Chapter 1 ---六

「佐奈、ちょっとこっち来なさい!!」

 朝っぱらから早々、聡美に呼び止められるのも滅多にない。
 というか多分これが初めて。
 不安を胸に抱え、おとなしく聡美の後に続いて屋上へと続く階段を登る。

「どうしたの?」
「それはこっちの台詞! 何あの、ほのぼの登校風景は? この前までの落ち込みはどこにいったっていうの。つーか、私は納得がいかないっ」

 聡美の言い分は、もっともだと思う。
 あたし自身も同じことを思っていたから。
 本当にこれでいいのかなって。

「そこまでほのぼのじゃなかったと思うけど」
「まぁね、それは言葉のあやだわ。……でもどう見ても、あれは付き合ってますって誤解されてもおかしくない光景だったわよ?」
「…………だって。付き合って、る、から」

 いくら聡美といえども、さすがにちょっと言いにくい話題。
 軽い女と言われたってしょうがない。
 その自覚はあるし、……きっと好きっていう感情は現時点ではないに等しい。
 ただ、カタチだけの付き合いと言われても否定はできない。
 もっと言えば、人のいい後輩の気持ちを利用した最低な行動だと自分でも思う。
 好きでもないくせに付き合うなんて、男にとって都合のいい女っていうことを自分で認めているようなもの。
 断ることはできた、はず。
 でも悲しむ中井くんの顔を想像すると、とても断る言葉は言えなくて。
 ……ううん、それは違うかな。
 自分のプライドを守る為に、決めたことだった。

「佐奈。今すごく胸が苦しいんじゃない?」
「…………」
「気持ちを偽って付き合ったって、そんなの幸せとは言えないと思う。本当に平気なの? これで」

 平気かどうか……そんなの考えるまでもない。
 ものすごく辛いし、苦しい。
 心が押しつぶされてしまいそうで、すごく締め付けられる感じ。

「…………そのうち、好きになるかもしれないよ」
「それは、同情で?」
「今は好きとかそういうの、分からなくなってるの。優しくしてくれる人が好きだし、あっちは好きだと思ってくれているし。同情でも、ちゃんとした恋愛感情になる可能性はゼロではないでしょ?」

 声が、震えてる。
 聡美にも気付かれてると思う。
 内心とは違う言葉を口に乗せてみても、ずっと一緒に過ごした友達を騙せるわけなんかなかった。

「一つ言っておくけど、同情はやめときなよ」
「……そうかもしれない。だけど……」
「だけど?」

 聡美の瞳を見る勇気はない。
 俯いたまま言葉の続きを口にする。

「もう少し……このままでいたいの。……ちゃんと別れるとしても、もう少し先にしたいの」
「それは余計苦しくなるだけよ? 分かってるでしょ? 同情なんてお互いを傷つけあうだけ。無理して笑って負担がどんどんかかって、身も心もぼろぼろになるだけなんだよ。……これは佐奈の友達として、敢えて言ってるんだからね」

 ひとつひとつの言葉に心が抉られるような気持ちだった。
 分かってる。
 …………分かってた、はずだった。
 自分がしたことは間違いなんだと。
 けど、それを認めたくなくて。
 中井くんの気持ちを利用して、自分の行為を正当化しようとしたんだ。

「本当にあたしって最低だね……」
「分かってるなら、もう少し自分が傷つかないようにしなさないよ。人を傷つけて自分も傷つくようなこと、してほしくない」
「……うん。でもごめん、しばらく一人で考えさせて」

 それから朝のSHRと授業はまったく身が入らないまま受けて。
 気が付けば既に放課後だった。
 放課後は部活を休まない限り、中井くんに会う場所。
 仮病でも使って早退しようか、とも頭の隅で考えている自分に嫌気がさす。
 どうして逃げることばかり考えてるんだろう。
 自分で決めた結論にはちゃんと責任を取ろうと思った。
 だから……彼女になるって言ったのに。
 これじゃあ、聡美の目を見て話すことなんてできない。
 体育館前の柱にもたれかかっていると後ろから声がした。

「……なーにやってんの。佐奈」

 名前を呼ばれたことでびっくりして勢いよく振り返る。
 そこには制服姿の中井くんの姿があった。
 けど昨日と違うのは、左手にバスケットボールを持っていたことだった。
 今日はサボりじゃないと軽く安堵しながらも抗議する。

「急に声かけないでよ。普通は驚くでしょ?」
「うんまぁね。だけど驚いた顔も見てみたいと思った、って言ったらどうする?」

 そこには意地悪を思いついたような子供と同じ笑顔があった。

「どうするって……どうも、しません」
「あー。ズルイなあ。反応を楽しみにしてたのに」
「面と向かってそういうこと言わないでくれる? それよりこんなところで油売ってていいの? 部活でしょ」
「それを言うと佐奈だって、同じこと言えるよ」

 う……それは確かにそうだ。
 腕時計をちらりと見れば、部活が始まるまで既に五分を切っている。
 急がないと聡美に怒られるのは必至だ。

「今日さ」

 唐突な一言に体が硬直して、言葉の続きを待つことしかできなかった。

「今日さ……一緒に帰っても、いいんだよね?」
「う……うん。どうして、そんなこと聞くの?」
「一応、確認しときたかっただけ。上元先輩と二人で帰る約束してたかも、とか?」

 そう言って顔を近づけてくる中井くんは、いとも簡単にあたしの瞳を射すくめる。
 心臓の音が否応なく頭に響く。
 だけど、フッと離れた中井くんは軽く伸びをして歩き出した。

「さーな。置いてくよー?」

 いつのまにか距離がだいぶ開いていて、慌てて小走りで追いついた。

「や……置いてかなくてもいいじゃん! ていうか、仮にも先輩なのよあたし」
「うん? 気のせい、気のせい」
「笑って誤魔化してもダメだってば! ちゃんと先輩と呼ぶように!」
「……えー?」

 可愛らしく首を傾げたって簡単に折れないんだから。
 結局そんなやり取りをしていたせいで、様子を見に来た聡美によって「バカップルぶりはいいから早く来る!」とたしなめられる事になった。

        ☆

 部活を終えた後はいつもの帰宅風景だった。
 夕方を過ぎてもまだ明るい空の下、通量の少ない歩道を歩いていた。
 沈黙で支配されるんじゃないかと心配していたけど、どうやら杞憂だったらしい。
 中井くんは自然に話題を振ってきて、聡美も普通に受け答えをしていた。
 おかげで、あたしも普通に会話の輪に入れていて。

「じゃあ上元先輩、お疲れ様でしたー」
「うん。私の代わりにちゃーんと佐奈を送ってあげてね」
「分かってますってば」

 あたしを横に、二人は別れの挨拶を済ましていた。
 そうしてどんどん遠ざかっていく聡美の後ろ姿を見送り、再び歩き出す。
 だけど、さっきとは打って変わって会話は何もない。
 それはお互いが何も言葉を発していないからに違いないのだけど。
 いたたまれない静寂が、今の心の距離を表しているようだった。
 そんなことを悶々と考えていたせいかもしれない。
 隣を歩いていた中井くんが足を止めたのに気付くのにも遅れて。
 そのため、「どうしたの?」と声をかけるタイミングも逃してしまっていた。

「佐奈。今の気持ちを教えて」

 思いつめたような顔で言う中井くんの問いかけに、頭が真っ白になった。

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