恋のパレード

花嫁になる条件 -9-

 空港で搭乗手続きを終わらせ、あたしは旅行鞄に突っ伏した。

(はあー。このときを待ち望んでいたはずなのに……嬉しさより不安が勝っているってどうなの。先生と会うのが怖いだなんて、我ながら情けないわ)

 日下部会長から直々に連絡があったのは、つい先日のこと。
 一年短く卒業したことで、晴れて彼の提示した条件はクリアしたわけで。
 無事に結婚の許しを貰うこともできた。
 目標が達成され、こうして帰国することになったのだけど。

(……先生の気持ちが変わっていたら……どうしよう)

 思い焦がれていた相手との再会を前に、不安ばかりが募っていく。
 彼への思慕は、数年経った今でも色褪せない。
 とはいえ、向こうも同じ気持ちかどうかは、実際に会ってみないと分からない。
 もし、自分だけが昔の恋を引きずっているのだとしたら。
 先生に他に好きな人ができていたら。
 そのとき、あたしは潔く身を引くことができるだろうか。
 結局、離陸した飛行機の中でも自問自答は続き、全然眠れなかった。

        ......

 空の旅はどんよりとした気分のまま終わって。
 あたしは重い足取りのまま、タクシー乗り場へと向かう。

「……ん?」

 喧噪に混じって聞こえる声。
 その中に、先生の声があったような気がして立ち止まった。
 でもすぐに自分で否定する。
 どんな顔して会えばいいか分からなくて、彼には帰国の日取りは教えていない。
 だから、きっとよく似た他人の声だろう。
 そう結論づけ、再び歩き出そうとしたときだった。

「……っ……」

 今度は、自分の名前が聞こえてきて。
 遠く離れた地で何度も勇気づけられた、愛しい人と同じ声音だった。
 まさかと否定しながらも、先生の姿を探さずにはいられなくて。
 さっきの声はどこからだっただろう、とぐるりと周囲を忙しなく見渡す。
 でも、婚約者の人影は見つからなくて。
 幻聴かと肩を落としたとき、ふわり、と甘いにおいが鼻をつく。

(この香りどこかで……)

 記憶をさらっていると、後ろから優しく抱きしめられた。

「奈江」
「……! ……せん、せ……?」
「そうですよ。俺です」

 振り返った先にいたのは、確かに先生だった。
 願望が夢になったのかと瞬くが、いくら経っても幻は消えなかった。

「ど、うして……」

 驚きのあまりに声が掠れてしまう。

「祖父から会いに行ってもいいと許しが出ました。今までよく頑張りましたね」

 ぎゅっと抱きしめられ、彼の温もりに懐かしさがこみ上げてくる。
 涙が頬を伝い落ちていくのを止められない。
 必死に言葉を探すが、突然の出来事に心はまだ追いついていなくて。

「いてもたってもいられなくて、こうして迎えに来ちゃいました」
「……先生……っ」
「遅くなった結婚式、俺と挙げてくれますか?」
「……っっ……」
「常盤奈江さん。あなたをもうひとりにはしないと、生涯をかけて誓います。ですから、どうか俺の奥さんになってください」

 とめどなく溢れる雫のせいで、先生の輪郭がぼやけてしまう。

「は、はい……っ。よろしく、お願いします……」

 先生の指先があたしの涙を掬い上げる。
 それから目の前に影ができて、そっと目を閉じた。
 再会のキスは涙の味がした。

        ......

 何度目かのプロポーズを受けた日。
 あたしは、彼の自家用車で実家に送り届けられることになった。
 それまで気持ちを張りつめていたせいもあって、いつの間にかうたた寝をしていて。
 彼に肩を揺さぶられるまで、ぐっすりと熟睡していたらしい。
 まどろみながら瞼をこする。

「す、すみませんでした。つい寝ちゃってて」
「いえいえ、お気になさらず。実を言うと、却って好都合だったと申しますか」
「……え。好都合?」

 何やら彼らしくないキーワードを聞いてしまった気がする。
 急に不安になり、窓の外に視線を移す。

「あれ……ここ、どこですか?」
「奈江も来たことがある場所ですよ。さ、とりあえず降りましょうか」

 先生は言うなり、トランクからあたしの旅行鞄を出して。
 訳がわからないまま彼の元へ行くと、なぜか笑顔で手を握りしめられた。

「行きましょう。主役がいないと始まりませんから」
「へ? ……あ、ちょっ……?!」

 静止の声に構わず、先生はずんずんと森の中を進んでいく。

(一体どこへ……ってあれ、ここってもしかして……)

 ひんやりとした空気を和らげるのは、木々の間から差し込む陽光。
 のどかな景色は、徐々に記憶のものと重なっていく。
 先生の背中と周りの風景を見比べ、あたしはやっと自分がいる場所を理解した。
 きっと、この奥には神聖な場所がある。
 彼と将来を誓うための、あの森の教会が。

        ......

