恋のパレード

花嫁になる条件 -2-

 山ほどのお土産を持って帰宅すると、執事の奧埜が出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま。奧埜とも数日ぶりね」
「ご無事に戻られて何よりでございました。良仁様と奥様がお待ちです」
「へー珍しいわね。ふたりとも揃っているなんて」
「応接間にいらっしゃいますので、おき替えが済みましたらお越しくださいませ」
「わかったわ」

 そのまま自室に直行する。
 部屋に入ると、そんなに経っていないはずなのに懐かしいと感じてしまう。
 着替えを済ませ、両親に買っておいたお土産を袋から取り出す。

(……大丈夫よ、奈江。ふたりだって、たまには仕事の手が空くことだってあるじゃない。いちいち神経質に考えてたらキリがないわ)

 自分に喝を入れて応接間へ急ぐ。
 ノックをすると、内側からドアが開いた。
 奧埜に促され、両親が座るソファーへと足を向ける。

「ああ、奈江ちゃん。来たわね」

 お母様が立ち上がり、そのまま抱きしめられる。
 思いがけない抱擁にあたしはなされるがままになっていた。

「え、あの。どうかしたのですか……?」

 戸惑いのまま尋ねると、背中に回されていた腕がそっと解かれた。

「その、とても言いにくいのだけど……ああ、こういうときは何て言えばいいのかしら」
「ならば私から話そう」
「……お父様?」
「いいかい、奈江。冷静に聞いてくれ」

 お父様は、心配そうに見つめるお母様とアイコンタクトをした後、小さく頷く。
 ただならぬ緊張感が伝わってきて、あたしは言葉の続きを待つことしかできなかった。

「縁談の話はなくなった」

 それは予想していた言葉のひとつで。
 しかも、それは一番恐れていた最悪のパターンだった。
 あたしは視界がぐにゃりと歪む感覚に包まれた。

「…………そうですか」
「今朝方、先方からお断りの申し出があってね。白紙に戻ったんだよ」
「では……破談、ということですか」

 抑揚のない声が喉元から滑り落ちる。

「そうなるね。すまない、私の力不足だ」
「……っ……いいえ……お父様が謝る必要は、ないですから」
「今回の件に関して、奈江に落ち度はない。理由は日下部グループの経営悪化だからね。株価暴落のニュースはもう耳にしているだろう?」
「はい……」

 あたしはぎこちなく頷く。
 これから言われることが読めてしまい、耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
 けれど、それを実行することもできなくて。

(あたしは常盤家の娘だから。現実から逃げるわけにはいかないもの)

 拳を握りしめ、お父様の視線を真っ直ぐに受けとめる。

「……この婚約は、うちへの資金援助が前提条件だったんだよ。だが当面、融資の見込みはなくなった。だから、先方から辞退の申し出があったというわけだ」
「仰ることはよく分かります。ですが……本当にもう、どうにもならないのですか?」
「私としても心苦しいのだが、日下部会長の意志は固いらしくてね。何を言っても聞いてもらえなかった」

 これが夢だったら、どんなに良かっただろう。
 すまない、とつぶやく声をどこか遠くで聞いていた。

        ......

「あ。常盤ちゃん、おはよー。今日は早いんだね」
「……うん。おはよう」

 鞄を机に置いて着席すると、どっと疲れが押し寄せた。
 疲労を溜めこんでいたせいか、朝一番から重いため息がこぼれる。
 結局、一睡もできないまま朝を迎えてしまった。

「なんだかお疲れみたいだね?」
「……ああ、うん……」

 みのりの心配そうな声に、今のあたしは取り繕う余裕すらなくて。
 昨晩は先生とは連絡がつかず、不安は最高潮になっていた。

「ってどうしたの?! 目、充血してる! 隈もひどいことになってる!」
「……ちょっと顔でも洗ってくるわ」
「待って、私も行くよ」

 洗面所で冷水を両手に集め、腫れぼったい瞼にばしゃりとかける。
 横から、みのりがタオルを差し出してくれた。
 無言のまま受け取り、いまだ整理できていない頭を小突く。

(こんなときこそ……冷静にならなくちゃ……)

 鉛色の空を見上げながら、あたしらしくない、と自分を叱咤した。

「大丈夫? 辛いなら保健室につき添おうか?」
「……ううん。もう平気」
「ならいいけど。しんどくなったら言ってね。無理しちゃダメだよ?」
「ん。わかった」

 みのりと教室に戻る足は、さっきよりも軽い気がした。
 あたしの周りには心配してくれる友達がいる。
 たとえ絶望的な状況に陥っても、きっと、諦めない限りは活路はあるはず。
 まずは先生に直接会ってから考えればいい。

 ――――と、思っていたのに。

 お昼休憩に訪れた英語準備室には他の先生しかいなくて。

「え? 日下部先生、今日はお休みなんですか?」
「そうなのよ。何か急用だったかしら」
「あ、いえ……大丈夫です。失礼しました」

 女性教師の怪訝な眼差しから逃げるように廊下へ出た。

(困ったわね……病気とかじゃなければいいんだけど)

 学校帰りにお見舞いに行こうかと考え、すぐにそれは無理だと否定する。
 正式に婚約が破棄され、我が家の門限は以前のように厳しくなった。
 車での送迎は辞退したものの、護衛と称した男たちが数人ついている今。
 先生の家に行くことは叶わないだろう。
 だとすれば、相談できる人はひとりしかいない。

        ......

