恋のパレード

花嫁になる条件 -4-

 彼と約束してから二週間が経った。
 だが信じて待つというのは、思っていたよりも難しいことで。
 いつ来るかわからない連絡を待つのは、なかなかに根気がいることだった。
 最近は専ら、ケータイを握りしめたまま寝ていて。

(先生に会いたい……)

 学校に行けば、姿を見ることはできる。
 けれど、授業の担当教官でない彼を訪ねていくのは不自然で。
 遠くから見つめることしかできない。
 金曜日が来るたび、あたしは憂鬱な気持ちになっていた。
 仕事帰りの先生を待ち、彼の手料理に舌鼓を打っていた日が懐かしく感じる。

(あのときは、これがずっと続くんだと思っていたのに……)

 現実は思ったようにはいかなくて。
 今も尚、残酷な形であたしたちを引き離そうとしている。
 空を見上げれば冬が近づいているのか、寒々しい色に染まっていて。
 まるで、今の自分みたい。

「常盤先輩。良ければ送っていきますよ」

 声のする方へ頭をもたげると、真横に漆黒の送迎車があって。
 窓から手を振るのは、朝比奈くんだった。
 下校途中のあたしとは違い、彼は仕立てのいいスーツを着こんでいて。
 もしかしたら、パーティーに向かうところなのかもしれない。

「今日はちょっと寒いですし、どうぞ乗ってください」

 促され、あたしは彼の言葉に甘えることにした。
 車に乗りこむと、朝比奈くんは運転手に行き先の変更を伝えていた。

「……これから用事があるんじゃないの?」
「先輩を送るぐらいの時間はありますよ。それに、学校だといろいろ気を遣うでしょう?」
「まあ確かに……って、近い近い!」
「え、何がです?」
「距離が!!」

 ドアに背中をくっつけながら叫ぶように言う。

「……ああ、失礼しました。泣いているのかと思って」
「な、泣いてなんかいないわ」
「そうみたいですね」

 呟きつつ、朝比奈くんは近づけていた顔を引っこめた。
 それから肘置きにもたれかかり、あたしを無遠慮に眺める。

「……何なら僕にしとけば?」

 口調は、軽くて。
 表情は、何かに耐えるような苦しんだもので。
 そのちぐはぐな様子は、心から心配してくれているからだと、すぐに分かった。
 だから、あたしも軽口で応じる。

「またそういうことを言って。本気じゃないくせに」
「……ひどい言われようですね。僕だって、先輩を元気づけようとしてるのに」
「朝比奈くんには紫桜さんがいるでしょう。気持ちだけ、ありがたく貰っておくわ」
「仕方ありませんね。僕では、あなたから笑顔を引き出すのは無理みたいですし。そろそろ本題に入りましょうか」

 朝比奈くんは居住まいを正し、硬い声で言った。

「日下部先生は取引をしたそうですよ」
「……何の話?」
「教職を辞して、ゆくゆくは会社を継ぐそうです」

 聞きたくなかった言葉が聞こえてきて、あたしは眉間を険しくした。
 嫌な予感が的中し、目の前が真っ暗になる。

「嘘……でしょう……?」
「理由は言うまでもないですよね。すべては常盤先輩と結婚するために、ですよ」
「…………」
「裏を返せば、それだけ愛されているってことです。良かったじゃないですか、これで当初の予定通りに結婚できるんですから」

 本当にそうだろうか。
 彼から教師という職業を奪ってまでして、一緒になる。
 これを本当に幸せな結末と呼べるのだろうか。
 考えるまでもない。答えは否、だ。

「……その情報は確かなの?」

 震える唇を動かすと、朝比奈くんは視線を逸らさずに頷く。

「直接本人から聞き出したことなので、信憑性は言うまでもないかと」
「そう……」
「常盤先輩。もし行動するというのであれば、微力ながら僕も力を貸しますよ」

 朝比奈グループが味方につくなら。
 このどうしようもない状況も、ひっくり返すことだって不可能じゃない。

(ううん、違うでしょ。これは、あたしと先生の問題。まずは自分の力で何とかしないと)

 誰かの手を借りるのはその後だ。
 彼の人生を犠牲にしてまで結婚することは、先生だって本望じゃないはず。
 それに何より、あたしがそんなの耐えられない。

        ......