 あれから怒濤のような時間が流れた。
 教会の前には涼しい顔をした奧埜と、母専属のアシスタントの女性がいて。
 挨拶をする時間すら惜しむように、そのまま控え室へと連行された。
 そのまま身ぐるみを剥がされ、ヘアーセットとメイクを施されて。

「はい、お嬢様。できましたよ。次はお着替えですね」
「……はあ」

 時差ボケもあり、最早つっこむ気力すら残っていなかった。
 そして言われるままに着替え終わり、鏡に映った姿を見てやっと気づく。

(……もしかしなくとも、前に先生が褒めてくれたドレス……?)

 いつだったか、パソコン画面を見ていた彼。
 そこにはあたしが試着させられた写真が並べられていて。
 最後に先生が指差した写真はクチュールドレスだった。
 背中が開いたデザインで、繊細な刺繍とクチュールが目を引くウェディングドレス。 

(覚えていて、くれたんだ……)

 決して派手ではないけれど、クラシカルな雰囲気がこの教会と合っている。
 髪をアップせずに、後ろでゆるくまとめた理由にも得心がいった。
 背中を流れる髪に咲くのは白い花。
 まるで、森に住む妖精みたいな佇まいになっていて。
 夢のような心地に酔いしれる。
 つい感傷に浸っていると、不意に控え室のドアが開いた。

「よぉ、奈江」
「…………彗?!」
「話を聞いたときは度胆を抜かれるかと思ったけどよ、まぁ、頑張ったな」

 現れた早々、よく分からない労いをされて首を捻る。

「っていうか一体、何しに……」
「何言ってるの。人生でビッグなイベント! 結婚式のためじゃないの!」

 どーん、と勢いよくドアを開いて登場したのは両親だった。
 お母様は綺麗にめかしこんで、横にいるお父様は少し緊張した面持ちでいる。

「ひっさしぶりねえ、奈江ちゃん。あらあら、超絶かわいいわ。さすが私の娘ね」
「…………」
「さあさあ、照れていないで。良仁さんも褒めて差し上げて」
「……うむ。まあ、なんだ。……奈江も歳を重ねて綺麗になったな」

 彼らの口ぶりから、なんとなく状況が読めてきた。
 つまりはこうだ。

「お母様。……また、娘に内緒でいろいろとしでかしましたね?」
「やーねえ、今回の発案者は私じゃなくてよ」
「だったら一体誰が、こんな大がかりな計画を仕組んだと仰るんですか」

 じとりと目を据わらせると、お母様は可憐な仕草で両手を合わす。

「うふふ。彬さんも立派な策士よね。奈江ちゃんが勝手に留学を決めた仕返しに、こんな晴れ舞台を内密に用意しちゃうんだから」
「……は? ……今なんと?」
「まあ大変! 式までもう時間がないわ。私たちは先に行って待っているわね」
「……ちょっ、まだ話はおわっ――」

 ばたん、とドアの向こうに消えていく足音。
 追求の暇さえ与えず華麗に去っていった母親のせいで、幸せ気分も雲散霧消だ。

「諦めろ、奈江。俺たちは振り回される側なんだ」

 既に達観したような彗の口ぶりに、あたしは息をついた。

「もう深く考えるのはやめるわ……」
「それが懸命だな。じゃ、俺も行くから」
「ああうん……」

 やさぐれ気味で彗を見送ると、分厚い資料を抱えたアシスタントの女性が口を開く。

「時間も差し迫っていますので早速、これからの流れを説明しますね。まず……」

 あたしは早口で説明する彼女の言葉を必死に頭に叩きこんだ。
 夢が叶う瞬間は、刻一刻と近づいていた。

        ......

