Chapter 1 ---弐

「聡美ィ、ちょっと聞いてよ。あたしの不幸」
「どしたの、そんな変顔作って」
「………あたし、友達運ないかも」

 素で落ち込んでいると、すぐに弁解の声が聞こえる。

「あはは、軽い冗談だって。それより何? 面白い話なら常時受付中よ」
「真面目に聞く気ある?」
「勿論?」

 そう言う聡美は好奇の目がちらりと光っていたんだけど。
 まぁいいか、いつもの事だし。
 あたしは溜め息混じりに呟く。

「あのさ、引越したんだよね。幼馴染の家に」
「あーそんなことも言っていたような。で、その幼馴染とうまくいっていないと?」

 その言葉に大きく頷いた。
 右手で拳を作り、昨日のストレスを言葉に出す。

「あんな奴とうまくいくわけないよっ! ヒトを年下と思っていいようにこき使ちゃってくれて……、あーむかっ腹が立つぅ!」
「でもカッコ良くないわけじゃないんでしょ? その彼。んで今フリーなんでしょ? チャンスなんじゃないのォ、佐奈。彼氏いない暦に終止符を打って青春したら? はっきり言って、今のアンタは色気のかけらもない」

 あっさりと切り捨ててくれちゃって……さすがにちょっと凹んだ。
 軽く涙目になりつつも聡美を見た。

「それ。姉にも似たような台詞言われたんですけど……」
「じゃあ、潔く認めてその彼をゲットしちゃいなさいよ。そういうタイプって、彼女にはすっごく優しくしてくれると思うけどなー」
「………いやいやいや、あり得ない! 聡美はあいつのこと知らないから、そんなことが言えるんだよ」
「そりゃそーでしょ。知らないんだから。好き勝手言うわよ」

 相変わらず、強気なおねーさんなことで。
 あたしが深くうな垂れたのは言うまでも無い。

        ☆

 放課後はいつもと同じく、聡美と男バスのマネージャーの仕事をこなしていく。
 けれど、やっぱり口がお休みすることは少なくて。
 今日のトレーニング内容をノートに書いていた聡美はふと手を止めた。

「この前、先生の話聞いたんだけど、レギュラー見込みありそうなんだって」
「ああ、中井くん?」
「中学から結構人気あったみたいだし。……そういや小耳に挟んだ話だと、佐奈みたいなのが好きなタイプだって。ひょっとしたら告られちゃうんじゃないのー?」

 中井くんは我が部の有能な一年生のひとりだ。
 冗談が好きな彼のことだ、きっと本意ではない。

「ご冗談を。そんな訳ないって」
「あら。現実派のご意見ねー」
「やっぱり、からかってたのね?」
「ま、当たらずとも遠からずって感じ? ……あ、ほら歩いてくるの中井くんでしょ?噂をすれば、かしら」

 聡美に目で促された先には確かに後輩の姿があった。

「おーい、美原。元気してた?」

 この軽い口調はいつもの如く。
 そしてあたしが返す台詞も毎回同じだ。

「仮にもあたしは先輩! それにさっきも話したでしょ!」
「だってさぁ、美原って先輩ってイメージじゃないんだもん」
「だもん呼ばわりしてもだぁめ! 中井くんまでからかって遊ばないで頂戴」

 そう言うと、中井くんは徐に顎に手を当てて「ふむふむ」と一人頷いていた。
 何がふむふむ、なのよ。

「あー分かった。上元先輩にからかわれたんでしょ、さっき」
「まあ。察しがいいじゃない、いっそのこと同盟組む?」
「いいですね。その考え――」
「二人とも! 今は部活中でしょ!! 遊んでないで部活に集中してよ」

 意気投合した二人を野放しにしていたら、きっとロクな事にならない。
 一方の中井くんは部長からお呼びがかかったみたいで、すぐにその場を後にした。
 バスケットボールのドリブルの音、シュート時のネットに入る音を聞きながら皆の雄姿にしばし見惚れる。
 だけど聡美の声で現実に引き戻され、部活に専念しなくちゃと意識を戻す。
 いつもの日課をこなし、一段落ついたところであたしはボールを拭き始めた。
 だいたい拭き終わったかなと伸びをしていたら、目の前に中井くんが立っていた。

「なぁ、美原」
「美原せ・ん・ぱ・い!」

 鋭く切り返すと、笑いとともに言葉が返ってきた。

「上元先輩からの伝言。用事ができたからあとよろしく、だって」
「ん、わざわざありがと」

 時計を見ると、結構いい時間。
 聡美が帰ったのなら戸締りして帰らないと。
 中井くんは笑みを浮かべて言った。

「何なら送りましょうか?」
「えーいいよ。一人慣れてるし、迷惑かけらんないよ」
「ほら、最近は何かと物騒だし、いくら先輩だからって女の子なんだからさ。横に俺がいるだけでも牽制になるかもだし?」

