Chapter 1 ---五

「どこに行くの?」
「スポーツショップ」

 それ以後会話はないまま、商店街の一角にあるスポーツ用品店に来て。
 あたしは特に興味もなくて、というよりも商品を見る余裕なんて全然なくて。
 上の空で頷きを返していたと思う。
 だけど、それに不満の声は一切聞こえてこなくて。
 部活をサボってまで誘われた理由を考える。
 単に買い物につき合ってほしかった、って訳はないはず。
 とすると、やっぱり心当たりはひとつしかなくて。
 何を言われるんだろう。
 不安が押し寄せていると、ふと至近距離に中井くんの顔があった。 

「な……なに?」
「いや、大丈夫? 体調が悪いんならもう帰ろうか」
「……大丈夫。心配かけてごめんね」
「無理はしないでくださいね? うちの部の大事なマネージャーなんだから」

 その決定的な一言で頭が真っ白になって、外へ飛び出していた。

「え、ちょっ……佐奈?!」

 何か聞こえたけど、走り出した足を止めることもできなかった。
 こういうとき人込みって嫌。
 向かってくる人たちを際限なく避けなくてはいけない。
 楽しそうな笑い声が耳を素通りしていって、自分が何だか空しく思えてくる。

 もう何もかもがめちゃくだ……!

 人気のないところを目指したはずが、どんどん人が溢れる場所へ向かっていた。
 ここじゃダメだと思って、引き返そうとしたら。
 横から思い切り腕を引かれ、人混みから商店街の路地裏へと連れ出された。
 目の前には中井くんが荒い息をしていて、あたしを見つめていた。

 何か言われる……!

 咄嗟に目を瞑って現実逃避をしてしまう。
 だけど、予想していた罵倒は一切聞こえてこなくて。
 不思議に思って恐る恐る目を開けると、心配そうな瞳と目が合った。
 掴まれていた腕はとっくに解放されていて。
 泣き出しそうに顔を歪ませる顔に自然と腕を伸ばしていた。
 頬に手が当たると、中井くんの体がびくりと強張るのが伝わった。
 でも何だか放っておけなくて、ゆっくりと抱きしめた。
 抱きしめ返す手は優しくて。
 そのとき、やっと無意識の行動に自覚して頬が熱くなる。
 慌てて離れようとすると、今度は強く抱きしめられて身動きが取れなくなった。

「あの、あたし……」

 言いよどむと、中井くんは顔が見えない状態のまま言った。

「この前は本当にごめん。それにずっと目を合わせられなくてごめん」
「……やっぱり意図的だったんだ」
「ごめん。いっぱい傷つけた。あの日も傷つけたのを分かっていたのに、学校で佐奈を見たら何も言えなくなった。そのことでまた傷つけているってこと分かっていたはずなのに、何を言ったらいいのか分からなくて……だからごめん」

 心がついていかなかった。

「あのね? ……今は何も聞きたくないの。だから、ちょっと離して?」

 懇願するように言うと体が解放された。
 ただ、目が合ったその顔はすごく傷ついていた。
 咄嗟にこれ以上、目を合わせられないと思って顔を背ける。
 だけど、何も言わずに去ろうとした手はしっかりと捕まれていた。

「な……なに?」
「嫌いになられたって仕方ないと思ってる。だけど、こんな別れ方は嫌だ。俺の家、来てよ」
「…………それ、どういう意味?」
「どうとでも取って」

 吐き捨てるような台詞に何も言い返すことができなかった。

        ☆

 強く握られた手を解放されたのは、中井くんのアパートに着いてからだった。
 大きな手の感覚が消えると、そこには触れていた熱と痺れが残っていた。

「何を話すっていうの……?」
「今、俺の事嫌い?」
「…………わかんない」

 まっすぐと見つめてくる目に熱が篭っていることに気づかないわけがない。
 だからこれ以上見ちゃダメだと思って逸らした。

「ねえ俺、まだ嫌われたわけじゃない? これから好きになってもらえる可能性は残ってる……?」

 切なげな声音に反射的に顔を上げた。
 だけどその途端、彼の唇があたしのものへと触れた。
 玄関のドアを背に縫い付けられるようにキスされていた。
 触れるだけの優しいキスは次第に深くなり、呼吸困難の一歩手前になっていた。

「……んっ……っ……んぅ……、はぁっ」
「臆病者でごめん。だけど本気で好きなんだ。理屈じゃなくて」
「……だ、だから。こういう状況でそれを言われても……まだ思考がちゃんとしてないっていうのに」
「だって俺を受け入れて欲しいから。ただでさえ、年下だから恋愛の範疇に入れてもらえないしさ。俺だってそれだけ必死ってことだよ」

 その言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。
 何度も同じ言葉を頭の中で繰り返していると、不意に耳元で囁かれた。

「じゃあ質問。俺とのキスは嫌?」
「……嫌でもないけど」
「けど?」
「…………あたしのこと、何て思ってるか分からなくなる」

 もう降参とばかりに素直な思いを口にした。
 耳に近づく吐息にゾクゾクとして眩暈さえ覚えた。
 中井くんは目を見開くと、次の瞬間にはおどけて笑って見せた。

「佐奈は正直だね。そういうところも惹かれたんだけどさ。でももし……これまで通り、部活の後輩として接して欲しいって言われたら努力はするよ?」
「ご冗談を」
「…………だったら、俺を彼氏としてくれる?」

 すぐには返事ができなかった。
 改めて聞かれて、自分の心を偽ることはもうできないのだと悟る。
 と同時に、あたしはどうしたいのだろうと必死に考える。
 美原先輩と呼ばれたときの胸の痛みがまだ心に疼いていた。
 まるで興味はないんだと全否定されているみたいで、すごく切なかった。
 その状態に戻ってしまうのは辛い。
 ひたすら答えを待っている中井くんは神妙な面持ちで。
 そろそろ沈黙も限界だと感じ、深呼吸してから閉じていた口を開く。

「……変によそよそしくなるのは嫌だと思ったの」
「俺の彼女になってくれる?」
「……うん」

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