Chapter 1 ---四

 聡美に全部を話したことで、胸のつかえが軽くなっていた。
 しかし、マンションに帰るとなぜか不機嫌顔な仁志が出迎えてくれた。

「おう、遅いじゃねぇか」
「な、何よ……」

 どうして帰り時間まで文句言われなくちゃいけない訳?
 とは思ったが、冷め切った視線が向けられて言葉を飲み込む。

「ご飯作るの、佐奈の仕事だろうが」
「……なっ、何よ。それでそんなに機嫌が悪いわけ? 子供みたい」
「いいから作れ。俺だって空腹なんだよ」
「もう、ご飯ぐらい自分で作れないわけ?」

 言いながら台所に急ぎ足で向かってるあたしもあたしだけどさ。
 まぁ多少の非も感じるし、今日はおとなしく作ってあげるか。
 心の中でぼやきながら、冷蔵庫にあった品々を台所に並べて料理にとりかかる。
 手間隙かけるよりも今は時間勝負。
 だからメニューは冷蔵庫にあったものを使った即席チャーハン。
 成長期を過ぎたとはいえ、大食いの幼馴染に合わせてこの前八宝菜で残っていた食材をふんだんに使った。
 そうして十五分ぐらいで大急ぎで盛り付けた皿を持っていくと。
 開口一番、奴はこう言い放った。

「遅かったな。待ちくたびれた」
「……はいはい、悪うございましたね!」

 ムカつきの気持ちを包み隠さず、どんっとお皿を食卓に置いた。
 文句を言うものなら自分で作れ、よ。
 そんな思いを込めて視線を送るが、仁志は食事中に口を開く事はなかった。
 余程お腹がすいていたのかしら。
 エプロンを片付けて、あたしも夕飯にありつく。
 しばらくして、仁志は既に完食したらしく食べ終わったお皿を片付けていく。
 昔から背は高かったと思うけど、高身長は何でこうカッコよく見えちゃうんだろ。
 そのとき、台所から戻ってきた仁志が思い出したように呟く。

「あぁ……佐奈。遅くなる日は連絡しろ。あと電気も消して寝ろ」

 豆鉄砲を打たれたかのようにびっくりして瞬きを繰り返す。
 っていうか、どうして今頃言うわけ?
 いくら幼馴染とはいえ、仁志の表情から意図を掴む事はできなかった。
 あからさまな動揺を悟られまいと努めて声を出す。

「起きてたの?」
「いや、起きてみたら電気点けっぱなしだった。つーか、俺を散々待たせてご飯作らなかった礼は倍にして返してもらうから。それだけは覚悟しとけよな」
「お、鬼……」
「そのぐらいは常識だろ、お前の常識が間違ってるんじゃねぇの?」

 くっ、何よこの俺様め!!!
 しかしここで反論しようものならば今までの経験上、後が怖い。
 不本意だけど、おとなしく口を噤むことにする。
 何も言わなくなったのを見て、仁志はソファに座ってテレビを見始めていた。
 下手に食い下がるのは賢明じゃないと思い直し、食べ終わった食器を洗うと自室へ直行した。

        ☆

 放課後の部活はいつも通り進んでいく。
 あたしは、ランニングを終えて体育館に入っていく後輩たちを見守っていた。
 汗だくになった後輩の中に、探していた人物を見つける。
 目が合うと、彼が先に口を開いた。

「おはようございます、美原先輩」
「……うん。おはよ」

 今までまともに先輩と呼ばれたことなんて、一度たりともないのに。
 だけど、中井くんは挨拶だけ済ますとそのまま体育館へと入ってしまった。
 仕方なく残りのランニング組がやってくるのを待ち、チェックリストに記入して聡美の元に戻った。

「終わったよ」
「……ねぇ、やっぱり今日は休んだら? 私ひとりでもできるし」
「大丈夫だから、本当に」

 きっと大丈夫じゃないと思われているけど、平静を装った。
 冷静に考える事はまだ、できるから。
 大丈夫だと言い聞かせてさえいれば外見上は大丈夫なはずだ。
 いつもと同じ練習風景を眺める。
 ドリブルの音、掛け声に時折混じる笑い声。
 目の前の光景なのに、なぜだか遠く感じていた。
 考え事をしながら作業をしていると、時間が経つのはあっという間で。
 不意に響く先生の笛の音に体がびくっとしてしまう。
 腕時計を見ると、部活終了を告げる音だった。
 皆はてきぱきと片付けを終わらせ、まだ諸々雑用が残っているあたしたちに労いの言葉をかけながら帰っていく。
 こちらも「お疲れさま」と言うと、少し遠くから同じ言葉が重なった。

「お疲れ様でしたー」

 その中井くんの声を聞いた途端、泣きそうになっていた。
 今までと違う態度に、胸がぎゅっと締めつけられる。
 あれは夢だったのだろうか。
 それとも一時の気の迷い?
 そんなわけはない、……と思う。
 けれど、いつも他愛ないことを話しかけてくる彼が来ることはなかった。

        ☆

 今日は週末の金曜日。
 部活は明日もあるけど、授業がない分、気持ち的に楽だった。
 それでも中井くんのことを考えると憂鬱になる。
 聡美が言ってくれたように何日か部活を休んでしまおうかとも考える。
 とはいえ、マネージャーの雑務を聡美ひとりに押しつけるのはやっぱり心苦しい。
 あの夜の記憶は日を追うごとに朧気になっていた。
 まるで遠い昔の出来事のように。
 無反応がこんなに辛いことだったなんて、思いもしなかった。
 そのことに今頃気づいても遅いんだろうけど。
 きっと、あたしが「付き合う」と言ったことも。
 ……心からの言葉じゃないって見抜かれている、と思う。
 だからこそ、何も話しかけてこないんだ。
 仮に謝っても更に彼を傷つけるだけだったら、とても話しかけられない。
 今の状況は自分が招いた結果。
 そんなの当たり前なのに、あたしは何を期待しているんだろう。
 青ざめながら渡り廊下を歩いていると、突然後ろから声をかけられた。

「美原先輩」

 悩みの種である中井くんがそこにいた。
 もうすぐ部活が始まる時間だというのに、ジャージではなく制服のままだった。
 あたしは帰りのホームルームが遅かったせいで、もちろん着替えていない。

「な、なに?」
「ちょっと行きたいところがあるんだ。これから付き合ってもらうとかはダメ?」

 どうして、今更あたしに声をかけるんだろう。
 もうあの夜のことはなかったこと、だったんじゃないの?
 喉まで出ててくる言葉は声にならなかった。
 それを聞くのは怖くて、でも今断ったらもう二度と話しかけられないんじゃないかと思うと一層怖くなった。

「…………いいよ」
「そ。良かった。じゃあ早速だけど、行こっか」

 自然と差し出された手に、おそるおそる自分の手を合わせた。

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