 扉を開けた先は、静寂と荘厳な気配が漂っていた。
 しずしずと歩みを進めると、パイプオルガンが優しく音を奏で出す。
 奥の段差では、数刻前に会った先生が待っていて。
 彼はパールホワイトのフロックコートに身を包んでいた。
 ベストやタイはシャンパン色で、空港で会ったときと印象が違う。
 先生の横に立つと、牧師から最終確認が始まる。

(本当に夢みたいだけど。これは夢じゃないのよね……)

 永遠の誓いを立て先生に向き直ると、ふわりとベールが巻き上げられる。
 色鮮やかなステンドグラスの光の下。
 先生越しに見える窓に描かれた四大天使が、優しい笑顔で祝福してくれていて。
 天使の羽のような口づけを交わす。
 静かなキスは、クーベルチュールチョコみたいに身も心も溶けていくようで。
 まるで、ふたりだけの空間にいるような錯覚に襲われる。

(今日から先生はあたしの夫で、ここから一緒に新しい一歩を踏み出すのよね)

 けれど、どこか現実感に欠けるような夢心地が抜けきらない。
 先生に手を引かれ、重い扉の外へと出る。
 その瞬間を狙っていたように、色とりどりの花びらがあたしたちを出迎えた。
 フラワーシャワーに合わせ、カラフルな風船が青空へはばたいていく。

「常盤ちゃん、おめでとう!」
「……みのり?!」
「先生が招待してくれたの。難波くんも」
「いやーまさか、常盤さんがあの常盤財閥の令嬢だなんて思ってもみなかったよ」
「だよねぇ」

 懐かしいふたりの姿を見て、涙腺は呆気なく崩壊した。

「…………ごめんなさい。ずっと黙ってて」
「いいよいいよ。だから泣きやんで。今日はおめでたい日なんだから」

 涙を拭い、あたしは精一杯の笑顔を作った。
 みのりは満足したように二度頷き、それから思い出したように言う。

「そうそう、朝比奈くんもすごく来たがってたよー。でも、今はハネムーン中で海外にいるから無理だったけど。奥さんほっぽって結婚式に参列なんてできないし」
「……え……ハネムーン? ……結婚したの? 誰と?」
「んー名前までは知らないけど、どこかのご令嬢だって。高校からの婚約者って聞いたけど」

 だったら間違い無いだろう。

(朝比奈くんは紫桜さんと結婚したのね。今度お祝いしなくちゃ……)

 とはいえ、よもや彼が自分より早くゴールインするとは。
 両親たちと話しこんでいる先生をちらりと見ると、環さんがこちらに気がついたらしく、優しく微笑んでくれた。
 目礼してみのりたちに視線を戻す。
 と不意に、誰かに肩を優しく叩かれた。

「とっても綺麗よ。奈江ちゃん」

 柔らかに降り注ぐ陽光から現れた姿に、あたしは目を見開く。

「……相原さん……?」
「久しぶりね」

 彼女は若草色のワンピースで、変わらず可愛い雰囲気を纏っていた。

「どうして……ここに」
「実はね。奈江ちゃんのためにブーケを作ってほしいって頼まれたのよ」
「え、じゃあこれ……?」

 自分の手元にある花束と相原さんを見比べる。
 シャーベットカラーのラウンドブーケ。
 ライラックパープルを差し色にした、春色のローズブーケは甘い色合いで。
 清楚なウェディングドレスによく映えていた。

「そうだよ。私特製のブーケ。心をこめて作ってみました」
「……っっ……ありがとう、ございます……」

 まさか、再び彼女にこうして元気を分けてもらう日が来るなんて。
 全く想像だにしていなかった。
 あのときのように、向日葵みたいな笑みを向けられて。
 あたしは泣き顔を必死に堪え、くしゃくしゃの笑顔を返した。
 どうしようもない寂しさと戦ってきた日々は、すべてはこの瞬間のためで。
 異国の地でひとりで頑張ってきたのは、無駄じゃなかった。

(あたしは……こんなにたくさんの人に祝福されて幸せ者だわ……)

 教会の鐘の音が鳴り響き、白い鳩が一斉に飛び立つ。

「……奈江」

 振り返った先には、自分の名を呼ぶ愛しい人がいて。
 彼に肩を抱かれ、安心して体を預ける。

「やっと、夫婦になれたんですね。あたしたち……」
「ええ。そうですよ」
「もう離さないでくださいね」
「今まで俺の分まで頑張ってくれてありがとう。これからは、ずっとそばにいますから」
「絶対ですよ……?」

 冗談交じりに言うと、瞼に触れるだけのキスが落とされた。
 まるで、それが返事だというように。
 左手の薬指には、世界でたったひとつの双子ダイヤモンドが輝いていた。

        ......

 恋はいずれ、愛に変わるというけれど。
 結婚は恋の終着点じゃないと思いたいから。
 だから、あたしたちの恋のパレードはここから始まる。