 帰宅すると、いつも通り奧埜が出迎えてくれた。
 あたしは真っ先に自室に向かい、薄桃色のワンピースに着替える。
 それから玄関に戻ると、後ろから声がかかった。

「どちらへ行かれるおつもりですか?」
「先方のお祖父様がいらっしゃるところよ。話をつけに行ってくるわ」

 率直に告げると、奧埜は機敏な動作で行く手を塞いだ。

「……日下部邸に乗りこむなど無謀です。奈江お嬢様、どうか落ち着いてください」
「そこを通して」

 あたしは負けるものかと毅然と言い放つ。
 しかし、我が家の執事はそう簡単に折れることはなかった。

「いいえ、ここは通せません。お嬢様をこの家から出すなと、良仁様からの厳命です」
「…………そう。では、先にお父様から攻略せよということね」

 顎を引いて頷いてみせると、奧埜は言葉を付け加えた。

「良仁様は海外出張中でございます。お戻りは一週間後になります」
「だったら、航空便を用意して。こちらから直接出向きます」
「申し訳ありませんが、それもできかねます。どうかお部屋にお戻りください」

 頑として譲らない態度を貫かれ、あたしは口を引き結ぶ。
 このまま彼とここで押し問答しても、状況が変わることはないと判断したためだ。

(仕方ないわ。ここは一旦、退くしかないようね)

 作戦を練り直すべく、やむなく自室へ踵を返した。

        ......

「何だか眠そうだね。常盤さん」

 欠伸を噛み殺していると、横にいた難波くんが苦笑いした。

「……う。バレてた?」
「バレバレ。目の下に立派な隈もあるし」
「え、嘘っ! 本当に?!」
「うん……まあ。夜更かしも程々にした方がいいと思うよ」

 もしかして、いや、もしかしなくとも。
 今のあたしは男子に心配されるほど、ひどい顔なんだろうか。

「き、気をつけます……」
「そうだね。せっかくの美人が台無し」
「……ちょ、そこまで言わなくても……!」
「あはは。それだけ元気があれば大丈夫そうだね」

 あたしたちは今、並んで廊下を歩いていて。
 タワー上に積み上げられたノートを分担し、職員室まで運んでいる。
 言わずもがな『総務』という役職による無給労働の一環だ。

(うちの担任も人使いが荒いったら……)

 副総務が難波くんで良かった、としみじみ思う。
 こうして運ぶのも率先して手伝ってくれる男子は、かなり貴重だ。

(とはいえ、昨日の夜は全然いいアイデアが思い浮かばなかったのよね)

 ひとりきりの脳内会議は芳しくなくて。
 ぐるぐると考えるだけで時間はあっという間に過ぎ去り、気づけば夜を明かしていた。
 失礼します、と難波くんが職員室に入り、あたしもそれに続く。

「おー。お前らか。お疲れさん」
「先生。これ結構、重いっすよ。重労働させ過ぎです」
「若い奴が何を言う」

 担任が鼻であしらうと、難波くんが先に折れた。

「まあ、いいですけど。俺は生徒会があるので、これで失礼します」
「あたしも失礼しますね」
「……いかん、忘れてた。常盤はちょっと残れ」
「え?」

 引き止められるとは思わず、中途半端にねじった体勢で動きが停止する。
 一体、何の用だろう。
 不審に思いながら体の向きを直すと、担任は机の引き出しを漁っていた。

「お前に渡してくれって頼まれていたんだった。どこやったっけ……」
「えっと、誰にですか?」
「英語の日下部先生だよ。こないだ、進路相談に乗ってもらったんだろ? だから英文科のおすすめ大学の資料と検定の申込書を……ああ、あった。ほれ、受け取れ」

 ひょいと渡されたのは、そこそこ重量感のある書類の束。

「また何かあれば、いつでも相談に来ていいそうだ。英語は俺の分野じゃないからな。しっかり相談に乗ってもらえ。あ、もう帰っていいぞ」
「は、はい……失礼します」

 あたしは訳がわからないまま、職員室を後にした。
 放課後の静寂に包まれた教室に戻り、先ほど手渡された書類をめくる。
 担任が言っていた通り、いくつかの大学のパンフレットと検定の書類があって。

(ん……?)

 資料の中に見覚えのある付箋を見つけ、そっと剥がして手に取る。
 綺麗な楷書で書かれた彼の文字を目で追う。
 それを読み終えると、あたしは学生鞄をつかんで教室を飛び出していた。