 身の入らない授業を終えた放課後。
 最寄り駅からタクシーを捕まえて向かったのは、勝手知ったる親戚の家。
 家政婦さんに淹れてもらったお茶をすすっていると、待ち人が現れたので手を挙げる。

「あ。おかえり、彗」
「どわっ?! ……なんで奈江がここにいるんだよ?!」
「たまにはそういう日もあるわ。いちいち驚いていたら疲れるわよ」
「……あ、そう」

 気力を削がれたのか額に手をやる様子に、あたしはつい笑ってしまう。

「ったくお前な……来るなら来るって言えよ」
「思い立ったが吉日っていうでしょ。ここしか行くところがなかったんだもの」
「あーそうかよ」
「……あれ、彗。もしかして疲れてる?」
「奈江のせいだろ。毎回こうやって意表をつかれる身にもなれって」
「それは悪うございましたわね」

 謝罪の言葉を口にすると、彗がどかりとソファに座る。

「で? 何か大事な話があって来たんだろ?」
「……破談になったの。結婚の話」
「そうか」

 彗は驚かない。当然ニュースの件も知っているからだろう。

「どうすればいいと思う……?」

 俯きながら言うと、なんとも長いため息が聞こえてきた。

「何を言うかと思えば……弱音を吐くなんて奈江らしくない」
「あたしらしいって何よ」
「毎回、お嬢様らしからぬ行動力を発揮するところだろ。そのくせ、後先考えずに口走って後悔する。でもこっちが慰める前に、自力で何とかしちゃうんだよな。そもそも、うだうだ考えるのが一番性に合わないだろーが」

 すらすらと言われ、あたしは渋面になった。
 確かにその通りなのだが、人から指摘されると少々居心地が悪くて。

「って……何膨れてるんだよ。事実だろ?」
「それは、そうだけど」
「奈江はいつだって、自分がしたいように行動してきただろ。今回のことだって同じだろ。それとも何もせずに諦めるのか」
「……そうね。あたしはまだ何も行動していない。やれることをやってみるわ!」

 気合を入れ直し、勢いよく立ち上がる。

「ほら、そうやって立ち直りが早いのも、奈江らしいところだよな」
「だからって、呆れたように言わなくたってもいいじゃない」
「……応援してるよ。俺はいつだってお前の味方だから」

 いつになく真剣な眼差しを注がれ、気恥ずかしさから顔を背ける。

「あ……ありがと」

 少しだけ声が上ずったのは彗のせいだ。
 弟みたいだと思っていたのに、大人っぽい瞳で見つめてくるんだから。

        ......

 先生と連絡が取れなくなって、早二週間が経過していた。
 電話もメールも全く返事が来る気配はない。
 結局、先生が学校を休んだのは一日だけで、翌日には出勤していたらしい。
 遠目から見た彼は、いつも通りだった。
 何ひとつ変わらない様子に、なんだか声がかけづらくて。
 せめて、授業で会えたらよかったのに。
 後半のクラスだったら彼の授業を今頃受けていたはず。
 もっと言えば、彼が副担任を務めているクラスの生徒であれば。

(……いやいや、そうじゃないでしょ。思考が偏ってたら、見えるものも見えなくなるわ。今はどうやって彼の真意を探るかを考えないと)

 けれどやっぱり、焦りばかりが募っていく。
 避けられているのは事実で。
 その原因は本当に婚約破棄だけなのか。
 もしかして、それ以外にも避けられ続けている要因があるのではないか。

(考えたくないけれど、本当はそんなに好きではなかった、とか……)

 もしくは結婚はちょっと、と思わせる何かがあったのでは。
 考えれば考えるほど、思い当たる節がある気がして。
 英語教師の流暢な朗読を聞ながら、どんどん悪循環にはまっていくのを感じた。

「そういえば、常盤ちゃんはもう聞いた?」

 ぼんやりと過ごしていた休憩時間、みのりの声に意識を戻す。

「え……なんの話?」
「日下部先生、婚約者がいるらしいよ。でもなんか、家の事情で結婚が延びたんだって」
「ど、どうしてそんなこと知ってるの……?」
「他の先生が話しているのを偶然聞いたんだけどね。もしかして、彼女とうまくいってないのかな。やっぱり若くして結婚となると、勢いが大事だよねえ」

 しみじみとした呟きに相槌を打つ余裕はなくて。
 先生は、教師の中でもまだまだ若い方で。
 元婚約者なのに、彼の立場でこの結婚の話を考えていなかったことに今更気がつく。
 教師の道を選んで独身生活を送ってきた彼。
 年齢的にも、独り身ならではの過ごし方を満喫したいであろう二十代。
 あたしとの結婚で、それを縛ることになる可能性はまったく考えていなかった。

「……焦って結婚するのもよくない、のかしら」

 ぽつりと心の声が表に出る。

「んーまあ、それは各々の価値観だろうけど。直感は信じてもいいんじゃないかな」
「直感……って?」
「女の勘というか、この人となら生涯を共にしてもいい、っていう第六感? 好きっていう気持ちよりも深くその人を愛してるみたいな、心の奥にある素直な気持ち……みたいな。うーん、うまく表現できないや」

 自分はどうだっただろう、と振り返る。
 彼のことはもちろん好きで、結婚したいと思った特別な相手。
 そして、家の事情で引き離されそうとしている現在。
 眠れない夜を過ごしているほど、先生はかけがえのない存在になっていて。
 失いたくない、と思う。
 先生との絆はこんなことで崩れないと信じたい。
 そのために今できることは――。
 何気なくみのりが広げていたテキストに視線を落とし、あたしは閃いた。

「みのり、ちょっとお願いがあるんだけど」

 小首を傾げる友達に、あたしは耳打ちをする。
 はじめは不思議そうだったけれど、彼女は深く追求せずに頷いてくれた。
 快諾してくれたことに感謝し、脳内で作戦のシナリオを展開させた。