Chapter 2 ---五

 徐々に大きくなっていく目覚まし時計の音で一日が始まる。
 しかし、最近は少し違う。
 朝の日課となりつつあるのはもうひとつ、メールの着信音。
 先週終わったドラマの主題歌だったサビが流れ、携帯電話に手を伸ばす。
 新着メールを開き、文字を目で追う。
 内容はおはようから始まる他愛のない世間話。
 だけど、最後の文章につい笑みがこぼれてしまう。

「赤点が親に見つかる夢とか、いやだなあー」

 ベッドの中で返信をすませ、掛け布団をめくる。
 欠伸をひとつして、ハンガーにかけてあった制服に腕を通す。
 リビングは静まり返っており、どうやら仁志はまだ寝ているようだった。
 そばにあったリモコンでTVをつけ、ボリュームを少し小さくしておく。
 女性アナウンサーの声をBGMにしながら朝の支度に取りかかる。

「うそー明日の降水確率80%じゃん」

 洗面所からリビングに戻ると、天気予報士から『念の為に折り畳み傘を持っておくと安心でしょう』という声が聞こえてきた。 
 その助言に従い、クローゼットの奥にあった傘を鞄に入れる。
 つけっぱなしにしていたTVを消し、バタバタと家を出る。

「……うわ、なにこれ。まぶしー」

 朝の陽射しに耐えかね、目を細める。
 この時期の紫外線が強いことをすっかり失念していた。
 日焼け止めを塗ってくるんだった……。
 早速後悔しつつ、腕時計をちらりと見る。
 どう見積もっても、今引き返すと電車を一本逃してしまう。 
 今日は致し方ないと自分自身に言い聞かす。
 少し急ぎ足で突き当たりにある公園を右に曲がると、いつもは見かけない同じ高校の制服が目に入った。
 首を捻りながらも近づくと、男子高校生が振り返る。
 目が合った彼は気さくに手を振ってきた。

「え?! ……ちょっと、秀高がなんでこんなところにいるのよ?!」
「あはは、おはよーございます」

 楽しげな声の主はしてやったりと口角を上げる。
 あたしはというと、忙しなく瞬きを繰り返すのが精一杯で。
 というか、状況がいまいち飲み込めないんですけど?

「たまには一緒に学校に行くのも新鮮かなって。それに、帰りは上元先輩が一緒になる確率が高いし」
「だ、だからって……。それならそうとメールしてくれてもいいじゃない。こっちはびっくりしたよ!」
「だって、びっくりして貰うのも目的の内だもん」

 つまりはあたしに百面相させたかった訳と。
 しかし、ここで膨れた顔を見せるのは負けた気がする。
 意地で真顔に徹し、こほん、と咳払いをした。

「で? 待ち時間に勉強していたってわけ?」

 秀高の手にある教科書を指差すと、彼はすぐに頷き返した。

「ご明察。赤点なんて取ったら部活動禁止だしね。ただ、試験前じゃなきゃやる気しないけど」
「……まぁ、そうだよね」
「それじゃあ。行こっか」

 秀高が先に歩き出したので、慌てて横に並ぶ。
 こうして家から一緒だというのも初めてだからか、妙な緊張感が包み込む。
 前は途中で待ち合わせしてから登校したし。
 同じ歩幅で歩いてくれるため、早歩きをする必要はないのはありがたい。
 だけど、背丈の差や隣にいる存在感は女友達とは全然ちがくて。
 というか……ちょっと気恥ずかしい。
 彼氏と登校っていう経験は、もちろん初めてで。
 だからこそ、どうしていいのか、ちょっと分からない。
 黙って歩いていると、ふと横からの視線に気がつき、顔を上げる。
 ばっちり目が合った秀高は真顔で言い放つ。

「ヘンな顔してる」
「ななな、なにをー?!!」

 仮にも……いや、仮じゃないけど、彼女への言葉がソレなの?!
 失礼しちゃうわ、まったく。
 女の子への配慮が全然感じられない。
 あたしは不満を前面に出したまま、すたすたと歩き出す。
 大股で歩いていたつもりなのに、悔しいことにすぐに追いつかれてしまう。
 所詮、身長差には敵わないってことか。
 足の長さが違うのは認めるけど、こちらとしては正直、面白くない。

「ねーごめんってば。機嫌直してよ」

 横からフォローの声が聞こえたけど、簡単に許すこともしたくなくて。
 結局、駅までずっと口を噤んでいた。
 我ながら子供かとツッコミを入れたくなったけど。
 さすがに平謝りの秀高を見ていると罪悪感が湧いてくる。
 そろそろ謝罪を受け入れてあげないと、何だか可哀想になってきた。
 階段を上がりながら、声のトーンを低くして言う。

