Chapter 1 ---七

 ……今の、気持ち……?
 だって、そんなこと言えるわけないよ。
 傷つけると分かっていることをわざわざ伝えるような真似はできない。
 なのに目の前にいる中井くんの表情は全く変わらず、突き刺すような視線が痛い。

「え、えと。待って……どうして、そんなことを聞くの?」
「佐奈が後悔しているみたいだったから。……俺を選んだ事。確かに今は、俺のことが好きだから付き合ってくれているわけじゃない。それはちゃんと理解しているつもりだし、佐奈の優しい性格につけこんだのは確かなんだし。けど」

 すらすらと言葉が出てくるってことは。
 きっと今の台詞を心の中で繰り返していたからに違いない。
 それが分かるのに、まるで他人事みたいに聞いている自分に嫌気が差す。
 自己嫌悪していると、不意に目の前に影ができていた。

「無理やり答えを求めたのは俺だから、しょうがないって分かってるし。しばらくは佐奈の気持ちが落ち着くまで待ってるつもりだったけど、今日の佐奈を見てたら自分はどんだけ子供なんだろって思った」
「どういう、こと?」
「そんなに泣きそうな顔をさせてると思うと…………さすがに辛いよ」

 言われるまで自覚がなかった。
 それは自分のことさえ見えていなかったという何よりの証拠。
 泣きそうだと言われて初めて、確かに込み上げてくる思いに潰れそうだった。

「あの……あのね? 自分のことなのに、心がまだついていっていないの。だ、だから…………」

 言葉はふんわりと口付けられるキスによって飲み込まれた。
 言わなくちゃ、いけない。
 確かに中井くんの言ったことは正しいけれど、……どこか違うと思う。
 付き合うと決めた理由は確かに自己防衛のためだった。
 口に出してしまった言葉をなかったことには、できない。
 過去は都合のいいように取り消せない。
 だけど………中井くんのことは嫌いではないから。
 そのことだけはハッキリしているから、ちゃんと伝えなくちゃいけない。

「……待って……」

 中井くんの胸を押し返して、揺れる彼の瞳を見つめる。
 その表情は驚きよりも悲しみが表れていて。
 その原因は間違いなく自分だと思うと胸が苦しくなる。
 だけど、言わなくちゃいけない。
 今の気持ちを。

「あたし、中井くんといるとドキドキしたりするの。それは嘘じゃないから、……もう少し待って欲しいの。そうしたら、ちゃんと気持ち、言えると思うから……」
「それはいいように解釈していいって事?」
「…………うん」

 きっと、きっと大丈夫。
 これから中井くんを好きになるから。
 そうしたら彼の気持ちをちゃんと受け止めることもできるはず。
 自分に暗示をかけながら、中井くんの頬に手を伸ばす。

「だから、もう少し時間を欲しいの」

 頬に触れる寸前で、あたしの腕は力なく掴まれてそのまま下に降ろされる。
 それからジッと見つめる瞳に捉えられていた。

「早く、俺のこと選んで」
「………………」

 ただ頷くことしかできなかった。
 そして無言のまま来た道を戻っていく彼の後を追うことは、まだ、できなかった。
 やがて中井くんの後姿が視界から消え、止まっていた時間が動き出した。
 目を瞑り、今の気持ちを落ち着かせようと思いを馳せようとした、そのとき。

「佐奈。あいつは誰だ?」

 突然名を呼ばれて振り返ると、そこには昔から嫌というほど見知った顔があった。

「ひ、仁志? ……何、してんの」

 自分でも動揺しているのが分かるほど、うろたえていた。
 まさか、こんな近くにいたなんて誰が想像できただろう。
 それに見られていたなんて考えもしていなかったから、心臓がバクバクしていた。
 どうにかここは穏便に片付けたい……!
 しかし仁志はいつも通りの口調で話し出す。

「あぁ? 見て分かるだろ。バイトだ、バイト。で? さっきのが『初めての彼氏』ってワケか?」
「……っ。人の事はどうでもいいでしょ!!」
「ほう。そーいう口を叩くか、仮にも居候の分際で。誰に口を聞いてンのか、ちゃんと自覚してんだろうな?」

 腕を組みながらこっちに目線を寄越す姿は、明らかに不機嫌そのものだった。

 誰にって……アンタ本当に何様よ?!

 そう言いたいのは何とか堪える。堪えなくてはならない。
 それが不当だったとしても、だ。
 でなければ、幼馴染のことだ。
 絶対オソロシイ復讐がくるのは火を見るより明らかなワケで。
 こっちが黙っていると、大げさな溜息が聞こえてきた。

「あんな奴のどこがいいんだか……遊ばれてるだけかもしれねーぞ」
「……ご忠告は、どーもっ!!」
「あのなぁ。ちったぁ、年上の忠告は聞け。男は年上の女に憧れるもんなんだよ、今は憧れと好きを勘違いしていたとしても不思議はない。どうせお前のことだろうだから、ひとときの夢見せられて簡単に体開いたんだろーが」
「〜〜デリカシーなさ過ぎなのよ、仁志は!!!」

 もうね、プチンときましたとも。
 あれが思春期まっただ中の乙女に対する言葉なの?!
 きっと目の前の男ぐらいだろうけども、こんな発言をしちゃってくれる奴は。
 絶対に世の中の女の子を敵に回すわよ、近いうち!!

「まぁ色々あるンだろーが、泣いた顔はちっとも可愛くないぞ」

 頭にぽんっと手が置かれ、気が付いたときには仁志は既に前を先に歩いていた。
 慌てて手の甲で涙の痕を拭う。
 そうして、ふとさっき言われた言葉を頭の中で繰り返す。
 ちょっと待ちなさいよ……励まし方って他にもあるでしょうよ?!

「な……何よっっ!失礼な奴!!」

 怒りにまかせた声は、近所迷惑だったに違いない。
 けれど周囲に気遣う余裕なんて勿論なく、ムカつきながら仁志と並んで帰宅した。

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