恋のパレード

花嫁になる条件 -6-

 紫桜さんと練った作戦の決行日。
 あたしは張りついていた監視役の男たちの目を盗み、決戦の場所にやってきていた。
 授業が終わってから向かったのは、日下部グループの本社ビル。
 今頃、うちの護衛は足止めを食らっているはずだ。
 ここまで作戦通りに事が進んだのは、紫桜さんの協力があってこそ。
 だから絶対に、何としてでも成功させなくてはならない。

「……さて、これからどうしようかしら」

 ちらりと柱からエントランスを覗く。
 我が家より圧倒的に警備員の数も多く、強行突破は難しそうだった。

(さすがに、あの数をくぐり抜けるのは難しそうだし。かといって、ここでジッといるわけにもいかないし)

 アポイントメントがない客は当然、門前払いだろう。
 けれども、ここまで来て、おとなしく引き下がることは選べない。
 何かいい案はないかと必死に頭を巡らせる。

(やっぱり、先生に一言相談してからにすれば良かった……かしら)

 部外者よりは幾らか活路はあっただろう。
 でも彼に余計な心配をかけたくなかったから、こうして一人で来たのだ。
 とすれば、ここは自分だけの力で乗りこえなくては。

「そんなところで何をしているんだい?」
「ひゃっ!」

 驚きのあまり、心臓が止まるかと思った。
 バクバクと鳴り響く胸に手を当て、ゆっくりと振り返る。

「……あれ?」

 守衛かと思った男性は、上品なスーツを着ていて。
 隙のない身のこなしに既視感を覚え、記憶の糸をたぐり寄せる。

「あっ……、日下部先生のお父様?!」
「当たり。こんなところで奇遇だね、常盤奈江さん」
「は、はい。……その、ご無沙汰しております」
「壮健そうで何よりだ。こんなところで話も何だし、場所を移そうか」

 口調こそは優しかったが、有無を言わさない雰囲気にあたしは頷くのがやっとだった。
 そして、連れられて来たのは本社の一室。
 広々とした応接間に通され、はじめに口を開いたのは環さんだった。

「まずは、君の目的から聞こうか」
「……突然の来訪をお詫びいたします。日下部会長にお話があり、参上いたしました」

 ここまで来てしまった以上、腹をくくって用件を告げる。
 すると、環さんはおかしそうに笑いながら口を開く。

「いや、まあ予想の範囲ではあったけどね」
「……どういうことでしょう?」
「良仁さんから、娘は電撃訪問をしでかすかもしれない、と言われていたからね。まさか本当にそうなるとは……その行動力には少し驚かされたかな。彬にも見習ってほしいぐらいだ」

 言いながら環さんは足を組み替えた。
 それから憐れむような瞳を向けられ、あたしは身を引き締める。

「今回のことは本当に残念に思うよ。でも、無駄足だったね。会長を説得しようと思って来てくれたんだろうけど、あの人は一度決めたことは覆さないよ」
「でもあの、先生が教師を辞めることを条件に……取引したと聞きましたが」

 あたしが言うと、環さんはそうだね、と認めた。

「ただ、それは彬が一方的に提示した取引でね。会長は納得していないんだよ」
「……そんな……」
「僕も直談判した口だけど、結果は玉砕でね。元婚約者であっても、結果が変わることは万に一つもないと思う。それに、彬には別の婚約者が既に用意されている」
「…………え?」
「君にも違う縁談がいくはずだ。結婚直前にこんなことになって心苦しくもあるが、それほど珍しい話でもないだろう」

 淡々と告げる言葉は、既に興味を失っていて。

「だから今回のことは縁がなかったと思って、諦めてほしい」

 苦笑する瞳は冷たい色を伴っており、あたしは声を失った。
 本当に、もうダメなんだろうか。
 僅かな希望さえも抱いてはいけないというだろうのか。
 突きつけられた現実に、目の前が真っ暗になる。

(もう手遅れ……ということ……?)

 だが、もしかして、という予感が頭をかすめていく。
 数ヶ月前のように今この瞬間、先生はお見合いをしている可能性だって否定できない。
 あたしではない、未来の結婚相手と。
 もしそうであるなら、新しい出会いへ進みだした彼にとって自分の存在は邪魔なだけ。
 この結婚に固執して得るものはあるのだろうか、と問いかけてみる。
 けれど諦めた瞬間から、先生との関係は『ただの教師と生徒』とに逆戻りだ。
 そうなってしまえば、彼が違う女性と結婚するのを阻む資格はないわけで。

(いいえ……ここで諦めたら、何もかもが終わってしまう……!)