 その言葉は説得力あるような、ないような。
 とはいえ、ここで意地を張って断る理由もなく、おとなしく首を縦に振った。

「んー。じゃあお言葉に甘えて」
「最初からそう言えばいいのに……ねぇ?」

 だから何が、ねぇ? なのよ。
 けれどあたしは敢えて追及せずに、黙々とロッカーへ荷物を取りに行って部屋の施錠を済ませる。
 そうして部誌を鞄の中に突っ込んで、着替えを済ませた中井くんと合流した。
 体育館から生徒玄関までの距離がいつもより短く感じられた。
 中井くんの喋りに聞き入っているうちに下駄箱に着いていたからかもしれない。
 それぞれの学年の靴箱へと一旦別れ、今度は正門までゆっくりと歩く。
 やがて彼の話に一区切りができたところで、あたしは口を開いた。

「それはそうと、中井くんって姉か妹がいない?」
「上に二人居るけど……なんで分かるの?」

 なんとなく、と答えると突然のゲリラ雷雨に見舞われた。
 ポツポツという音から一気にザザーという音に変わって。
 勿論、お互い傘なんて持ってるはずもなく。
 せめて教科書だけは雨から守らなきゃ、と両手で学生鞄を守る。
 中井くんが向こうの大きな木を指差してる意味に気づき、そこまで走った。
 大雨はとりあえずしのげたけど、ここでの雨宿りもいつまで持つか。
 木の葉に溜まった滴が一斉に落ちるのを想像してしまうと、つい身構えてしまう。
 昔、雨宿りしていたつもりが、ずぶ濡れになったことは子供ながらに衝撃だった。
 早くやむといいなと淡い期待を抱いてみるも、雨は激しさを増すばかり。

「ひどい土砂降りだね」
「体が冷えてきたら風邪引きそう」
「え?! あ、ねえ。うちすぐ近くだから! 来て服乾かそう! 折りたたみ傘もないんでしょ?」
「……だ、大丈夫だよ、それに中井くんの家に迷惑かけらんないし」
「だぁ駄目! 女の子に風邪引かせちゃ男が廃る!」

 だいぶ制服もぐっしょりしていたので今更、構わないんだけど。
 でも必死な形相で言われたら、そうなのかな、とも思ってしまう。
 こくりと頷くと、中井くんと一緒に彼の家まで走った。
 雨粒で視界が悪い中に走るのは結構しんどかったけど、本当に家は近くて。
 アパートの屋根に入ってホッと一息ついたが、寂れた感じの佇まいを見てひとつの予感が過ぎる。
 その予感は玄関に入り、確信へと変わっていた。
 靴は一人分しかなかった。

「まさかと思うけど」
「ごめん。そのまさか……一人暮らしだよ」

 バツの悪そうな顔をした中井くんに、何て言葉を返していいか分からなかった。
 玄関に突っ立ていると、バタバタと部屋に上がった中井くんからタオルを貰う。
 水滴が落ちる髪を簡単に乾かして、水分を吸った制服にタオルを当てる。
 だが、びしょ濡れの制服は重たいままで、あまり意味はなかった。

 これは乾燥機の出番かなぁ、それに何だか体中がべたべたする……。

 さすがに後輩の家でお風呂を借りるのもあれだし。
 帰るね、と一言断りを入れようと見上げるたら、中井くんが無言のまま近づいてきて腕を取られる。

 ……何???

「体冷えたときは、温かいものでも飲んだほうがいいよ。用意するからあがって」
「え、いいよ。あたしはもう帰るよ。結構派手に濡れたから、お風呂入ったほうがいいみたいだし」
「……じゃあ、飲み物だけご馳走させてよ」

 その頼りない声につい頷いてしまった。
 本音を言えば、体中が冷え切っていてかなり寒い。
 気を引き締めていないと身震いしそうだった。
 居間に通されて、思ったより家具があることに気が付く。
 男の子一人だったらあんまり物なんてないのかと思っていたら、それなりに家庭的な雰囲気がそこにはあった。
 もしかしたら彼の家の人がここの配置を考えたのかもしれない。
 白いソファを勧められたけど、スカートも濡れてたから、ここでいい、と断った。

「何がいい?」
「あ、……ホットミルクある?」
「了解」

 台所に消えた中井くんが居間に戻ってくる間、本棚にある分厚い本が目に入った。
 近づくと法律関係の本がぎっしりとあった。
 中井くん、将来はそういう道に進むのかな。
 考えに耽っていると、マグカップを持った彼が現れた。
 はい、と差し出されたコップを両手で受け取って早速口をつける。