「本当に悪いと思ってる?」
「思ってる思ってる! 失言でした。すみません」

 改札口を定期で通り抜け、後ろに続いていた彼に振り返る。

「なら許します」
「……寛大な心に感謝します」

 皮肉を含ませた言葉が返って来たけど、敢えて言及はやめておく。
 並んで階段を下りると、ホームには人の熱気が漂っていた。
 追い打ちをかけるように、ちょうど貨物列車が横を通り過ぎる。
 ぶわわっと熱風が巻き起こると、横からうげぇ、という声がした。

「うわ、朝から堪えるね。ただでさえ暑いのに」
「ホントだねぇ」

 ホームに電車が入ってきた音で、自然と会話が途切れる。  
 電車に乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めの状態で数駅をやり過ごす。
 今日も息苦しい時間を乗り切り、人の波に押されながら改札口を抜けた。

「やっと解放されたねー」
「うん。毎朝のこれだけは慣れたくないね」
「それ、ホント同感」

 秀高のげんなりした顔に頷きながら、学校までの道を歩く。
 同じ制服姿がちらほらと見え始める。

「そういえば友達にさ、ケータイをよくなくす奴がいるんだよな」
「……よく?」
「そ。普段からケータイは家に置きっぱなしでさ。携帯しないと意味ないだろ、って何度も言ってるんだけど未だに直ってない」
「それって監視されてるみたいでイヤとか?」
「本人曰く、執着がないだけなんだと。物とか人に対して。だからよく行方不明になるらしい」

 そこまで淡白な人っていうのも、今時珍しい気がする。
 あたしだったら、ケータイを忘れてきた日には一日中そわそわしていそう。

「へーでもそれって、こっちが連絡したいとき困るんじゃない?」
「そうなんだよ! この前がまさにそのパターンだった」

 大げさに強調する声に、それはまたお疲れ様、と労いの言葉をかける。

「俺なんか肌身離さず携帯してるのにさー」
「あぁ、だから秀高ってメールがマメなんだ?」
「元々メールは好きな方だしね。でもやっぱ、佐奈は特別だよ」
「とく、べつ……?」
「だって彼女だから」

 即答されて、なぜかこっちが赤面してしまう。
 咄嗟にどう反応していいか、分からないじゃない。
 あたしが固まっていると、正面には心配そうな顔があった。

「……ちょっと鬱陶しかった?」

 遠慮がちに尋ねる声音は、少し強ばっていて。
 その不安を打ち消さなきゃと、慌てて首を左右に振る。

「そんなことないよ。秀高のおはようメールは最近の楽しみだから」
「なら安心した〜」

 無邪気な笑顔を向けられ、少しでも心配させたことに良心が傷む。

「じゃまた」
「うん」

 昇降口で別れ、あたしたちはそれぞれの教室に向かった。

       ☆

「先週の課題、集めるぞー」
「えーなにそれー」
「週末に出しただろーが」

 教師から的確なツッコミが入り、あたしは先週の記憶を思い起こす。
 …………。
 急いで机の中をまさぐると、すぐに該当のプリントが姿を見せる。
 すっかり忘れ去られていたそれは、当然ながら白紙で。
 だが幸か不幸か、あたしと同じ状態のクラスメイトは多いらしく、ざわめきが教室内に広がっていく。

「センセー、忘れましたー」
「俺もー」
「っていうか、あの量無理じゃね?」

 連鎖的に起こるブーイングの嵐の中、可哀想な担任は頭を抱えていた。

「始めから無理だと決めつけてると、何にもできない奴になるぞ。そうなって将来困るのは自分なんだからな。あまり聞きたくはないが、課題できていない奴は手を挙げろー」

 あたしを含め、クラスの半分が挙手する。

「ったくお前らなぁ。やる気なさ過ぎだろ。……しょうがねぇ、明日厳守だぞ。出さなかった奴は単位ないと思えよ!」

 そんな最終通告があった後の昼休み。
 聡美がどんよりした顔色でお弁当箱を持ってきた。

「だ、大丈夫? 顔色わるいけど」
「……ん、平気。それより昨日はごめんね。つい興奮しちゃって」
「ちょっとびっくりしたけど……仁志が悪いと思うし、聡美の気持ちも分からないわけじゃないから気にしないで。こっちこそ、嫌な思いさせてごめんね」

 あたしが謝ると、ううん、とすぐ声が返る。

「優衣先輩は面倒見が良くて、私の自主練にもよくつき合ってくれて。もう大丈夫って言ってたんだけど、私は納得がいかなかったのよね」
「……そっか」
「一晩考えてみて思ったんだけどさ。当人にしか分からない事情もあるんだよね。だから関係ない私が昨日ぶつけた言葉って、先輩のためっていうよりも、自分のためな気がしてきて。ちょっと自己嫌悪した……」

