Chapter 1 ---八

「そういえば仁志は今、彼女はいないんだよね?」

 夕飯のハンバーグとサラダを食卓に並べ、なんとなく同居人に尋ねてみた。
 仁志はテレビの番組からあたしへ視線を移すと同時に、訝しい目を向けてきた。

「…………お前、何か企んでるのか?」
「なっ……心外ね! 単に聞いただけじゃない!」

 じとりと目を据わらしてこっちを見なくたっていいでしょうよ?!

「まぁな。確かに今はいないが」
「が、何よ……?」
「女なんて勝手に寄ってくるから、別に困ってはいない」

 その自分本位な発言に頭痛がしてきた。
 知ってるけどね。
 コイツがこういう性格だっていうことは昔からよーく知っていたけれども。
 でもやっぱり歳を重ねるにつれ、性格がねじれてきている気がしてならない。
 誰か矯正してくれないかしら。
 それがきっと世の為、あたしの平和のためだと思う。

「佐奈」

 不意に名前を呼ばれて、身が竦んでしまう。
 これまでの人生の汚点とも言える弱点。
 それは高峯仁志に恋心を抱いていた、という事。
 だけどそれは昔の出来事。
 ……そういうことに、しておいて。
 この恋がもう実らないという事を悟ってから、胸に残っている恋心をひた隠しにして生きてきたんだから。

 絶対に、この気持ちを気付かれてはならない。

 幼いながらに感じて誓った思いは、まだ残ってる。
 しかし、皮肉にも名前を呼ぶ声は昔と同じで。
 忘れていたはずの気持ちが込み上げてきて、どうしたらいいのか分からなくなる。
 ダメだわ、もう。
 自分の気持ちに嘘を付いていたけれど、もう認めざるを得ない。
 この声が好きだったって事に。

「……おい、佐奈?」

 今度はいつもの刺々しさはない、普通の声。

「なんでもない。ちょっと昔を思い出していただけだから………」
「昔? あぁ、そういえばお前はよく怪我してたな」

 思い返したような声が耳に届き、そうだったっけ、と首を捻る。

「あたし、そんなに怪我とかしてた?」
「覚えてないのか。散々ブランコから転げ落ちたりしてただろうが。そのたびに俺が救急箱と苦戦しながら手当てしてやっただろ。あのときこっちは大変だったんだぜ」
「…………あー」

 言われてみれば、そうだった気がする。
 でも小さいときってよく何かしら怪我とかするものだと思っていたんだけど。
 ていうか昔は怪我してようとしてまいと翌日は遊んでいたし、そんなに気に留めたこともなかった。
 しかし、この仁志にお世話になっていたという記憶は見事に飛んでいた。

「もっと恩を感じて貰ってもいいくらいだがな」

 ああ、こういう台詞だけは覚えてる。
 この性格だけは昔からちっとも変わらず今に至るのよねぇ……。
 幼馴染を敵に回すと怖いっていうのがあたしの常識だった。
 せめて歳を重ねれば少しは状況が明るくなるかと夢を見ていたのが間違いだった。

 はあああああ。

 溜息もいつもより大きくなるのも致し方ない。
 仁志のお陰でちっとも進んでいなかったご飯を片そうと、箸に手をつける。
 その間、仁志は無言でテレビ番組に集中していた。
 バラエティ番組が終了し、数分のニュースが流れ出すと椅子をひく音が聞こえた。
 見やると、仁志が全て平らげたお皿を台所へと戻していた。
 台所から戻ってきた仁志はあたしを一瞥し、今思い出したように言う。

「あーそれと。お前、俺と一緒に住んでいるってことは言うなよ」
「………………」
「バレたときは仕方がないが、自分からは言うな。火の粉が飛んでくるのは御免だ」
「…………言うな、っていう理由はもしかしなくともソレ?」
「当然だろ」

 今の間に色々考えたんですけど。
 考えていた時間が勿体ない気がするのは、絶対気のせいじゃない。

「まぁ、俺の家が嫌なら、彼氏の家に入り浸るのは佐奈の自由だが」

 はじめは言われている意味が理解できなかった。
 けれど何度か頭で繰り返しているうちに、ようやく理解も追いつく。
 だけど、幾らなんでもそんな言葉かける?!
 フツーは違うでしょ!
 いや、仁志に世の常識をぶつけたって意味がないのは知っているけどさ!

「ち ょっと待ちなさいよ。あたしを何だと思ってんの? いるわよ、ここに! それに仁志のことなんて頼まれたって教えないわよ!」
「お前の器量にかかっているから、うまくやれよ」

 くぅーーー!!! やっぱり腹立つんですけど!!!

 苛立ちながら残りの夕飯を勢いよく平らげ、数分後食べすぎに苦しめられた。
 自業自得といえばそれまで。
 洗い物を手早く済ませて、さっさと自分の部屋へと戻る。
 ベッドの上に置いていた携帯を掴み、リダイヤル画面から聡美の名前を呼び出す。
 しばらくの呼び出し音の後、電話口から明るい声が聞こえだす。

「聡美ぃ……」
『佐奈? またどうしたの、そんな声出して。変なモノでも食べたのなら、あたしじゃなくて薬にでも頼ったら?』
「それって冗談だよね?」
『あーまぁ半分半分。で、マジメな話どうしたのよ、今度は』

 いつものように聡美にからわれたことに軽く脱力感があるけど、でもこのフツフツと込み上げてくる怒りを早く吐き出してしまいたかった。

「もうあの幼馴染をどうにかしてよー! あの捩れた性格は有り得ないわ。ああっ今思い出しても、腸が煮えくり返るっっ!!」
『…………おおよそ言いたいことは分かったわ』
「自分の都合しか考えてない……っていうか言動がいちいちムカつくの! あーもうっ、言い方ひとつに気を配れないのかしら?!」
『そうねぇ。話を聞く限り、向こうが圧倒的に有利だから佐奈はおとなしく従うしかないものねぇ。力関係がはっきりしている以上、おとなしくしてる方が無難だとは思うけど?』

 電話口からは冷たい言葉が聞こえてくる。
 確かにそれは正論といえば正論。
 けれど、そうだよね、と簡単に納得できる問題ではない。

「聡美ってばあたしの友達でしょー?! 弁論はないの、弁論は!」
『……きっと何か対策を練ろうとしても、すぐに仕返しがくるわよ。そーいうタイプの人って。勝ち目がない戦はしない主義だから、悪いけど佐奈の味方としていいアドバイスは浮かばないわ』

 やっぱりあたしの友達運は低いのかも。

『それより佐奈? 明日の小テストの範囲広いでしょ? 勉強は終わったの?』
「…………あ、あったっけ? そんなもの」
『あーぁ、全くこの子は。同居人のことに気にかけるより、自分の単位に気にかけた方がいいわよ絶対。明日は前々から予告されていた30問のテストがあるから、勉強しとかないとヤバいわよ。私もまだ途中だから、続きは明日に聞くわ』
「……そう、だね。うん……今から勉強する。じゃあ聡美、明日ね」
『はいはい』

 ツーツーという音を確認してから電話を切る。
 あーもう、何でこうテストって多いんだろ。
 所詮、高校生の仕事は勉学なんだろうけども。
 ……とか言っている場合じゃなかった。
 慌てて教科書を広げ、そこに挟んでいたメモを探し当てる。
 先生に言われた出題ページをメモした紙を手に取った。
 予想はしていたけれど……改めて確認してみても、こんなに範囲が広いテストなんて最悪としか言いようがない。
 時計の針をちらりと見やり、今日はもう寝れないと諦めの溜息をついた。

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