恋のパレード

花嫁になる条件 -1-

 旅館に着いて早速、班ごとに割り振られた部屋に通される。
 そして、夕飯までの空き時間。
 記念写真を撮ったり、和室にある茶菓子をつまみ食いしたりした後。
 トランプで時間潰しをしだしたクラスメイトに断り、あたしは窓から四角く切り取られた夕焼けと湖をぼんやりと眺めていた。

(きっと、何かあれば実家から連絡があるはず……)

 ケータイを握りしめて、自分に言い聞かせる。
 だけど、気を抜くとすぐに悪い方向へ考えだしてしまう。
 先生との結婚はもう間近。
 親同士が決めた婚姻とはいえ、あたしたちは気持ちを通い合わせる仲で。
 今まで築き上げてきた信頼はそうそう崩れないはず。
 そう信じたいのに、不安は消えなくて。
 叶うなら今すぐ先生の元に行って、心配はいらないと抱きしめてほしい。
 でも、それはできない。
 教師と生徒との恋は、秘密の恋。
 周りに気づかれてしまったら、先生に迷惑がかかってしまう。
 だからこそ、この修学旅行が終わるまでの辛抱だ。
 と不意に、着信を知らせるバイブが鳴り、体を固くする。
 そして液晶に表示された名前を見て二度驚く。

「……え……?」
「常盤ちゃん、どうしたの?」

 心配そうな声がして、我に返る。
 まだ鳴り続けてる振動音に気づいたのか、みのりが首を傾げる。

「あ。もしかして電話?」
「う、うん……ちょっと出てくるね」
「いってらっしゃーい」

 廊下に出て、人通りの少ない場所を探し歩く。
 非常階段近くの壁にもたれかかり、既に沈黙しているケータイを見つめる。
 しばし悩んだ後、着信履歴からかけ直した。
 コール音が数回してから、不意にプツリと途切れる。

「もしもし?」
『ああ、よかった。繋がって』
「……朝比奈くん、何かあったの? 電話してくるなんて初めてだから驚いたわ」
『先輩もひどいなあ。かわいい後輩からの連絡ぐらい、喜んでくれてもいいのに。……まあ冗談はこの辺にしといて、今朝のニュースはもうご存知ですか?』
「……っっ」

 途端に真面目になった声に、息が詰まる。

『状況的に考えて、不安材料に違いないですよね。僕も気になって調べたんだけど、日下部グループは今、資金繰りに大変みたいです。日下部会長もなかなか掴まらないそうですし』
「……そう……」

 やはり、いろいろと状況は厳しいのだろう。
 となると結婚の話もどう転ぶのか、まだ分からない。
 あたしの不安を汲み取るかのように、朝比奈くんの声が優しいものになる。

『落ちこんでる常盤先輩に朗報ですよ』
「……朗報?」
『先輩の結婚の件については現状変更はないようです』
「ほ、本当に?」
『ええ。といっても今のところは、ですけど』

 ひとり悶々と心配していたことさえ、見透かされているというのに。
 朝比奈くんの言葉は、渦巻いていた不安を払拭してくれて。

(……安心したら力が抜けちゃった……)

 廊下にうずくまっていると、電話口から声がした。

『少しはお役に立てましたかね、僕』
「その……ありがとう」
『いえいえ。残りの日程、楽しんできてくださいね。それじゃ、また学校で』
「え、ええ」

 朝比奈くんとの電話を終えて、あたしはそっと息をつく。
 さっきまであった息苦しさはどこかへ消えていて。
 北の大地の澄んだ空気を大きく吸いこむ。

(高校の修学旅行は今だけだもの。しっかり楽しまなくちゃ!)

 みのりたちが待つ部屋へ戻る足取りは、ずっと軽かった。

        ......

「昨日の露天風呂は最高だったよねえー!」
「思っていたよりずっと広かったわね。旅の疲れなんか吹き飛んじゃうくらいに」
「そうそう。でもって、これでもかってぐらいに部屋から遠くて! どこに辿り着くんだろうって道中ずっと不安だったよ」
「確かに。ひとりで迷子になったらと思うと」
「ちょっ、常盤ちゃん。それはシャレにならないよう……」

 本気で青ざめるみのりは、既に一度迷子になっていた。
 幸い、昨夜はすぐに合流できたけれど。

「だったら、はぐれないように気をつけなきゃね。よそ見は厳禁よ?」
「……う、うんっ。肝に銘じます」
「よろしい」

 あたしたちは同時に笑いあう。
 北海道の紅葉は、まだ色づき始めたばかりで赤い葉はごく一部だった。
 しかし、湖のほとりでの散策は心を和やかにさせてくれて。
 深い色の水面は静かで、空気も美味しい。

「でも残念だねー。雪景色を期待していたのに」

 横からぼやきが聞こえてきて、あたしは苦笑いする。

「冬だったらスキーとかできたんでしょうけど。今年は暖冬っていうしね」
「それだよ! 秋だから少しは寒いのかと思ったら、暑くて上着脱いじゃったし!」
「……それに関しては、ホント予想を裏切られたって感じよね」

 朝晩は冷えるかとベストまで用意していたのに。
 あたしたち修学旅行生を迎えたのは、春のようなぽかぽか陽気だった。
 この分だと、最終日までベストの出番はないだろう。