 聡美らしからぬ弱気な言葉が並び、うろたえてしまう。

「け、けど。根本的な原因はあいつ……だし。聡美は悪くないと思う!」
「でもやっぱり、部外者なのに言い過ぎたわ。今度謝りに行かないと」
「えぇ? そんな、あんな奴にそこまで気を遣わなくたって」
「……ううん。ちゃんと謝る。試験終わってから改めて行くわ」

 既に決意を固めた瞳に、あたしは頷くしかなかった。
 そして優衣先輩はどんな人なんだろう、と思いを馳せた。

       ☆

 帰宅すると、玄関先で仁志と鉢合わせになった。
 靴を履いて今から出かける様子に、這うような声が出る。

「あれ、どこか行くの?」
「これからバイト。今日は深夜シフトだから、帰るのは朝方」
「……ふーん」
「戸締まりはしっかりやれよ」
「分かってるわよーだ」

 背中を向ける幼馴染みに向けて、べーっと舌を出す。
 仁志は振り返ることなく、バタンと扉の閉まる音が寂しく余韻を残す。
 無言のまま鍵をかけ、くるりと方向転換。

「……ご飯たべよ」

 冷蔵庫に冷やしていたお鍋をコンロにかける。
 エプロンに袖を通し、カレーを温めている間に手早くサラダを作る。
 シーザードレッシングをかけ、お皿を食卓に並べる。
 ひとりきりの夕飯。 
 別に慣れっこだけど、なぜか今日はもやもやしていて。
 バラエティ番組を見ながら、いつもより味気ないご飯を口に運ぶ。

「あ。課題やらないと単位貰えないんだった……」

 食器を片付け、先にお風呂を済ませることにした。
 湯上がりのぽかぽかした体のまま、自分の部屋へ直行する。
 あまり気が進まないけれど、単位を落とすわけにもいかない。
 渋々鞄から取り出したプリントと教科書を机に広げ、シャーペンを走らす。
 唸りながらも何とか最後の項目までを埋めていく。

「うー終わったあ。ちょっと休憩……」

 ぽすん、とベッドにうつ伏せで倒れ込む。
 勉強量は大したわけではないのに、疲労感だけはしっかり蓄積されて。
 はああああ、と大きなため息をつく。
 仁志のことを考えると、心がざわつく。
 あたしの知らない一面を昨日はじめて知って。
 容易に想像できたことだろうに、少し傷ついた自分がいて驚いた。
 あいつが誰とつき合っていたって、あたしには関係ないこと。
 幼馴染みだからって、それは昔のことで。
 今はただの居候の身。だから……。
 手を伸ばし、ベッドの棚に置いていたケータイを取る。
 枕に顎をのせて、連絡帳を上から順に指でなぞっていく。
 聡美の名前を通り過ぎ、画面下に出てきた名前をクリックする。
 呼び出し音が聞こえ、ケータイを耳に当てる。
 ほどなくして、はい、という事務的な声が聞こえたので、もしもし、と返す。

『……どうしたの? 佐奈から電話がくるなんて珍しいね』

 電話越しに聞こえる秀高の声。

「勉強進まなくって。声、聞きたくなっちゃった」
『そっか』
「……うん」
『ねぇ、試験が終わったらさ。佐奈の手作りご飯が食べたい』
「え? ……あの、本気?」
『もちろん。いつもは自炊しているし、たまには誰かの手料理が食べたいなーって。ダメ?』

 ……どうしよう。
 あまり期待されても困るのが正直なところ。
 とはいえ、自炊している人の気持ちはよく分かるわけで。
 昔から美原家の家事はあたしの役目だったから。

「で、でもレパートリーは少ないよ」
『気にしないよ。佐奈が俺のために作ってくれたってのが重要だから』
「そ、そうかなぁ。じゃあ、えっと……あまり期待せずに待ってて」
『っしゃ、これで勉強やる気でてきた!』

 明るい声が聞こえてきて、少しだけ気分が晴れる。

「うん。あたしも頑張る」
『良かった。さっき、落ち込んだ声だったから心配した。でももう、大丈夫そうだね。じゃあ、そろそろ切るね』
「……ありがとね。おやすみなさい」
『おやすみー』

 電話を切って、しばらく液晶画面を見つめる。
 仁志なんかより気遣いもできて優しい彼氏。
 だのに、仁志が人知れず傷ついているような気がして、どうしてもほっとけない気持ちになってしまう。
 ふるふると首を振り、全く身が入らないまま試験勉強を再開した。

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