 ちょっと甘いかも。

 でもすごく暖まる気がした。心も、体も。
 こんなに雨に降られた経験は久しぶりだった。
 いつの間にかついていたテレビの音が耳に入ってきて、意識をそちらに向ける。
 そこには今夜の雨量についての注意が報道されていた。
 ホットミルクをちびちび飲みきると、横から手が出てきてコップを取られた。

「あ、ご馳走さま。……そろそろ帰るね」

 ドアに向かうと身を翻させられた。
 突然のことに抵抗できず、身動きを封じるように壁際に追いやられていた。
 壁に片手を当て、詰め寄られる。
 すぐ目の前には彼の顔。
 はじめて至近距離で見る瞳は爛々と輝いていて見入ってしまう。

「俺、美原……いや、佐奈のことがずっと好きだった」
「あの、この状況でそういうこと言うの卑怯よ?」
「分かってるよ」

 おどけて笑うその顔に、いつものからかいの表情はなく。
 代わりに男を感じさせる吐息が自分でも分かるほど心拍数を大きくさせる。

「ねぇ、だからあたしのことを呼び捨てにしていたの?」
「うん。そうすれば記憶に残るでしょ?」
「……確信犯ってわけね」
「そうとも言えるかな。うん」

 うん……って、肯定しないでよ!
 いつもなら間違いなく叫ぶ台詞を発する元気は今はなくて。
 とにかく、冷静に話し合わなければ。
 しかし耳元で囁く声が考える暇を許さなかった。

「ねえ、俺の好きな気持ちは理屈とかじゃなくて、ホントに好きなんだ。俺が、佐奈を守りたい」
「……え?」
「こんな俺じゃ嫌? 釣り合わない?」

 その問いには答えられなかった。
 そもそも、こんな逃げ場のない状況で告白された経験なんて皆無なんですけど。
 悩みながらも答えは見つからなくて、中井くんを見上げることしかできなかった。

「でも……もう無理だけど。佐奈は逃げらんないよ」

 直後、衝動に駆られたキスをされていた。
 角度を変えて啄ばまれる。
 生暖かい舌が口内に入ってきて、あたしの舌を絡め取った。
 思い描いていたキスとは全く違う、濃厚な口づけだった。
 溢れてくる唾液が顎を伝っていくのが分かる。
 でも、逃げられない。
 思考が働かず、何も考えられなくなっていた。
 長いキスからやっと解放されたときには、焦点がすぐには定まらなかった。
 さっきの余韻なのか呆けてしまっていて。
 意識を戻すと中井くんに抱き上げられていた。

「ちょ、重いからおろしてっ」
「いいって、軽いし」

 辿り着いた先は電気の点いていない真っ暗な寝室だった。

 これは、さすがにマズいよね……?

 いくら鈍いあたしでも分かる。
 何とか説得しなきゃと思ってる間にベッドにそっと降ろされ、慌てて起き上がる。
 スプリングの軋む音に咄嗟に身を竦ませるが、中井くんはベッドの端に座っているだけだった。
 そして、独り言のように呟いた。

「ねぇ。どうしても逃げたい?」
「……え?」
「俺が触れたら嫌? ……ダメ?」
「ダメ、って。そういう問題じゃないでしょ……?」
「どういう問題? 俺は少なくとも佐奈が好き。それだけじゃダメなの? 嫌いでもないんでしょ、俺のこと」
「……それは」

 そうだけど、恋愛って嫌いじゃないから受け入れるものだっけ?
 いや違う。そんなわけない。

「俺のこと、好きになって。俺だけ見てて」
「………そんなこと、言われても困る。………帰りたい」
「帰したくない」

 だだをこねている子供みたいだと思った。
 しばらく見つめ合っていると、何かに縛られたように目が逸らせなくなっていた。
 さっき、キスしたからかもしれない。
 あまりにも一方的だったけど今になって照れてきてしまう。
 彼から逸らそうと目を泳がせていると、両腕を取られて押し倒されていた。

 ……いや……。

 その単語が頭の中に浮かび上がる。
 でも、その言葉を口にすることが怖かった。
 言ってしまったら取り消せない。
 たった一つの単語で関係が壊れていく気がして、何も言えなくなっていた。
 そうこう考えていると再び口付けされていた。
 さっきなんかよりはずっと優しい。
 でも、あたしの心なんか関係なくて。
 このまま身を委ねて幸せになれるのかな。

 ……そんなの、答えはノーに決まってる。

 だけど「守る」と言ってくれた彼の言葉に嘘はないと思う。
 だから躊躇われた、嫌だと抵抗することに。

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