 彼の幸せを願うなら、きっとここで身を引いた方がいい。
 でも、残念ながらそれは選べない。
 彼を困らせるかもしれないと分かっていても、今諦めてしまえば一生後悔する。
 だって、それだけ彼は『特別』だから。

「環さん、あたしは諦めません。どんな困難が立ちはだかろうと、乗り越えてみせます。この短い期間の中で先生は――――彬さんはかけがえのない人になってしまったんです。だから、あたしたちを引き裂くというなら全力で迎え撃ちます」
「……へえ。しかし会長は何の代償もなしに、君たちを認めるとは思えない。どんな無理難題を提示されるかも分からない。それでもやるというんだね?」
「例え、どれだけ時間がかかっても諦めません」

 間髪を入れずに答えると、環さんはふむ、と考えこんだ。

「……うん。まあ及第点かな。わかった、僕が会長室へ案内しよう」
「え、ええと……あの?」

 いきなり態度を翻した理由が分からず、当惑する。
 環さんは先生と同じ笑みを浮かべ、あたしを見つめた。

「君の心意気に惚れたのは、彬だけじゃないってことだよ」
「……ありがとうございます……?」

 褒められたのか、いまいち謎だったけれども。
 一応は認められたのだと納得することにし、頭を下げた。
 その頭上に被さったのは、さっきよりも幾分低い声。

「とはいえ、お目通しが叶ったぐらいで浮かれる状況ではないけど。まあ、期待しているよ。あの頑固な会長をどう説き伏せるのか。……ついておいで」

 早足で歩く背中を追いかけ、行きと同じエレベーターに乗りこむ。
 環さんは胸元から出したカードを差しこんでから、最上階のボタンを押した。
 やがて到着を知らせる鐘の音がし、扉がゆっくりと開く。
 会長室は赤い絨毯の先、正面奥にあった。
 指紋認証でロックを解除した後、秘書室を抜けて奥のドアに辿り着く。
 環さんがノックをすると、すぐに「入れ」と中から返答があった。

「失礼します」

 高層ビルの眺望を独り占めしたような会長室。
 高級椅子に座る姿は還暦を過ぎた人とは思えない、背筋をピンとした男性がいた。
 まだまだ現役だというように、威厳な雰囲気を纏っている。

「日下部会長。お客様をお連れしました」
「……環。一体、この忙しいときに何だ。くだらない用事で手間を取らせるな」

 机の上で両手を組む会長は、冷ややかな視線を向ける。
 だが、環さんは手慣れた様子で笑顔であしらう。

「まあまあ、いいじゃないですか。未来の身内になるかもしれない女性なんですから」
「なに?」
「彼女は写真でご覧になったはずですが、念の為にご紹介しましょうか。彬の結婚相手となるはずだった、常盤財閥ご令嬢の奈江さんです」

 背中を押されて、あたしは深々とお辞儀をした。

「お初にお目にかかります。常盤良仁の娘、奈江と申します」

 名乗ると、会長の視線が一層鋭くなった。

「常盤……それはもう終わった話のはずだが」
「あなたの中では、ですね」

 すぐさま環さんが口を挟む。
 あたしは二人の会話の邪魔にならないように口を噤んだ。

「ふん、言いたいことは概ね分かった。だが、お前とて私がそう簡単に意見を曲げないことは知っているだろう」
「ええ。それはもう、嫌というほどに」
「環は、その娘に何か価値があるというのか?」
「価値よりも、もっと大事なものを持っていると思いますよ。僕とあなたがとっくに失くしてしまった気持ちとかね」

 挑戦的な視線を送る息子に、会長は眉間に皺を刻んでいた。
 一触即発な空気が漂う。
 ピリピリとした雰囲気を裂いたのは、環さんののんびりとした声。

「さて。僕ができるのはここまでだ。あとは君次第だよ」
「……はい……!」

 先生と同じ優しい眼差しが注がれ、勇気がみなぎってくる。
 あたしは両手をキツく握りしめ、会長へ向き直った。

「無礼を承知でお願いがあります。日下部彬さんとの結婚をどうかお許し頂きたいのです」
「ほう? 単身乗りこんだ挙げ句、結婚の許しを請うとは。随分積極的なお嬢さんだ」

 値踏みする瞳に、揶揄するような色が見え隠れする。
 一瞬怯みそうになったが懸命に堪えた。
 息を大きく吸いこんで、勢いのままに思いを言葉にのせた。

「日下部先生だけに条件を出すのは不平等だと思います。条件ならあたしが受けます。ですから、先生から教師という職業を奪わないでください」
「君も財閥の人間なら分かるだろう。これは既に決定事項なのだ。覆ることはない。権力がある者に刃向かうには同等以上の力が必要なのだよ」

 その冷徹な瞳は有無を言わさない迫力があった。
 無力な子供だということを暗に示され、所詮ただの高校生という事実が重くのしかかる。
 日下部会長に敵う力は、今のあたしにはない。
 けれども、こっちだって簡単に退くわけにはいかないから。