「こうなったら、美味しい料理を食べまくってやるんだからっ」
「……あんまり食べすぎると、そのうち難波くんに嫌われるかもしれないわよ?」
「えっ」

 みのりは珍しく本気で動揺した素振りを見せ、あたしの腕にしがみつく。

「昨日もごはんお代わりしちゃった! 今からランニングしてきた方がいいかな?!」
「お、落ち着いて。そんなにすぐには太らないから……たぶん」
「美味しいものは食べたいけど、これ以上体重が増えるのは大いに困る……!」
「だ、だから。食べすぎなきゃ大丈夫よ」

 堂々となだめると、みのりは肩を落として言った。

「うう……善処……するよ」

 いつもはセーブしているらしいけれど。
 食欲の秋に触発されてか、彼女の食欲はいつにも増して旺盛で。
 それに歯止めをかけてしまい、何だか悪いことをしてるような心持ちになる。

「まあ、家に戻ってから運動すれば、旅行中は多少羽目を外しても……」

 あたしが言うと、みのりの瞳に生気が戻っていく。

「そうだよね! せっかく来たんだもの、後悔しない程度に食べまくるよ!」
「……う、うん」

 爛々と輝かせた顔で迫られ、あたしは頷くのが精一杯だった。
 湖面に反射する青空と山の風景は、吸いこまれそうなくらい美しくて。
 だのに、あたしの心模様はくすんでいて。

(いつ切り出せばいいかしら。結婚式のこと)

 二人きりの今、打ち明けるには絶好の機会だと思う。
 洗いざらい話して、今まで隠していたことを誠心誠意、謝りたい。
 けれどまだ、踏ん切りがつかなくて。
 結婚式のことを伝える前に、家についても話さなければならないだろう。
 常盤財閥の人間だということ。
 身分を隠すために、騙すような真似をしていたこと。
 政略結婚で引き合わされたものの、気持ちを通い合わせて日下部先生と婚約したこと。

(……最悪、絶交もあり得るわよね……)

 これまで彼女の優しさに甘えてきた。
 しかし、聞かれないからといって秘密にし続けるのは、信頼していないと同義で。
 関係を断ち切られても文句は言えない。
 友達の絆を失うことになっても、すべては自分が悪いのだから。

(あたしにとって、みのりは一生の友達。でも本当の友達なら、もっと早くに言うべきだったのよね。それを今更伝えて、友達を続けたいと願うのは些か虫がいい考えよね……)

 修学旅行を楽しむ彼女を見ていると、水を差すような真似はできなかった。

        ......

 今日は自由行動日。
 事前に決めたルートを元に、班行動で市内を散策できる日だ。
 有名な観光地を巡り、一通りぶらぶらした後。
 まだ集合時間まで時間があるため、近くの店を見回ることになって。
 あたしはみのりと一旦別れ、気になっていたお店に来ていた。

(うーん。どれも可愛いから迷うわね……)

 こういうとき、相談する相手がいないのは不便だ。
 色んな商品を手に取りながら、あたしはひとりで唸っていた。

「お土産ですか?」

 その声はよく知ってるものと似ていて。
 驚いて振り返ると、そこには予想外の人物が立っていた。

「く、日下部先生……」
「偶然ですね。僕は巡回中なんですけど、どなたのお土産で迷っているんですか?」
「……あ、いえ。お土産は買ったので、記念に自分用に何か買おうかと」
「そうですか。なら、これなんかどうですか? 常盤さんにお似合いだと思いますよ」

 彼が指差すのは、あたしが見ていた棚の上で。
 そこに並べられていたのは小さな硝子。
 繊細な作りの天使たちが、それぞれの小さな宝石を腕に抱えている。

「わ……可愛いですね!」
「色が違うのは、誕生石で分かれているからみたいですね」
「だとすると……あたしの月はこの子かな」
「下のネジを回せば、オルゴールが鳴るそうですよ」

 商品の説明が書かれたポップを見ながら、先生が解説する。

「あ、本当です。音が鳴りました」
「いい音色ですね」
「……決めました、これにします!」

 宣言すると、ちょいちょいと手招きをされた。
 不思議に思いながら傍に寄ると、彼が少し身をかがめて耳打ちする。

「良かったら、俺からプレゼントしましょうか?」

 それは願っても無い申し出で。
 しかしクラスメイトと別行動中とはいえ、誰かに見られでもしたら……。
 あたしは小声で返した。

「だ、大丈夫です。先生に選んで貰えただけで、あたしは充分ですから」
「そうですか?」
「はい。ちょっと買ってきますね」

 いそいそとレジに向かい、会計を済ませる。
 割れ物だからと丁寧に梱包される様子を眺めつつ、ドキドキする胸に手を当てた。

(でもまさか、先生にばったり出会うなんて。お土産も選んで貰っちゃったし……)

 嬉しいことの連続に頬が熱くなる。
 先生の元に戻ると、彼は腕時計を見ながら言う。

「もうすぐ集合時間ですね。僕は他の生徒に声をかけていきますから、常盤さんも早めに戻ってくださいね」
「はい」
「では、また後で」

 お土産を腕に抱えつつ、姿が見えなくなるまで彼を見送った。

(……さてと。あたしも戻ろうかしら)

 集合場所に着き、きょろきょろと辺りを見渡した。
 視界の端でみのりが手を振っているのに気づき、早足で向かう。
 近づくと、その両腕には大量のお土産袋がぶら下がっているのに気づく。

「あれ、常盤ちゃん。何かいいことあった?」

 開口一番にそう聞かれ、あたしは上擦った声で否定した。

「……な、何でもないわ」
「もー顔が緩んでるよ? なになに、教えてよー」
「だから何でもないってば」

 にやけてしまう顔を懸命に引き締め、皆と一緒にバスへ乗りこんだ。