見やる。
 先生はハンドルに両腕をもたれかかった姿勢で、あたしを見ずに話し出す。

「今夜はどちらにお送りしたらいいですか?」
「えっ……?」
「実家か、俺のマンションか。あなたが望むところにお連れしますよ」

 硬い声から彼の緊張が伝わってきて。
 ようやく言われた意味を理解し、視線を彷徨わせる。

(指輪も返ってきたし、理由も洗いざらい話したし……紫桜さんも救出できた)

 今まで遠ざけていた彼の家。
 けれどもう、嘘をつく必要もないわけで。

「……先生の家で……お願いします……」

 これまでのことを振り返ると、どうしても後ろめたい思いが強い。
 下唇を噛んでいたら、ふと目の前が陰る。
 先生が屈み、少し乾燥した唇が重なってきて。
 あたしたちは、お互いの温もりを求め合うようにキスを交わした。