「あなたは以前、婚約する女性を何が何でも幸せにしろ、と先生に仰ったそうですね」
「言ったな。しかし今の君は『婚約破棄された女性』であって、該当しないと考えるが?」
「果たしてそうでしょうか」
「……なに?」

 怪訝な声に、あたしは悠然と微笑んでみせる。

「ある日突然、婚約を一方的に破棄されたのです。しかもそれは先生の意思ではなく、会長の命令によるものでした。この場合、あなたとの約束を守っていた先生に落ち度はないはずです。しかし、結ばれるはずだった女性はどうでしょう。幸せを目前にして、相手の家の都合に振り回された結果、引き裂かれる二人は不幸なのではありませんか?」

 会長はしばらく考えるような素振り見せた後、硬い声で続けた。

「なるほど。だから婚約破棄を取り消せ、と言いに来たのか」
「少し違います。これでも財閥の人間ですから、理不尽なことには慣れているつもりです」
「……というと?」
「日下部会長。常盤家の娘としてではなく、あたし個人を彬さんの結婚相手として認めてください。そのための試練なら喜んでお受けします」

 会長だけでなく、環さんも息を呑むのが分かった。
 しかし、前言撤回するつもりは毛頭ない。
 一方的にこっちの要求が受け入れられるほど、現実は甘くないから。
 何の力もない高校生のあたしにできることは限られている。
 家柄でどうにもならないというなら、あたし自身で勝負するしかない。

「先生はあなたの約束を充分に果たしています。ですから、今度はあたしの番です」
「…………交換条件、というわけだな?」
「ええ。自分の望む結婚のためなら、むしろ当然でしょう」

 さあ、自分のカードは全て切った今。
 果たして、この一世一代の賭けはどう転ぶか。

「ちょっ、奈江ちゃん。本当にいいの? 何も自分から困難に挑まなくても……」

 焦ったような環さんに、あたしはしっかりと頷き返す。

「今まで、あたしは先生に甘えてばかりでした。彼は先生で、あたしは生徒だったからだと思います。でも、いつまでも子供のままじゃダメなんです。大人に守って貰うだけでは、自分の幸せはつかめない。だから対等になりたいんです」
「そう、か……。君は眩しいくらいに真っ直ぐな子なんだね」
「いいえ。こんな風に思えることができたのは……先生のおかげなんです」

 自分ひとりでは辿り着けなかったであろう、答え。
 これまでの先生との時間が、今のあたしを導いてくれている。
 育んできた想いは、決して無駄じゃないはずだから。

「――――面白い」

 ふと呟く声に、ハッと顔を上げる。
 目が合った会長は満足そうに口角をつり上げた。

「ではこうしようか。君が今から言う条件をクリアできたなら、結婚を認めよう」
「本当ですか?!」
「ああ、簡単なことだ。海外留学で十分な成績を修めてくること。留学先についてはこちらから有名大学を指定させて貰う」
「……っ……」

 留学、それは先生と離ればなれになるということ。
 数年もの間、容易には会えない距離での生活を送らなければいけない。

「成績優秀の君のことだ。そう難しいことではないだろう」
「…………」
「尚、本日より学外で直接会うことを禁ずる。手紙や電話は大目に見よう。だが隠れて会ったことが分かった時点で、この約束は反故されたものとする。万が一、駆け落ちしようものなら見つけ次第、永遠に会えなくなると思いたまえ。――さて、常磐奈江さん。君にその覚悟はあるかね?」

 今更、迷っている暇はない。
 怯んでしまった時点でそれは敗北を意味する。

「もちろん、あります……!」

 声を張りあげて会長を見据える。
 ばちばちっと火花が散るような間があり、緊張が肌を伝う。

「本当にいいのかね。社会人と学生にとっての歳月は感じ方がだいぶ違う。お互い、心変わりしてもおかしくない期間と言えるだろう。仮に君が条件をクリアしたとして、彬に結婚の意思がなくなっていた場合、無駄で終わるかもしれんぞ?」
「そんなの、やってみなくちゃ分かりません」

 会長は視線を逸らすように、回転椅子をくるりと動かした。
 窓の外を見ながら、ぽつりと声が呟かれる。

「……なるほどな。その通りかもしれん。いいだろう、精々励みなさい」
「ありがとうございます。待っていてください、数年後の結果を」
「ビルを出たときから、君にも監視をつける。くれぐれも、軽はずみな行動で落胆させないでほしいものだがな」
「望むところです!」

 強く言い切ると、話は以上だ、という声が耳に届く。
 あたしは環さんにロビーまで送り届けられ、本社ビルを後にした。

(……これで、いいのよね……)

 先生に断りなく大博打に出てしまったけれど。
 清々しいぐらいに気持ちは晴れやかで。
 後悔は、なかった。